承認欲求とヒットとメタバースとか今後の話し。

satokenji.com/2022/03/01/133911/過去の自分の記事を振り返る%E3%80%82/ の続き。
1998年頃はまだTwitterもなくテキストサイトを拡散するには2ch頼みだった気もする。 もしくは、雑誌だ。ネットランナーもまだ無い。 『じゃまーる』とかに勢いがありメディアはまだ紙が主体。 拡散する方法が限られていた。 情報拡散はテレビとラジオが一手に引き受ける感じ。
今で言うバズるのは2chの祭りとかかな?
で、承認欲求を満たすためにみんな書いているのだけれど、書くことと拡散することのバランスがうまくないとうまくいかなかったんだろうな。と一歩ひいて見て今は思う。
※ここは考えを垂れ流して置く場所なので、特に今も昔も変わらず。
日記サイトが流行っても人気日記サイトが糸井重里の日記くらいしか継続されなかったのもやはりコンテンツとして限界が有ったからなのではないでしょうか。
作っただけではダメで、拡散する必要があり、そもそもコンテンツに面白さが無いとダメ。
中々に難しい。
上手くいってるYouTuberの人は、その辺、拡散部分はYouTubeやら古い時代にはニコ生などが有り、Twitterなどで拡散する構造ができており、さらに面白さが動画でわかりやすかったのでしょう。 だがまぁ、コンテンツ次第。 歌が良ければ歌も売れてスターダムに。 CMに出るYouTuberも一部で出てきたり。
今度は?メタバース?? セカンドライフやってた頃と余り変わらないのでやや懐疑的。
メタバースが3Dモデルを使ったコミュニケーションだとするとそんな気分。 サーバの収容力に拘束されてバズる、同時性が保たれないのかな?と思ったり。 ニコ生も結局サーバの弱さとマネタイズの弱さで動画共有が面白く無い状況になってしまったしね。
そうそう、マネタイズという軸も有るね。 承認欲求はいつしか独り歩きして計数化できるお金に変えたくなるって病い。
承認欲求がマネタイズに向かうのであれば、メタバースもマネタイズに向かうのかも知れない。
もしくは、新規性のある出会いとか?
どうにも現状、日本のメタバースは美少女化が主流のようだし、悪くは無いのだけれど、そういうのやってみたいか?と言うとそうでも無いので、気が向かない。
それより、もっとネットが人に寄り添う、拡張現実の方向に進むといいなと思う。 行く場所によってレコメンドややれることの示唆が色々出てくるサービス。 Google mapのさらに強化したもの? 今のはレイヤーが一つで雑多だからね。 新しいサービスがまだまだできる余地はあるんだなぁと思いながら今日は調子が悪いのでこの辺で書くのをやめるとする。

過去の自分の記事を振り返る。

先日MOドライブを数年ぶりに動かし、過去にとってきたアーカイブデータをさらってみた。日記がいくつか出てきたので、こちらのサイトにマージしている。

1998年当初のものから。

テキストサイトが流行る前、インターネット1.0な頃の日記。

小っ恥ずかしいところもある。初々しい文体に触れて色々思うことも。

  • カウンターが全盛期。
  • カウンターが上がることに一喜一憂
  • お手紙。知らない人からメールがくることを望んでいる
  • 誰ともわからない状態だが、ファンレターをもらうくらいのつもりでいる
  • ファンが付くほど露出しているわけではない。
  • 大学内ではそこそこ目に付く状態だったはずでカウンターが上がってるのはそのへん?
  • 承認欲求旺盛な時間。
  • 今見ると「うわぁ〜」という気も
  • その次代の言葉で話しているから話し方が古い。
  • ラジオDJのマネごとののような喋りっぷり。(口語体としてはその感じが出ていてライブ感はある)
  • インターネット黎明期でなにかすごい事が始まっててそこに参加している感じが
  • 今で言うユーチューバー的に誰もがすごい人気者になれるような空気があった
  • 実際に身近にいた人はそういう存在にもなった
  • 書き始め3日でいきなり断筆宣言などをしているが、2022年も書いてます…。

という辺りが気になったりもしました。

承認欲求に踊らされないように。というのが今は普通な世の中になっているが、2000年より前の話だがから仕方がないのかな。仕事にやりがい。というのが本気で叫ばれてた時代だし、何もかも今とは違うんだろうな。

また何かデータに出くわしたら追加していこうと思う次第。

錆びた街とかその辺について。シャッター商店街や古ぼけた街並みへの対処を考える。

以前、10年前くらい、大阪に行った時、環状線の駅のホーム、端の辺りが錆びてる事に驚いた。 京橋に用事が有って行ったので京橋のひと駅前とかその辺の駅だったと思う。 東京を追い越せ!と言ってた大阪について失速を始めてて…という事を聞いてたものだから、そういうものかな?と思ったりもした。
あべのハルカスもできたし、大阪駅も新しくなってまた久々に大阪を見て回った。 印象はそこまで変わらなかった。 もちろん新しく建物は素敵なのだけれど、それらと比較した古ぼけた建物の多さに「あぁ、そりゃ仕方ないよな」と思った。
東京に戻り方々に目をやったが、古ぼけた感じは実は東京にも有って、それらが馴染みの風景という事で目に入っていなかったのかもしれない。 特に地元に戻った先日。山手線の輪の中なのに、随分と昭和な看板がまだ残っていたり、それはそれで味なのかも知れないけれど、経済成長を見込めない、観光産業くらいしか打開策の打てない日本の街並みになんとなくガッカリして呆然とした事を記憶している。
ただ、ガッカリしてても始まらない。
このガッカリは何か可能性を感じる伸び代とも考えられる。
また、シャッター商店街なども同様の問題なのかも知れない。
時間もあるし対処を考えてみようと思う。
古ぼけたの正体をしる
「古ぼけた」は掃除が行き届いていない事で発生していた。 新しくない、ではなく、清潔さや手が掛かっている感がなく関与を受けてない、意識されてない、無意識、無関心にさらされている状態だったのでは?と思う。
空き家問題が有るがアレは持ち主による家へのネグレクトでは無いかと思う。 もう、おい先が短いし他人に貸すより貸さないで古びるのを待ってなんとかそのままに。 シャッター商店街も、自分の住まいも兼ねているその場所の一階を貸すなんて事はせず、助成金なんかを貰いつつ緩やかに貸さず手入れをせずでネグレクトしていく。
部屋やお店を貸してても得られたお金を全部別の事に使ってしまうネグレクトなんてのも有るかも知れない。
いずれにせよ手を掛けないとそんななるなと。
手を掛けるには?
コレは需要と供給の問題で人の流れが有り需要のある場所はおそらくネグレクトにならない。 放置していたら、勿体ないから買いたい人も出てくるのでは? 残念な事にシャッター商店街などは建物の老朽化と家主の高齢化が同時にきてしまい、また町としての需要も郊外にショッピングモールなどができてしまい商店街の吸引力がなくなってしまったのだから仕方がなくそのまま古ぼけたシャッター商店街になってしまったのかも知れない。
シャッター商店街の回復には世代交代をする事。人の流れを呼び戻す事にあると思う。
日本がここまでダメになったのは団塊世代が過去の成功例をひた押しにしていれば何とかなるとやってこれてしまったからではないか?と思う。 気づいた頃には街も人もみな古ぼけてしまっていてもう打つ手なし。だ。 通常は60代で引退だが、団塊世代以降栄養が良く寿命が伸びてしまい、また成功体験を国の復興、バブルと重ねた彼らが主役の座から去ろうとしなかったのも大問題なのではないか。
町会長は60代。なんてのが昔も有ったがいまは80代くらいなのではないか? 20歳くらいそのまま横スライドしてしまい嘗ての若者は40代とか50代だ。
そこに聞き耳を立ててもダメ。 いまはパラダイムシフトが早すぎて80年代の成功体験では成功の粒度が荒すぎてなんらいい目を出せそうもない。
シャッター商店街も一度更地になるか、カラにするすればなんとかなるのかも知れない。もしくは、既に打ち捨てられた街なら放棄するのが良いのかも知れない。
打ち捨てられるのは非常に物悲しいものだけど、日本の平均年齢がそろそろ50代になろうとしているので、その物悲しさにひきづられるていると街並みやコミュニティに若いチカラが押し潰されて旬が終わってしまう。
とにかく、そういうしがらみからは逃げて良いのでは?と思う。
リソース、社会的な活動可能な人員はこの後20年くらいかなり減るだろうから、とにかくそのリソースを差し向ける先を社会的にコントロールして次の国体なりを形成していけば良いのでは?と思う。
僕は既に46だ。国の平均年齢には到達していないが、微妙に活気あるリソース側でもなくなってきたので、少なくとも自分の身の回り、自分が携わるものは古ぼけないようにケアをし、コミットしながら進もうと思う。
意識して進まなければこの辺以降はかなりツラい目に遭う事になるだろう。
意識して、コミットする先を決めて取り組んで行こうと思う。
諸兄におかれましても、無駄なリソースは割かず、嘗ての威光に哀愁を持って寄りかかっている人には余り触れずに何をなすべきかを考えて行動されては?と思う次第。
うん。

VM Wareは何に使うの?への回答。VM WareでMacの旧データをサルベージしてみた件。

VM WAREでEl Capitanをマウント

古いデータが目の前にあるのに取り出せない。

MacOSを古くから使っている。漢字Talkになる前のMacからだ。

古い時代だとMacintosh LCを使ってる。大学で使ったLCが最初の個人的に維持れるMacだった。水っぽいインクのAppleのstyleWriterだっけな?プリンタとレーザープリンタが繋がっていてOSはSystem6.0.4だかが走っていた。

それより前だと友人の家でMacintosh Classicを触らせてもらいセサミストリートのエルモがゴミ箱から出てくるアプリとかテトリスをやって友達と遊んでた。

で、その1990年代からの付き合いだと色々とデータは溜まってくる。

…はずなのだが、その多くは失われている。

大事なデータは引き継いできたはずなのだが、HDDが飛んでしまったり、OSが変わったり、Macを変えたり、諸々の理由で永遠と思えたデジタルのデータは失われていった。

今回はたまたま手元に残ったUSB接続のMOドライブとMOディスク10数枚を開けることを目指した次第。

Macに接続Montereyで動いているMacでは残念ながら標準HSFでフォーマットされているMOディスクは読み込めず無視をするか初期化するかが求められた。

230MBが10枚くらい。だ。諦める?

たまたま手元に残ったデータなので、せっかくだから中身をみたくなった。

このサイトを復帰させる意味で根底にある大学の頃のデータを組み込みたいなと思ったのでちょうどよかった。

古い環境のデータを読み出す努力

HFSを読むにはEl CapitanまでのOSに限られる。

手元のMacは既にその世代のOSは入らないし古いMacは処分してしまったのでVM Wareを使うことにした。

VM Wareは存在はしていたし、OSマニアの友人が色々やってるのは聞いていたけれど自分で利用するのはこれが初めて。

仮想環境、VM Wareって何に使うの?という疑問がなんとなく晴れた。

少なくとも過去の古いデータにアクセスするにはシュタインズ・ゲートみたいに過去の環境を手元に取り寄せるか仮想マシンを作って動かすしかなく、自分の利用している環境にその仮想マシンを載せられるならそれが手っ取り早いな。とも思った次第。

今回はMO10枚分のデータサルベージなのでそこまで真に迫ってない。

気軽に行こう。

でそこからが今回のタイトル。

まずVM Wareを試す

VM Wareの個人向け無料版ライセンスが有ることを知りそれをとってきて起動。まずは手始めにUbuntuを導入。UbuntuでもHFSは読み込めるとのことだったのだけれど、HDDではなく、MOなのですぐにマウントできるか?というのがわからず、またマウントポイントの設定などがLinuxだと必要で、更にマウントが本当にできているのか?などがグラフィカルに分かる感じではなかったので尻込み。

また、マウントしたところでファイルの漢字が文字化けするという情報を得たのでとりあえずVM Wareが動くかどうか?というところの確認にとどめて終了。動いた。

満足。

過去にRed HatがPower PCのMacで動くぞ!って話を聞き英語版のLinuxを動かせるようにしたことが有ったのだけれど似た感触。(2000年くらいかな?)その前はBSDを大学で勧められて使ったが(1997年ごろ)、その感触だ。

基本操作はできるようになって満足して終わる感じ。環境ができて満足。うん。要はやることがないんすね。そのほかのLinuxもデータ復旧などで仕事で使うことはあってもなかなかそれ以上に何かをする気になれずそのままだたり。

今回は目的が有るので更に明確にLinuxから離脱。

El Capitanを動かす

El Capitanの「OS X El Capitan インストール.app」は手元に寄せられそうだたので、力技でなんとかした。合法的にAppleからOSを無料でDLできる素晴らしい世の中ではあるのだけれど、VM Wareですぐに使えるファイル状態ではなく使える状態の「OS X El Capitan インストール.app」状態になるまでが一苦労だった。

軽く触れると、El Capitanが動いているMac上でEl CapitanのOSインストーラーをダウンロードし展開。アプリケーションフォルダにできる「OS X El Capitan インストール.app」をコピーしてとってくる感じ。非常に奇妙なことなのだけれど、El Capitanの入っているMacにEl Capitanのインストーラが展開できるというのは微妙に奇っ怪な話でも有る。が、まあ、今回はこの奇っ怪な話が非常に僕の作業を簡素にしてくれたので、非常にありがたかった。El Capitanで動くMacでさえ触るまで非常にハードルが高かった。

El Capitanは入手するのに時間がかかったもののdmgファイルから「OS X El Capitan インストール.app」状態にできたため、あとは輸送をどうするか?ということがポイントに。

OSのインストーラデータを運び出す

古い環境のEl CapitanとMontereyとをどうつなぐか。が次なる問題。

更にVM Ware上のEl CapitanとMontereyをどうつなぐか。だ。

古い環境から6.2GBのデータをホイホイ持ち出すのはなかなか骨だった。

無料ストレージサービスで。と考えたがデータが壊れて使えなくなるのが問題だった。VM Wareで動かすときに何が問題で動かないのか切り分けることが必要になってくるはずなのだけれど、知らない野良サービスだとそのへんは怪しい。FireStorageなどが以前は良かったのだろうけれど、6GBは今では送れない。そういうときには信頼のおけるサービスをお金を使って利用するに限る。

たかがMO10数枚のデータ…だがこうなってくるとノリが重要。

少しならお金出してもいんじゃね?となる。

で、今回使ったのはDropboxです。MacとWindowsの連絡などでデータが破損せず使えることでも定評がありますが、基本的にMacからMacへのデータ引き渡し、特に世代は違うもののOSX同士の引き渡しなのでそこまで不安はなくデータをやり取りできました。1300円払え。と言われそうになりましたが1月無料なので実質無料?で解決。(解約を忘れるべからず)

良かった。

冒頭の画像の通り、El Capitanは無事Monterey上に運び込め、更にVM Wareで認識できたので、無事にインストールできました。

良かった良かった。

VM Ware上でEl Capitanを動かす際の微妙な注意

で、VM Ware12に少しだけ癖があったのでご報告。

OS起動前にUSBの設定をしておくと良いみたいです。

今回使うMOドライブの認識もあるのですが、それより何より活用しているキーボードなどを含めUSB2.0をエミュレートしようとデフォルトではなってるのですが、その状態だとBluetoothキーボードとマウスを動かせ!みたいなアラートがOS起動後に出てきてしまいそれ以上進まなくなります。

そこで、VM Wareの上の枠から設定を出し、USB設定を事前にすることに。

グレーアウトしてできない場合は一度仮想マシンをシャットダウンすると良い模様。そこでUSB設定をUSB1.1に設定してサイドEl Capitanを起動すると無事に動くことが確認できました。

あとはMOドライブもきちんと認識しておりますし、Monterey上ではひたすら無しか初期化を求めていたアラートも出てこず、MOディスクをきっちり読み込むことができるようになりました。

めでたしめでたし。

何が出てきたか

過去のデータ。一番最初に就職した会社のデータや大学の論文などが出てきたのですが、動くものと動かないものが。クラリスワークス系のデータはだめっぽかったですが、まぁ、また気が向いたら動かすのかも。(この間の引っ越し後のごみ捨てでAppleWorksのDVD捨ててしまったのが悔やまれる。スノーレパードのDVDも捨ててしまったしな。AppleWorksとなるとかなり古い世代のOSが必要になるだろうから、そのへんがどうなのかという話。噂ではドロー系のソフトでそのへんが動くという話も出てたので、また暇があったらチャレンジしてみようと思います)あとはSWFファイルが結構ある。インタラクティブがもてはやされflasherになることがアーティストへの近道に思えたあの頃の時代感がすごく出てまして刻の涙をみたり。(どうすんだ?あのファイル…)

いずれにせよ、Mac OS9頃のファイルはほとんど拡張子がないので、エディタなどで中身をこじ開けて何がどのファイルなのか?を確かめつつの作業になりそう。ま、少なくともhtmlを集めてこのサイトを充実?させることにそれほど労力はかからないのだろうけれど、それもどこまでやるかだよな。と考え中。

ひとまず。今日はそんな感じのサルベージ備忘録をまとめて〆る次第。

で、VM Wareは何に使うの?

VM Wareはこの後必要なのか?もう使わないかも?旧OS例えばSnowLeopardなどを復活させてAppleWorksを手に入れる??超軽いLinuxを使ってなにかする?などなど諸々考えられますが、結局VM Wareは昔のゲームを遊ぶとかそういうことをする目的がないと微妙なのかも。あとは昔の環境ごとバックアップとかか。

MOはUSB接続が可能な手軽なものなのですが、既に僕が持ってるものはほぼもう無いので、メルカリにでも売ってしまおうかな?と思ったり。

さて、今後読者諸兄の一助になればとも思いますので、僕が情報収集に使った参考にさせてもらったサイトをいくつかをリンクしておきたいと思います。
(この辺もオールドスクールでいい感じっすよねw)

Macの「HFS(Mac標準フォーマット)」のデータを読み出す方法

Mac標準フォーマットのお話

Ubuntuの入手

以前のバージョンの macOS を入手する

macOS用VMware Fusionの無償版を利用する

VMware FUSION 11 に OS X 10.11 El Capitan をインストールするのが大変だった話

旧Macの情報(15)

 

地味にWordPressを運用する。後半はテキストサイトの存続を考え右往左往

●WordPressを使えるようにする。
WordPressのサイトを立ち上げ直してる。 コンテンツ自体は過去のコンテンツを掲載してるのだけれど、各サイトから持ってきた物なのでリンクが崩壊していたりする。 で、何をするか?何のプラグインが必要かを考えてみようと。 プラグインで解決するのはダサいと言うイメージもあるけれど、何も考えず機能を装備したいからCMSを使っているので、まぁ、スピードの話もあるけれどとりあえず機能で解決を試みたいと思う。オールインワン系の大型ツールは極力使わず地味に動くプラグインを使ってなんとかする事を目指したい。
●想定するプラグイン達
・OGPのプラグインが欲しい
Twitterに記事を投下しようとしたら、残念なリンクが出てきた…
・Google analyticsなどのタグ管理
これは既に入れているが、ヘッダフッダーへの書き込みをテンプレを改造せず使えるようにするプラグイン。
・壊れたリンクの回収
定番のチェックプラグインを入れよう。先程上で話した過去記事のリンク破綻はコレで決着をつけるつもり。決着付き次第このプラグインは破棄してイイと思う。
大体こんなところか?
WordPressに固執することもないのだけれど、とりあえず使っている。
●テキストサイトを作りたいだけ 本当はスタティックなサイトですら良いのだけれど、とりあえずだ。
他の代替案としてははてなブログなどもある。
ただ、はてなブログは別で使っているサークルのサイト存続には向いていないと思う。更にはメーラーが無いので、ドメインをはてなに充ててしまうとそのドメインを活用したメールが使えなくなってしまうため、ドメインを移管してがっぷり四つには使えない。
その辺の意味合いもありひとまずはてなブログは眼中から外している。はてな界隈はなんだか殺伐としているきもするからね。
売文を考えるとnoteも良いのかもしれない。
あと、運用費も抑えたいが自由にやっていたい気もする。
今はさくらインターネットを使っているが、GMOに戻るかXサーバに鞍替えするか…などと考えてもいる。
サーバを借りるだけでなく、新たにドメインを借りるのも良いなと思い始めている。
いづれにせよ、色々考えられるベースを作っておくのは良いこととおもう。
ここにまとめて出しておくことも悪くは無いなと。
とりあえず今考えるサイトに関して思い浮かぶところはそんなところ。
自由に考えを纏めて煩いこと言われない場所を用意したいのか、それともその思考を露出、共有したいのかは今のところまだ未定。
ひとまず。

Niche Phone S+とiPadで暮らしたい

仕事でiPadのアプリやiPhoneのアプリを作っていたのでiOS系のデバイスに囲まれて過ごしていたのだけれど、以前はPHSユーザー、dポや WILLCOMユーザーだったのでiPhone 以前の気軽に使えるケータイデバイス、物理ボタンで気軽にポンポンメールを打っていく時代のコミュニケーションが好きだったりする。

ブラウザがついているとかアプリとか便利なんだけれど手軽にiPhoneを出してチラチラ眺める生活にハマってしまうのがなんとなく宜しくないなと。
スマホ中毒とでも言いましょうか…既にフリック入力にはかなり慣れてしまっているのてま、この文章も特に難なく打ち込めてます。

問題があるとすれば、ガチャゲーに装備されてる時間で回復するガチャの権利と同じシステムが漫画アプリなどにも装備されていて漫画を読み始めると通常のコミックを買う以上に中毒性を発揮してしまうところかな?と。

で、その辺をデトックスする意味で「Niche Phone S+」が欲しいな…と。
メールは無いがSMSは有る。
テザリングがあるからiPadなどを持って歩けば仕事もなんとかなる。

ニッチふぉてくらいで、ニッチだよなぁ…

iPhoneはなんとなくモニタが小さいし、考えが狭くなるような気もするし、iPadを使って暮らしていた時代が素敵だったなとも。

ひとまず、次回9月ごろのiPhoneの買い替え辺りで色々考えてみようと思う。Niche Phone S+の5G 対応版が出ればそれでもイイのかもしれません。

便利すぎる事で考える時間が無くなってしまうようなオーバーラン気味の便利さをどうにかしたいという事なのかな。
ひとまずしばらくモヤモヤと考えてみようと思います。

色々なものがコロナで変わって

色々なものや価値観がコロナ禍で変わった。 外出制限 死生観が生活に絡むようになる 渡航制限 旅行へ行けない 店を畳む飲食店も多い イベントも集客過多のものができない オンラインイベントの定着 インバウンド需要の霧散 オーバーツーリズムへの嫌悪の認識 テレワークやテレカンの定着 出張が減る 営業活動がデスクワークに などなど。 dc.watch.impress.co.jp/docs/comic/clinic/1387186.html でも深刻な話題。 カメラ、趣味のツールを生きているうちに処分して揉め事を回避したり、趣味として価値のあるものを価値のわかる人の手に譲渡したいという話し。 終活なんて話しで俄にここ数年2018年くらいからこの手の話題は耳にするようになっていたが、コロナ禍で生死の境を彷徨う人が増え、コロナ陽性になる事で、その辺の整理が進んでいないと実際詰んでしまう人が多いようで、生還してきてホッとするって話をいくつも見た気がする。
手持ちの趣味の道具を減らすのが良いのか、価値の分かる人に道具を手渡すのもまた趣味としては面白いことだったりするし。逆に命尽きるまで好き放題やるのが良いか?
今僕がするとすれば使わなくなったレンズなどを処分する事だろう。僕の持っているレンズはキワモノがいくつも有るので、通常のカメラ屋は買い取ってくれないので、分かる人に買い取ってもらうしかない。 売る事、処分する事も趣味として…というカラーが強いから比較的呑気な状態だったりもします。
で、面白いところとしては、それらの雰囲気が一巡した事で、かなり世の中が小慣れた状態になってるなと言う事。断捨離みたいな勢いがなく処分するにしても上に上げた「呑気」くらいの頃合いで、やるかもしれないしやらないかもしれないくらいの強度、もしくは差し迫ってるならある程度するくらいの強度に。テレワークも夢のワークスタイルではなく、蔓延防止法が来そうな状況になると実施頻度を増してコロナ禍への対処、感染を予防する状態を柔軟にとるようになった。 更に言えば、リベンジ消費的なリバウンド、飲食店での馬鹿騒ぎは以前は有ったものの、オミクロン株への対応を見るに「はいはい、また波が来ましたね…」という位のレベル感で対処をする日常の事になってきたように思います。かなり、小慣れた以前声高に叫ばれていたニューノーマルが言葉を忘れるくらいにノーマルになり、スタイルとして定着してきたんだなと。そんな雰囲気になってきてるんだなと思ってたりします。
丁度シン・エヴァンゲリオンの使徒が訳の分からない数で来ていて「はいはい、使徒きたね…」くらいのノリになってるのが丁度似た雰囲気なのかな。何度も特訓したり、大作戦立ててた過去とは違う。もちろん対処自体は大作戦と同様のコストが掛かってるのだけど、小慣れた対応、日常として対処ができてる。のだなと。
そういうSF的な近未来の先にある世の中SF的な世の中の円熟期にいま立ち会っていて非常に有意義だなと思いつつ、対処を色々と考え中。
時間の使い方をこう言った思考に充てる事を今しておかないと非常に厄介な問題がやって来るのだなとも。
実は皆さん忘れているかと思うかもしれませんが、2023年問題は来年だったりします。日本の平均年齢が50歳くらいになるのかな?団塊世代がシルバー人材的な事さえ引退した世の中になりつつあると。
またその辺も別な機会に話そうかな?とは思いますが、現状の雰囲気をまずは書き留めておくところからという事で今日はこの辺で。

色々やってたら帰りそびれたでござるの巻。

家に帰りたくないわけではない。 どこか、深層心理で帰りたくないのかな? 分からないけど、今会社を23時過ぎに出て国立市の仮住まいに帰宅中。 遠い。 全然遠い。 テレワークをするから広い家がいい? 独立洗面台?? んな事より、仕事場から近い方がいい。 帰れなくなるからさ。 仕事場が無くテレワークのみならそれもいいかもしれないが、都市部が好きなのでキツいっす。 中央線は全然人生に関わりのない電車でしたが奥の方になんとなくいます。 コロナ禍、オミクロン株が流行っているのに今日も出勤。明日も出勤。 中央線、隣の席の男は時折とめどなく咳をしていたり。 おいおい、大丈夫なのか? 明日はかなりのひとが集まる部屋で会議だそうな。 おぃおぃおぃおぃ(ポンドル的なリズムながら悲痛な叫び)

思いつきをまとめられるように。

少しづつ以前描いた理想に環境を近づけてみる。 できるかできないか、ではなくやってみることが重要。

ずっと昔の話。手元で書いた文書をすぐにサイトで公開する仕掛けを作って運用していたのですが、それを最近の方法で試してみたくなった次第。

blogに割く時間も無いので、非常によいのでは?と思いましたがどうなるでしょうか。

ちょっとした実験になります。

思考に割く時間をつくる

色々頑張っているが40代も中盤を過ぎてスピード感というか手数がこれ以上増えないことを経験的に知っている。 あとは、やる事、出来る事から逆算してやる事を決めて一つづつ実行に移すことに決めた。
実際、今までも色々手を広げてきたのだけれど、出来ることはリソースによって限られる。 時間もそのリソースで、やりたいものは何か?をきちんと考えて行動をしなくてはな。と考えるに至った。
で、今回このサイトの存続を考えた訳で。 他にもはてなブログなどあるのだけれど、とりあえず、自分の思考を邪魔しないメディア、自分の手持ちのコントローラブルで、おそらくサービスにひっくり返されづらいものを作っておいた方がいいと思いこちらを再度利用しようと思った次第。
一年ぶりの投稿になるのかな? まだ、継続できるかは不明だけれど、オールドスクールなテキストサイトみたいな駄文を掲載していこうと思う。
暇な時、行動に詰まった時、忘れてはならない叫びを心に覚えた時投稿するのでよろしく。
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