スマホが奪ったものは?
利便性と言う免罪符を持って生活に諸々をもたらしたスマートフォン。
実際にはすぐになんでも解決できる側面があり便利だが、なんだか砂糖菓子のように生活を蝕んでいる気がしたので考えてみた。
・様式美
・ロマンの喪失
・作業をする感覚
・隙間時間
・隙間時間の思考
とかではないか?
なぜそれが可能だったかと言うと
・懐に入るくらい小さかった
・速い通信が可能でネットと繋がれた
・ネットがとりあえずの成熟を迎え情報が有った。
・表示する画面が広く刺激的であった。
ある程度はガラケーのi-modeや京ぽん2あたりでなんでもできた訳だが画面サイズと可搬性のバランスが絶妙だったんだろう。
その砂糖菓子の原型をつくり世に広めたAppleのスティーブジョブズ御大にひとまず敬礼。
して、なんでも見つかりlineみたいなひとと繋がるツールが何が悪いのかということにシフトする。
・様式美
・ロマンの喪失
・作業をする感覚
・隙間時間
・隙間時間の思考
のそれぞれ解説だ。
・様式美
・ロマンの喪失
これは人間性の喪失に近い。
古式ゆかしい儀式を廃してショートカットできてしまう部分。
図書館に行って調べものをせず、ググレカス。
鶴の求愛ダンスよりスマホで出会い系だ。
なんとなくそれで足りてしまう現実。
知ると言う活動は本質にぶち当たることは実際はなく、無知である状況を少しだけ解消することに有るそうで、とりあえず知ったような気分になれるとこか。
んでまー、ショートカットも時短できて悪くはないのだし、もう戻れないくらい便利になってしまったんだけど、間違いなくショートカットの代償に思考やら探求する部分で何か重要なものを置き忘れてしまってるぞい。ということ。
いまスマホで手に入る答えは略式のもので、なにか実際には必要だった部分が置き去りにされてるぞということ。
そんな機微なことは重要じゃないとする向きもあるけど、ビジョンを示したりなにかを作る上ではとても大切なことかなと。
セックスは砂糖菓子だが童貞の想像力が引き起こす奇っ怪なまでのロマンには遠く及ばないというところか?
提供されない答えに対する探求は時として未知のクリエイティブを呼ぶという現実。
ドンキホーテが命懸けで風車に突っ込むのも人間性だなと思う部分が。
間違ってしまってはいけないが、面白さを失うことになるかなと。
で、精神性を考えた次は物理フェーズだ。
・作業をする感覚
・隙間時間
・隙間時間の思考
これ重要。
企画をする仕事をしてたので、ワークフローの簡略化をし、手仕事を早く正解に解決する作法を作るのは僕は得意だが、その際、現実の人がどれほど技術が有るかを見定める必要がある。
作業に慣れてるか、技術力は有るか?
残念ながら世代的に団塊世代と比較した際ガンダムとザクタンクレベルの差がある。
チートが多かった分手仕事におけるスピードがいまの人は無い。
逆に思考のネットとの親和性は高いのだが…
作業においては、あまり価値の無いことだ。
人海戦術を使う場合に必要な知識なのでとりあえず触れておく。
脱線もあったが続ける。
・作業をする感覚
についてはスマホが悪い訳では無いが、利便性が加速的に上がった分、実利が減っていることは重要かと。
効率が上がったが利益率が減るという感じかな。
・隙間時間
・隙間時間の思考
これが最近気づいたとこ。
暇潰し
という言葉が有るが、人生は生きるという部分を抜いたら暇潰ししかない。
人生をどうするか?
なんてことをまるっとスマホが引き受けてしまう恐怖たるや。
友達としゃべるのも、音楽を聴くのも、絵を描くのも、写真を撮るのも、本を読むのも、知らない景色に会うのも、知らない知識に出会うのも、大体できてしまう。
「隙間時間」が生まれることで何か起こるはずだった可能性をシャットダウンするわけだ。
となると
・隙間時間の思考
なんてものは、その便利なサイクルにハマっている最中は発生しない。
暇がクリエイティビティに重要な要素ならかなりの部分で作るひとには危機的な状態なのかもな。
とりあえず暇がなくなったのでとりあえず。