スマホから離れてみる

2015年7月10日のメモ

便利よさようなら。

仕事が忙しいからiPhoneもiPadも仕事場に置いて帰宅。

小さなPHSとiPod nanoをお供に終電に揺られている。

便利過ぎしかも少し足りないiPhoneからの隔離を推し進める装置Applewatchの思想を別な方向、方法で。

●変わったこと
・考える時間とボーッとする時間ができた。
・間があることは自然だよなと再認識。
・写真を撮らない日常
・写真が撮りたいと思う気持ちを再認識
・不意の写真を撮らなくなる。
・SNSへのポスト数が減る。
・夜長くやり取りをしない。
・天気や気温が部屋からでるまでわからない。
・傘を持ってくか考えるようになる。
・時刻表がわからない。
・検索したい時に検索できない。
・だが、それがいい。

●iPadセルラーからも離れてみる

iPhoneから離れしばらくiPadセルラー版を持ち歩き暮らしてきた。

ただ、その仕事で支給されてるiPadのセルラー版が僕以外の仕事、サイトの動作検証か何かで急遽貸し出しに。

また、その後ヘロヘロになるような仕事にぶち当たる。

・なにも持たず帰宅。
・iPod nanoが存在感を増す。
・完全なゆとり
・全能感の喪失
・ウキウキ夜更かし
・寝るのにメリハリが出てきた。
・睡眠含むアクティブトラッカーはジョウボーンUPを身につけている。
・睡眠の多くがiPadなどに蝕まれてたことに気づく。
・何かをしようかと心底考えるようになる。
・ヘイ・デイと距離が生まれる。

iPhoneは少しばかり小さくあり、iPadのセルラーがあれば最高!と自分に言い聞かせてきたが、iPadは通勤の間持ち歩き続けるには少しばかり重かったのかもしれない。
もしくは嵩張るのが問題か。
肩掛けバッグが問題か。
仕事でMacを使い続けたときと同じように究極的には求めるとこと少し違うようなそういう違和感がある。

Windowsではそこまで使い込むことはなかったのだから、そこまで悪い話ではないのだが、人間は贅沢なもんだ。