ゲームアプリのプランニングの材料にとヘイ・デイやってます。
ヘイデイ、良くできてるなぁ〜。
と。
農業ゲームのジャンルや田舎暮らしゲームは過去に数回やってるけど、ヘイデイの世界観は絶妙だなと。
ゲームなのでリアルの掟が少し緩くなってる訳で。
その緩さとカントリー音楽が心地よい。
具体的に何が心地よいかというと…
・リンゴが実をつけても収穫しなくても良い。
・作物を放置しても腐らない。
・買い物にくる人を放置してもよい。
・追い返しても恨まれない。
・売店に売りに出したケーキの売れ残りは賄いに出てこない。
だいたいそんなとこ。
ゲームは駆け引きだ!
という気持ちもあるけど、リアルシミュレーションをしたいわけではなく、求められる要求への対応と何かワイワイやってるのが心地よいという、他人ごとであり少し近い距離感が良いのだと思う。
ただ、ヘイデイにも駆け引きはある。
駆け引きと言えば「生産ライン」に生産計画を入れたら最後、ラインは止まらないこと。
・種まきしたらそこは刈りとるまでどいにもならない。
・ショップに出した産品は納屋に戻せないこと。
・建ててしまった生産施設や犬小屋は元に戻らないことくらいか。
施設の撤去やペットの退場以外は魔法石相当のダイヤ(現金で購入可能)だけど、まぁ仕方ない。
放置に対する責任の無い世界ってのはある種大陸的なのかも知れない。
デトロイト辺りのゴーストタウンなど国土の狭い日本では考えられないけど、アメリカではリアルな訳だしね。
放置を悪とする場合は他のゲームにある。
ニンテンドーのどぶ森だと放置ゴキブリやラフレシア?がでる。
村人も知らない人ばかりに…
これは作ったひとのココロの中にあるコミュニケーションの原風景やら企業風土の成せる技かて。
けどね、それほどにまでゲーム様からプレイヤーは離れてはならないのか?
そう思うんす。
ゲームとプレイヤーの関係性という意味でどぶ森のたまにあのメルヘンな世界に戻ろうかと思ったユーザーに手厳しい姿勢を以前疑問に思っていたんですが、どの部分がヤバかったのか、原因は何なのか感触として得たところ。
ヘイデイの良さはリアルとの距離感、腐らない世界なんだなと実感した次第。