錆びた街とかその辺について。シャッター商店街や古ぼけた街並みへの対処を考える。

以前、10年前くらい、大阪に行った時、環状線の駅のホーム、端の辺りが錆びてる事に驚いた。 京橋に用事が有って行ったので京橋のひと駅前とかその辺の駅だったと思う。 東京を追い越せ!と言ってた大阪について失速を始めてて…という事を聞いてたものだから、そういうものかな?と思ったりもした。
あべのハルカスもできたし、大阪駅も新しくなってまた久々に大阪を見て回った。 印象はそこまで変わらなかった。 もちろん新しく建物は素敵なのだけれど、それらと比較した古ぼけた建物の多さに「あぁ、そりゃ仕方ないよな」と思った。
東京に戻り方々に目をやったが、古ぼけた感じは実は東京にも有って、それらが馴染みの風景という事で目に入っていなかったのかもしれない。 特に地元に戻った先日。山手線の輪の中なのに、随分と昭和な看板がまだ残っていたり、それはそれで味なのかも知れないけれど、経済成長を見込めない、観光産業くらいしか打開策の打てない日本の街並みになんとなくガッカリして呆然とした事を記憶している。
ただ、ガッカリしてても始まらない。
このガッカリは何か可能性を感じる伸び代とも考えられる。
また、シャッター商店街なども同様の問題なのかも知れない。
時間もあるし対処を考えてみようと思う。
古ぼけたの正体をしる
「古ぼけた」は掃除が行き届いていない事で発生していた。 新しくない、ではなく、清潔さや手が掛かっている感がなく関与を受けてない、意識されてない、無意識、無関心にさらされている状態だったのでは?と思う。
空き家問題が有るがアレは持ち主による家へのネグレクトでは無いかと思う。 もう、おい先が短いし他人に貸すより貸さないで古びるのを待ってなんとかそのままに。 シャッター商店街も、自分の住まいも兼ねているその場所の一階を貸すなんて事はせず、助成金なんかを貰いつつ緩やかに貸さず手入れをせずでネグレクトしていく。
部屋やお店を貸してても得られたお金を全部別の事に使ってしまうネグレクトなんてのも有るかも知れない。
いずれにせよ手を掛けないとそんななるなと。
手を掛けるには?
コレは需要と供給の問題で人の流れが有り需要のある場所はおそらくネグレクトにならない。 放置していたら、勿体ないから買いたい人も出てくるのでは? 残念な事にシャッター商店街などは建物の老朽化と家主の高齢化が同時にきてしまい、また町としての需要も郊外にショッピングモールなどができてしまい商店街の吸引力がなくなってしまったのだから仕方がなくそのまま古ぼけたシャッター商店街になってしまったのかも知れない。
シャッター商店街の回復には世代交代をする事。人の流れを呼び戻す事にあると思う。
日本がここまでダメになったのは団塊世代が過去の成功例をひた押しにしていれば何とかなるとやってこれてしまったからではないか?と思う。 気づいた頃には街も人もみな古ぼけてしまっていてもう打つ手なし。だ。 通常は60代で引退だが、団塊世代以降栄養が良く寿命が伸びてしまい、また成功体験を国の復興、バブルと重ねた彼らが主役の座から去ろうとしなかったのも大問題なのではないか。
町会長は60代。なんてのが昔も有ったがいまは80代くらいなのではないか? 20歳くらいそのまま横スライドしてしまい嘗ての若者は40代とか50代だ。
そこに聞き耳を立ててもダメ。 いまはパラダイムシフトが早すぎて80年代の成功体験では成功の粒度が荒すぎてなんらいい目を出せそうもない。
シャッター商店街も一度更地になるか、カラにするすればなんとかなるのかも知れない。もしくは、既に打ち捨てられた街なら放棄するのが良いのかも知れない。
打ち捨てられるのは非常に物悲しいものだけど、日本の平均年齢がそろそろ50代になろうとしているので、その物悲しさにひきづられるていると街並みやコミュニティに若いチカラが押し潰されて旬が終わってしまう。
とにかく、そういうしがらみからは逃げて良いのでは?と思う。
リソース、社会的な活動可能な人員はこの後20年くらいかなり減るだろうから、とにかくそのリソースを差し向ける先を社会的にコントロールして次の国体なりを形成していけば良いのでは?と思う。
僕は既に46だ。国の平均年齢には到達していないが、微妙に活気あるリソース側でもなくなってきたので、少なくとも自分の身の回り、自分が携わるものは古ぼけないようにケアをし、コミットしながら進もうと思う。
意識して進まなければこの辺以降はかなりツラい目に遭う事になるだろう。
意識して、コミットする先を決めて取り組んで行こうと思う。
諸兄におかれましても、無駄なリソースは割かず、嘗ての威光に哀愁を持って寄りかかっている人には余り触れずに何をなすべきかを考えて行動されては?と思う次第。
うん。