承認欲求とヒットとメタバースとか今後の話し。

satokenji.com/2022/03/01/133911/過去の自分の記事を振り返る%E3%80%82/ の続き。
1998年頃はまだTwitterもなくテキストサイトを拡散するには2ch頼みだった気もする。 もしくは、雑誌だ。ネットランナーもまだ無い。 『じゃまーる』とかに勢いがありメディアはまだ紙が主体。 拡散する方法が限られていた。 情報拡散はテレビとラジオが一手に引き受ける感じ。
今で言うバズるのは2chの祭りとかかな?
で、承認欲求を満たすためにみんな書いているのだけれど、書くことと拡散することのバランスがうまくないとうまくいかなかったんだろうな。と一歩ひいて見て今は思う。
※ここは考えを垂れ流して置く場所なので、特に今も昔も変わらず。
日記サイトが流行っても人気日記サイトが糸井重里の日記くらいしか継続されなかったのもやはりコンテンツとして限界が有ったからなのではないでしょうか。
作っただけではダメで、拡散する必要があり、そもそもコンテンツに面白さが無いとダメ。
中々に難しい。
上手くいってるYouTuberの人は、その辺、拡散部分はYouTubeやら古い時代にはニコ生などが有り、Twitterなどで拡散する構造ができており、さらに面白さが動画でわかりやすかったのでしょう。 だがまぁ、コンテンツ次第。 歌が良ければ歌も売れてスターダムに。 CMに出るYouTuberも一部で出てきたり。
今度は?メタバース?? セカンドライフやってた頃と余り変わらないのでやや懐疑的。
メタバースが3Dモデルを使ったコミュニケーションだとするとそんな気分。 サーバの収容力に拘束されてバズる、同時性が保たれないのかな?と思ったり。 ニコ生も結局サーバの弱さとマネタイズの弱さで動画共有が面白く無い状況になってしまったしね。
そうそう、マネタイズという軸も有るね。 承認欲求はいつしか独り歩きして計数化できるお金に変えたくなるって病い。
承認欲求がマネタイズに向かうのであれば、メタバースもマネタイズに向かうのかも知れない。
もしくは、新規性のある出会いとか?
どうにも現状、日本のメタバースは美少女化が主流のようだし、悪くは無いのだけれど、そういうのやってみたいか?と言うとそうでも無いので、気が向かない。
それより、もっとネットが人に寄り添う、拡張現実の方向に進むといいなと思う。 行く場所によってレコメンドややれることの示唆が色々出てくるサービス。 Google mapのさらに強化したもの? 今のはレイヤーが一つで雑多だからね。 新しいサービスがまだまだできる余地はあるんだなぁと思いながら今日は調子が悪いのでこの辺で書くのをやめるとする。

過去の自分の記事を振り返る。

先日MOドライブを数年ぶりに動かし、過去にとってきたアーカイブデータをさらってみた。日記がいくつか出てきたので、こちらのサイトにマージしている。

1998年当初のものから。

テキストサイトが流行る前、インターネット1.0な頃の日記。

小っ恥ずかしいところもある。初々しい文体に触れて色々思うことも。

  • カウンターが全盛期。
  • カウンターが上がることに一喜一憂
  • お手紙。知らない人からメールがくることを望んでいる
  • 誰ともわからない状態だが、ファンレターをもらうくらいのつもりでいる
  • ファンが付くほど露出しているわけではない。
  • 大学内ではそこそこ目に付く状態だったはずでカウンターが上がってるのはそのへん?
  • 承認欲求旺盛な時間。
  • 今見ると「うわぁ〜」という気も
  • その次代の言葉で話しているから話し方が古い。
  • ラジオDJのマネごとののような喋りっぷり。(口語体としてはその感じが出ていてライブ感はある)
  • インターネット黎明期でなにかすごい事が始まっててそこに参加している感じが
  • 今で言うユーチューバー的に誰もがすごい人気者になれるような空気があった
  • 実際に身近にいた人はそういう存在にもなった
  • 書き始め3日でいきなり断筆宣言などをしているが、2022年も書いてます…。

という辺りが気になったりもしました。

承認欲求に踊らされないように。というのが今は普通な世の中になっているが、2000年より前の話だがから仕方がないのかな。仕事にやりがい。というのが本気で叫ばれてた時代だし、何もかも今とは違うんだろうな。

また何かデータに出くわしたら追加していこうと思う次第。

錆びた街とかその辺について。シャッター商店街や古ぼけた街並みへの対処を考える。

以前、10年前くらい、大阪に行った時、環状線の駅のホーム、端の辺りが錆びてる事に驚いた。 京橋に用事が有って行ったので京橋のひと駅前とかその辺の駅だったと思う。 東京を追い越せ!と言ってた大阪について失速を始めてて…という事を聞いてたものだから、そういうものかな?と思ったりもした。
あべのハルカスもできたし、大阪駅も新しくなってまた久々に大阪を見て回った。 印象はそこまで変わらなかった。 もちろん新しく建物は素敵なのだけれど、それらと比較した古ぼけた建物の多さに「あぁ、そりゃ仕方ないよな」と思った。
東京に戻り方々に目をやったが、古ぼけた感じは実は東京にも有って、それらが馴染みの風景という事で目に入っていなかったのかもしれない。 特に地元に戻った先日。山手線の輪の中なのに、随分と昭和な看板がまだ残っていたり、それはそれで味なのかも知れないけれど、経済成長を見込めない、観光産業くらいしか打開策の打てない日本の街並みになんとなくガッカリして呆然とした事を記憶している。
ただ、ガッカリしてても始まらない。
このガッカリは何か可能性を感じる伸び代とも考えられる。
また、シャッター商店街なども同様の問題なのかも知れない。
時間もあるし対処を考えてみようと思う。
古ぼけたの正体をしる
「古ぼけた」は掃除が行き届いていない事で発生していた。 新しくない、ではなく、清潔さや手が掛かっている感がなく関与を受けてない、意識されてない、無意識、無関心にさらされている状態だったのでは?と思う。
空き家問題が有るがアレは持ち主による家へのネグレクトでは無いかと思う。 もう、おい先が短いし他人に貸すより貸さないで古びるのを待ってなんとかそのままに。 シャッター商店街も、自分の住まいも兼ねているその場所の一階を貸すなんて事はせず、助成金なんかを貰いつつ緩やかに貸さず手入れをせずでネグレクトしていく。
部屋やお店を貸してても得られたお金を全部別の事に使ってしまうネグレクトなんてのも有るかも知れない。
いずれにせよ手を掛けないとそんななるなと。
手を掛けるには?
コレは需要と供給の問題で人の流れが有り需要のある場所はおそらくネグレクトにならない。 放置していたら、勿体ないから買いたい人も出てくるのでは? 残念な事にシャッター商店街などは建物の老朽化と家主の高齢化が同時にきてしまい、また町としての需要も郊外にショッピングモールなどができてしまい商店街の吸引力がなくなってしまったのだから仕方がなくそのまま古ぼけたシャッター商店街になってしまったのかも知れない。
シャッター商店街の回復には世代交代をする事。人の流れを呼び戻す事にあると思う。
日本がここまでダメになったのは団塊世代が過去の成功例をひた押しにしていれば何とかなるとやってこれてしまったからではないか?と思う。 気づいた頃には街も人もみな古ぼけてしまっていてもう打つ手なし。だ。 通常は60代で引退だが、団塊世代以降栄養が良く寿命が伸びてしまい、また成功体験を国の復興、バブルと重ねた彼らが主役の座から去ろうとしなかったのも大問題なのではないか。
町会長は60代。なんてのが昔も有ったがいまは80代くらいなのではないか? 20歳くらいそのまま横スライドしてしまい嘗ての若者は40代とか50代だ。
そこに聞き耳を立ててもダメ。 いまはパラダイムシフトが早すぎて80年代の成功体験では成功の粒度が荒すぎてなんらいい目を出せそうもない。
シャッター商店街も一度更地になるか、カラにするすればなんとかなるのかも知れない。もしくは、既に打ち捨てられた街なら放棄するのが良いのかも知れない。
打ち捨てられるのは非常に物悲しいものだけど、日本の平均年齢がそろそろ50代になろうとしているので、その物悲しさにひきづられるていると街並みやコミュニティに若いチカラが押し潰されて旬が終わってしまう。
とにかく、そういうしがらみからは逃げて良いのでは?と思う。
リソース、社会的な活動可能な人員はこの後20年くらいかなり減るだろうから、とにかくそのリソースを差し向ける先を社会的にコントロールして次の国体なりを形成していけば良いのでは?と思う。
僕は既に46だ。国の平均年齢には到達していないが、微妙に活気あるリソース側でもなくなってきたので、少なくとも自分の身の回り、自分が携わるものは古ぼけないようにケアをし、コミットしながら進もうと思う。
意識して進まなければこの辺以降はかなりツラい目に遭う事になるだろう。
意識して、コミットする先を決めて取り組んで行こうと思う。
諸兄におかれましても、無駄なリソースは割かず、嘗ての威光に哀愁を持って寄りかかっている人には余り触れずに何をなすべきかを考えて行動されては?と思う次第。
うん。

WordPressは面倒ですね。

あくびをするチャーリー

WordPressは非常に面倒だなと。

メールで投稿できるようにして置いたのだけど、OGPがうまく出ない。とか

コメント欄をどうするか?とか。

そういうことを諸々対応をしていくことが非常に面倒になってきました。

以前であればプラグインなりCSS書換なり色々やっていたのですが歳もとってきたし、やりたいことは何か?ということを考えていると「WordPress運用」がやりたい事ではなく発信していくこと、更にそこから着想を得て何かにつなげていくことがしたいのだな。と明確に思うようになってきました。

もちろん、仕事でWordPressを使うこともあるので、何が危険なのか?とか最近の攻撃手法に対するガードとかをつぶさに拾っていく事はできたのですが、WordPressで解決できる規模の仕事は来ないということが既にわかっていることで、自分でサーバ立てをするとか、メンテするとかその辺が一揃いいい加減面倒になってきたなと。

今後はどうする?

アート・パルのサイトと、このサイトをひとまずはてなblogに預けてしまおうかな?と考え中。

メールはどうする?問題

はてなblogはメールサービスが無いので一瞬ためらいましたが、その問題は解決。ドメインをとったサービスで提供してたりする独自ドメイン使用が可能な単体メールサービスにDNSを設定しておけば問題ないということが判明。メールサービスは年間1000円くらいなので、特に何の支障もなし。ということでなんとかなりそう。

更に1998年辺りからのサイトが発掘できそうなので、そのへんもマージしてなんとかしようかな?と考え中。

記事に関していうと画像のリンク切れなどが多発しそうだけれど、そのへんは知ったこっちゃない。という感じで行くかな?

何がそうさせる?

WordPressのサーバをどう維持するか?ということが一つ。業界で安値のところに置いていいこうかな?と考えたこともありました。以前はそうしてた。275円でサーバ激重でキレそうになった。(某ロリポップさん、貴方です!)だもんでサーバ移設はあまり肯定的ではない。

いまは標準的?と考えられる某さくらにしてるけど、ドメインの費用とか毎月の支払いとかで合算すると微妙な気分になったり。ドメインは2つ持っているけど、これ終身であつかうの?とかね。

ドメインて取るのは自由だけど維持するのは呪いみたいなものでもあるよね。

ドメイン維持費にまで嘆くわけではないけど、エックスサーバーとかのドメイン維持費みると、あ、いままでボッタクられてたのかな?とかって思ってしまったり。

今後について

いま:某さくらのスタンダード+ドメイン2件+WordPress管理に気をもむ日々

サーバ5,238円/年+ドメイン1,952円(.com)+ドメイン3,982円(jp)

このあと:はてなblogPro+ドメイン3件くらい

¥14,400/2年(7,200/年)+ドメイン1,500(.com)+ドメイン1,300円(jp)スタードメインにて。

としようかなと。

FTPとかMySQLとかサーバ周りは外注したほうが気が楽。

あと、ドメインは移管するかを現在考え中。

メールサーバとコミコミで考えたときに年間運用費が安いところに移す予定。

話は急に転換。

仕事で旧Wpxをずーっと使ってて、エックスサーバーには好印象を持ってました。

んで、某ロリポップが220円とか言ってるけど、どうせなーと思ってて、エックスサーバーのドメイン管理は安いけどメールサービスがついてないしなー

とか思ってたんです。はい。

で、ドメイン安く管理できる会社を探してたらスタードメインてのが見つかって運営会社怪しくないの?と探ってたらネットオウルっていうエックスサーバーの関連会社だそうで。ドメイン割安で管理できて、更にメールも行けそうだ…ということが判明。

と、いろいろ調べてたら220円でWordPress設定できるサービスを展開中!とな。

おー。

初期費用などは3末まで無料。

ということは…

サーバ5,238円/年+ドメイン1,952円(.com)+ドメイン3,982円(jp)

はてな14,400/2年(7,200/年)+ドメイン1,500(.com)+ドメイン3,100円(jp)

サーバ2,640円/年+ドメイン1,500(.com)+ドメイン3,100円(jp)

にしても、若気の至りでjpドメインとってしまったが、維持費たけーな、おい。

もう暫く考えて3月に対応をしようと思います。

色々なものがコロナで変わって

色々なものや価値観がコロナ禍で変わった。 外出制限 死生観が生活に絡むようになる 渡航制限 旅行へ行けない 店を畳む飲食店も多い イベントも集客過多のものができない オンラインイベントの定着 インバウンド需要の霧散 オーバーツーリズムへの嫌悪の認識 テレワークやテレカンの定着 出張が減る 営業活動がデスクワークに などなど。 dc.watch.impress.co.jp/docs/comic/clinic/1387186.html でも深刻な話題。 カメラ、趣味のツールを生きているうちに処分して揉め事を回避したり、趣味として価値のあるものを価値のわかる人の手に譲渡したいという話し。 終活なんて話しで俄にここ数年2018年くらいからこの手の話題は耳にするようになっていたが、コロナ禍で生死の境を彷徨う人が増え、コロナ陽性になる事で、その辺の整理が進んでいないと実際詰んでしまう人が多いようで、生還してきてホッとするって話をいくつも見た気がする。
手持ちの趣味の道具を減らすのが良いのか、価値の分かる人に道具を手渡すのもまた趣味としては面白いことだったりするし。逆に命尽きるまで好き放題やるのが良いか?
今僕がするとすれば使わなくなったレンズなどを処分する事だろう。僕の持っているレンズはキワモノがいくつも有るので、通常のカメラ屋は買い取ってくれないので、分かる人に買い取ってもらうしかない。 売る事、処分する事も趣味として…というカラーが強いから比較的呑気な状態だったりもします。
で、面白いところとしては、それらの雰囲気が一巡した事で、かなり世の中が小慣れた状態になってるなと言う事。断捨離みたいな勢いがなく処分するにしても上に上げた「呑気」くらいの頃合いで、やるかもしれないしやらないかもしれないくらいの強度、もしくは差し迫ってるならある程度するくらいの強度に。テレワークも夢のワークスタイルではなく、蔓延防止法が来そうな状況になると実施頻度を増してコロナ禍への対処、感染を予防する状態を柔軟にとるようになった。 更に言えば、リベンジ消費的なリバウンド、飲食店での馬鹿騒ぎは以前は有ったものの、オミクロン株への対応を見るに「はいはい、また波が来ましたね…」という位のレベル感で対処をする日常の事になってきたように思います。かなり、小慣れた以前声高に叫ばれていたニューノーマルが言葉を忘れるくらいにノーマルになり、スタイルとして定着してきたんだなと。そんな雰囲気になってきてるんだなと思ってたりします。
丁度シン・エヴァンゲリオンの使徒が訳の分からない数で来ていて「はいはい、使徒きたね…」くらいのノリになってるのが丁度似た雰囲気なのかな。何度も特訓したり、大作戦立ててた過去とは違う。もちろん対処自体は大作戦と同様のコストが掛かってるのだけど、小慣れた対応、日常として対処ができてる。のだなと。
そういうSF的な近未来の先にある世の中SF的な世の中の円熟期にいま立ち会っていて非常に有意義だなと思いつつ、対処を色々と考え中。
時間の使い方をこう言った思考に充てる事を今しておかないと非常に厄介な問題がやって来るのだなとも。
実は皆さん忘れているかと思うかもしれませんが、2023年問題は来年だったりします。日本の平均年齢が50歳くらいになるのかな?団塊世代がシルバー人材的な事さえ引退した世の中になりつつあると。
またその辺も別な機会に話そうかな?とは思いますが、現状の雰囲気をまずは書き留めておくところからという事で今日はこの辺で。

モノを捨てる技術

自分に関与するものは残す。

ってやる。って話を書いた。

だがその考えには限界がある。

なんせ時間がかかる。

思い入れを図るのってのはなかなかに骨だ。

 

では、他のアプローチは?ってことになる。

  • 要らないもの、自分に関わりのないものをすてる
  • 一面に広げて必要のない物を捨てる。
  • 場所を移動して要らないものを炙り出す

だいたいこんなところだ。

 

面白いもので自分に関与するかどうかを考えると頭を使うが自分に関わりのないものを探すとなると早い。

場所が許すなら広げて捨てるのも良い。

移動させて捨てるのも実は同義だ。

 

関与するかどうかを考えるのとは違い上記の2つは捨てるのもを顕在化させる技術だ。

場所がなくても箱から箱の移動などでもよい。

あとは、片付かない場合は規格品の箱に押し込むといい。

同じ型のモノだから見た目は悪くない。

空の箱への移動時に捨てるのもが見つかる。

さて、能書きを書いていないで僕も捨てるとしよう。

モノの価値を考える。

引越しを期に物の価値を考えている。

 

捨てる基準にちかいかな?

 

とりあえず、本棚にある色々なもの(本だけでない)を数箱の中に入れることを考えて選別する。

目標は量的な圧縮。

コピーライター、メーカー宣伝部の宣伝マンだったので作品も多い。

 

残すものは

  • 辞書。
  • 好きだった授業のノート。
  • 自分の制作物
  • 写真の紙焼き。(ネガがあってもこの先現像するのかが不明)
  • 画材
  • 使っているガジェット
  • 読みたいテクニック集

どれも自分に関与するものだ。

自分が作ったもの。自分の思い入れのあるもの。心血を注いだもの。

 

逆に捨てるのは

  • 教科書
  • 白紙のノート
  • 雑誌のバックナンバー
  • 価値があると思ってとっていた雑誌

だ。

 

教科書

教科書は勉強する際にその際に最適な新しいものを手にした方が学習しやすい。また、数十年前の常識は既に変わってしまった部分が多く特に経営学などは古典的なことは置いておいてかなりの部分が今様なものに変わってしまっている。
古い話が通用しないから勉強をするのでファンであった授業以外は教科書は捨てる。

白紙のノート

白紙のノートは捨てる。
必要なら買えばよい。
スペースと労力の無駄は削る。

 

僕にとっての価値がなにかがわかった。

この基準がわかっただけでも収穫である。

今後買い物をするときなどに

「自分に関与するかどうか?」を尺度に買えば良い。

また、勉強をするにして「いま勉強しやすい、いま必要なもの」を買えば良い。

なんとなく契約しているWebでのeラーニングなどは解除してしまおう。

更に「将来使うから」とかってものは買わない。

 

商売的に考えれば

  • 将来使いそう
  • 勉強に使えそう
  • あなたに関わりがありますよ

って辺りが引きになるのかも知れない。
ただ、コレは、我に返ったときのものであり、遊興などの牽引する何かではないのもココロに留めておこう。

今回わかったのは

無駄遣いをしないメソッド

なのかも知れない。

心して物を捨て心して物を買おう。

遠野の駅前を歩く

確かに忘れてしまったふるさとという感じだ。
朝から庭いじりを黙々とこなし、コントラストの高い花やベゴニアがそこかしこに。

さして面白いことも無いからせめて雪の降らない季節だけでもと花を愛でるのか。

遠野を遠野たらしめている朝もやが晴れてくると、なんでもない普通な街が顔を出す。

カラスがゆったりジャンプしながら歩くそんな街。
朝6時に放り出されて7時を回ったとこだが特に何もする事がない。
メインのデジタル一眼は電池を充電台に残して出発してしまい、今現在重いだけの無用の長物に。

腹が減ったが飯屋がない。

なんとも言えないこの感じ。

困った。

なんと、抑えで持ってきたコンパクトカメラもテキトーにしか充電してなかったため電池切れだ。
朝7時35分にしてなにもする事がなくなった。
電車にでも乗るか?