色々なものがコロナで変わって

色々なものや価値観がコロナ禍で変わった。 外出制限 死生観が生活に絡むようになる 渡航制限 旅行へ行けない 店を畳む飲食店も多い イベントも集客過多のものができない オンラインイベントの定着 インバウンド需要の霧散 オーバーツーリズムへの嫌悪の認識 テレワークやテレカンの定着 出張が減る 営業活動がデスクワークに などなど。 dc.watch.impress.co.jp/docs/comic/clinic/1387186.html でも深刻な話題。 カメラ、趣味のツールを生きているうちに処分して揉め事を回避したり、趣味として価値のあるものを価値のわかる人の手に譲渡したいという話し。 終活なんて話しで俄にここ数年2018年くらいからこの手の話題は耳にするようになっていたが、コロナ禍で生死の境を彷徨う人が増え、コロナ陽性になる事で、その辺の整理が進んでいないと実際詰んでしまう人が多いようで、生還してきてホッとするって話をいくつも見た気がする。
手持ちの趣味の道具を減らすのが良いのか、価値の分かる人に道具を手渡すのもまた趣味としては面白いことだったりするし。逆に命尽きるまで好き放題やるのが良いか?
今僕がするとすれば使わなくなったレンズなどを処分する事だろう。僕の持っているレンズはキワモノがいくつも有るので、通常のカメラ屋は買い取ってくれないので、分かる人に買い取ってもらうしかない。 売る事、処分する事も趣味として…というカラーが強いから比較的呑気な状態だったりもします。
で、面白いところとしては、それらの雰囲気が一巡した事で、かなり世の中が小慣れた状態になってるなと言う事。断捨離みたいな勢いがなく処分するにしても上に上げた「呑気」くらいの頃合いで、やるかもしれないしやらないかもしれないくらいの強度、もしくは差し迫ってるならある程度するくらいの強度に。テレワークも夢のワークスタイルではなく、蔓延防止法が来そうな状況になると実施頻度を増してコロナ禍への対処、感染を予防する状態を柔軟にとるようになった。 更に言えば、リベンジ消費的なリバウンド、飲食店での馬鹿騒ぎは以前は有ったものの、オミクロン株への対応を見るに「はいはい、また波が来ましたね…」という位のレベル感で対処をする日常の事になってきたように思います。かなり、小慣れた以前声高に叫ばれていたニューノーマルが言葉を忘れるくらいにノーマルになり、スタイルとして定着してきたんだなと。そんな雰囲気になってきてるんだなと思ってたりします。
丁度シン・エヴァンゲリオンの使徒が訳の分からない数で来ていて「はいはい、使徒きたね…」くらいのノリになってるのが丁度似た雰囲気なのかな。何度も特訓したり、大作戦立ててた過去とは違う。もちろん対処自体は大作戦と同様のコストが掛かってるのだけど、小慣れた対応、日常として対処ができてる。のだなと。
そういうSF的な近未来の先にある世の中SF的な世の中の円熟期にいま立ち会っていて非常に有意義だなと思いつつ、対処を色々と考え中。
時間の使い方をこう言った思考に充てる事を今しておかないと非常に厄介な問題がやって来るのだなとも。
実は皆さん忘れているかと思うかもしれませんが、2023年問題は来年だったりします。日本の平均年齢が50歳くらいになるのかな?団塊世代がシルバー人材的な事さえ引退した世の中になりつつあると。
またその辺も別な機会に話そうかな?とは思いますが、現状の雰囲気をまずは書き留めておくところからという事で今日はこの辺で。