べにこさんの温泉巡りが凄そうだ。

クマグスという番組で取りあげられてた。
山田べにこさん。
8年間温泉巡りをしてる。
温泉、といってもかなりアレ気。
「僻地温泉」のオーソリティ?マニア?的な。
なかなか素敵な女の子ですが、スノーシューを履いて山道を行く姿は中々ワイルドでファンになった(笑)
詳しくはこちら

http://www2.ocn.ne.jp/~veniko/index.html

警報器www

東京メトロの駅に貼ってにあった
消防庁と映画『PUSH』のコラボポスター
主人公の手にはコラで警報器がwwwww
何かスゲー迷惑そうな主人公だ…
『PUSH 光と闇の能力者』ってそういうストーリーなの?
(超能力…だろwww 展開が熱くなると警報が鳴るとかwww)
よく見ると左後ろのおばちゃんが不審物に着火しようとしてる…(のか?)
消防庁、大丈夫なのか!

キンドルとiPadが何を殺すか?

電車に揺られ帰る道すがら、情報収集と話題づくりにとチェーンの古本屋で文庫を買い込んだ。
恐らくこの数年後にはチェーンの古本屋というのがヤラレるだろう。
●ニューウエーブを見極める
インターネットの次、ネット社会のステップ2が始動だ。
インフラが整い中身の流通が本格始動しようとしている。
新しい動きに合わせて、古いものの破壊も始まるだろう。
キンドルやiPadがまともに日本に上陸した場合、音楽でiPodがもたらした以上の破壊が生じるだろう。
・本屋がヤバイ
・紙屋がヤバイ
・印刷屋がヤバイ
・本の取り次ぎがヤバイ
・出版社がヤバイ
・BOOK・OFFがヤバイ
・サブカルヤバイ
●何がどうしてヤバイか。
ヤバイヤバイ言ってもディテールや、そのヤバさの出方がそれぞれ違う。
どこがどうヤバイかを軽く予想…。
(話は軽くないね…)
・本屋がヤバイ
リアル本屋はヤバイだろ。
雑誌はコンビニ。
単行本・新書・文庫は流通が簡略なキンドルやiPadに行くだろう。
既存の本屋はかつてカメラ屋(紙焼き屋)がたどった様な雑貨屋的な業体変化を経て朽ちるだろう。
一部デジタルデバイド向けの本が残るかもしれないが、流通出来なくなり朽ちるだろう。
(いま新聞配達が朽ちる最中らしい。某新聞社系列配達所が新聞各紙を一括で配達してるらしい)
・紙屋がヤバイ
雑誌もネット配信だ。
デバイスが出来て初めて紙資源フリーな世の中に成るのかも。
(返本が減ればなおエコだよな)
・印刷屋がヤバイ
大手はもう別業体、別なドメイン事業を見つけたりしてるが、幾つかの会社はヤバイんだろうね。
本としてはもう刷る必要が大きく無くなるわけだしね。
そういやeインクとか電子ペーパーって呼ばれてるものを15年位前、彼ら大手印刷会社に見せてもらったことがある。
あれから15年…自社で持ってる技術だが、ついに自分らの手ではパンドラの箱を開けなかったんだな…と残念な気にさせられた。
・本の取り次ぎがヤバイ
ネットの速さと安さには勝てないだろ?
権威崩壊で豊かな文化が生まれるんじゃないか?
・出版社がヤバイ
編プロ丸投げ、ライター無しなとこはヤバイんじゃ?
企画力や勘がある方はどんどん開業するだろうし、だから個人や有能チームは悪くないが社畜がうろつく様なデカイとこはオジャンとかありそうね。
・BOOK・OFFがヤバイ
売る本が無くなる。
音楽は未だCDがあるがあれはビットレートの低いMP3が主流になったからで、付加価値の少ない本は急速に無くなるだろう。
(CD屋もかつてのタワレコやディスクユニオンみたいなキラキラ感はなく色褪せた感が強い)
・サブカル?ヤバイの?
便利になるし同人誌も売れるようになりそう。
良いんじゃないの?
●だが実際は…
レコードがCDになりMP3になったがレコードもCDも無くなりはしない。
だから紙の本もなくならない。
デジタルデバイドや貧民、もしくは解雇主義者や局地においては紙の本は残るだろう。
まぁ何割かはデジカメ襲来における紙焼き屋みたいな廃業を迫られる業体もあるだろうが、世の中それほど急激じゃないし世の中それほど残酷でも無いかなと誰もが経験的にこの20年位で潮流のうねりについては学んだのではないか。
(壊れていく既存環境をうまく乗換えれば良い)
斜陽産業と言われた広告屋だってこんなに忙しく働いているんだしね。(いま帰宅の徒)
●本当に壊れるものは
何も産業の衰退を煽っている訳ではなく、
一方では勘の良い編集者みたいに稼げる様になるやつも出るはずだという明るい話もある。
しかもどこもそれほどクリティカルじゃないし。
で、本当にヤバイやつらは出てくる。
●本当にヤバイヤツ
本当にヤバイヤツは…
サブカルの連中だ。
「お宅」と呼びあってたトラディショナルなオタクは今の40位が最後の世代だと思うが、ネット全盛を迎えぬるいオタク(消費者・品評家としてのオタク)は増えたが、探求心や創作に花をさかせ作り出すオタクはいないようだ。
コミケやワンフェスの卓に座るメンツが年々平均年齢を上げているというのだ。
つまり、品評や批評、収集はするが創作をしない消費者が増えてるだけで作り手がいない…と。
サブカルはメインカルチャーとは違う論理で進むものだし、独自性を求めて地を這うのが楽しいものだが、どうやらある年以降そうはなっていないようで。
それがネット全盛元年の1995年あたりにあるのでは?
他にはアダルトものもインフレ化してるし、こちらもサブカルではなくなり、LANケーブルの先に転がるものになった。
音楽もベストテンやトップテン、カウントダウンTVではなくLANケーブルの先に転がるものになった
つまり…少々短絡的かもしれないが…ネットにより広められ、開拓(既存ビジネスを蹂りん)された分野は急激に魅力を失い平坦でビジネスをしにくい世の中になっていくのではと仮説がたつ。
(例外的に写真趣味は繁栄してるように思える。そこには、デジカメができて写真がたのしくなくなった部分も何割かはあったのだけど、写真がネットやデジタルと相性がたまたまよかったからだと思える。)
●さらば文学…
キンドルやiPadが出てきて始まるのは本に関しての文化やサブカルがヘタることが起きるんじゃないか?ってこと。
なんとなく手軽に、文壇のオッサン方に媚びなくてもAmazonに作品出せちゃう、権威やレベル感が希薄になってどんどん本の様なものが出るわ出るわ…
権威や実力などある種の壁があって水準が出来ていたが、これからは違う。
ネットでは拍手や☆でぬるい評価がきまる、しかも品評は価格コムみたいに声を出したヤツの量で決まったりする。
(工作員が流行るな…)
●あたしカノジョがあるだろ?否。
すでにケータイ小説が売れているが、あれはケータイで読むから楽しいスナック菓子だ。
キンドルやiPadなど本の代替デバイスがキチンとできた以上その内容は本に近いそれになって行くだろう。
本格的にキンドルやiPad向けの文学が出てくるということだ。
●船出
キンドルやiPadに踏み荒らされる人々もそうでない人々も、どうせ進む道だし
それならひとつドンと進んでみませんか?ってね。
文学系カルチャーがぬるくなると僕は予想しますが、そんなのどこふく風。
新しいデバイスや新コミュニティには新しい遊びやイノベーター同士が作る面白い世界があるからぜひぜひ突っ込んでみようじゃ有りませんか!
なんてちょっと持ち上げてこの投稿は〆るとします。
キンドルは本として成長するだろうけど、iPadはどんなものになってくんでしょうねー

東京発エロ漫画禁書化?

盛り上がってまいりました~。
マンガの中の児ポ規制を東京都が頑張りたいそうで…。
エロの流通が乏しかった昭和ならPTAとか分かるが、
現実の10代のぶっ飛び加減からすると、
別に架空の書籍の話しだし、いいんじゃないの?とも。
そもそも、ネット全盛の状態で情報規制をしくってのなら
ポルノの根絶にもっと精を出すべきでしょ。
(本屋に行かなくたって、家のLANの手前までポルノウヨウヨだ)
●日本・東京の伝統芸を根絶?
輸出できる商材の頼みの綱がアニメとか漫画とかっていう
日本のお家芸のファームを根こそぎ破壊使用って計画ですね。
(エロは金になるから若手が多いって言うのもあるそうで。)
まぁ、子供作っといてエロは禁止ってのもどうなの?
とかいうと、いろんな方向から色々言われそうですが、
産業こそ正義ではないが、妙な規制を設けると、
今度は東京が死滅するような気がするので、
早いとこ取り下げたほうがいいんじゃないかとおもいます。
(石原の息子のために税金でワンダーサイト作ったり、
 こんな条例をつくろうとしてみたり東京都は狂ってるなぁ。)
まぁ、オタク文化を潰して太陽族(けっこーヘンタイ)を
復活させたいのかわからないが、石原さんもっと他にもやることが
あるんじゃないのとか思ったり思わなかったり。
都に何か別の理想があるならそれを一度掲げてみるのも
いいんじゃないかとたまに思う。
その大きな目的があって、ディテールを進行するなら分かるが、
PTAが言ったから的な話がまかりとおると、色々ねじれるでしょ。
●脱東京?
都は今回の政令案が通っちゃったあと、規制後にどんな経済効果が
あるなんて全く考えてないだろうし、それ以上に責任と労なんて
これっぽっちも思ってないだろうしな。
法人税高いから日本を出て行く大企業も多い昨今ですが、
規制が多ければ東京を離れる作家も多くなるんじゃないか?
売るのも買うのも作るのも駄目だと、本屋がつぶれるなw
(サブカル漫画屋消滅→客足消滅→経済圏消滅→東京衰退w)

バンクーバーオリンピック「男子ショートトラックリレー5000m(団体)」がやたらに熱い件について

スケート、ショートトラックの5000mリレーが熱い。
アルベールビルの時もたまたま見た覚えがあるが、東京ボンバーズのいたローラーゲームそのものだ。
(ローラーゲームって流行ったの?)
一人何回滑ってもオーケー。
一周半ごとにタッチ。
写真の通りレースはかなりの混戦だ。
もうグシャグシャ。
そんななか、競輪のような駆け引きがあり、一周半タッチなので短距離の華やかさがある。
そして何よりショートトラックならではなくるくる回る感が素晴らしい。
地元カナダが金になったので更に盛り上がったが、オリンピックらしい力と力のぶつかり合いでなかなか楽しい時間だった。(ものの5分位かな?)

回ればイイってもんじゃないだろ。

HDDレコーダーがレコメンドで勝手にオリンピックを録っていた。
フィギュアスケート。
浅田?キム?
否。
HDDレコーダーは中々俺の好みを突いている。
アジア人は安藤しか写ってない。
フィギュアスケートなんてのは回ればイイって競技がマッシブな方に行ってるが、回ればイイってもんじゃないだろ?
大技が全てな、一発狙いなフィギュアスケート…
何か綺麗じゃないし、楽しんで見てられない。
「70点が欲しい!」とか、何か変な感じだ。
個人的にはジョアニー・ロシェットの魅せる演技がお手本の様に凄かった。綺麗で早く、ノリが良く見ててドキドキさせられる。
ラックンパルシータ、タンゴにのせて涙しながら大歓声の中集中し成果を発揮した感じ。
(母親が他界した失意の中の演技だったらしい…)
あと、アメリカ人女子高生全米チャンピオンのレイチェル・クラットが楽しそうな引き付ける滑りをしてたと思う。
見応えがある滑りってのはイイと思うんだがね。音楽とのシンクロ率や幸せな感じがリンクに漂う感じ。
スイング・スイング・スイングが中々似合ってて曲と動きの楽しさが見えてよかった。
エキジビジョンで見せる笑顔やダイナミックさが出てくるような競技に変わると
フィギュアスケートも人気になってくんじゃないかな?って勝手に思う訳です。
僕はフランコ・ボナリーが好きだったなぁ。
(ダイナミックで伸びのある演技が好きだった)

とぃってr

ツイッターとカタカナで打てばいいが、
とぃってrwww
「といっれり」ってのはなんとも間抜けな感じですね。
と言ってり。
「いってい」+「た」の過去伝聞…?あれ?
意外とTwitterのコンセプトに似てねーか?
にてないか。
意外と響きが似てる中国語と日本語の相似とか
中国人と盛り上がってたことがあるんだけど、
洋の東西をとわず、何となく似ちゃうことって
あるのかもしれませんね。
twitterって、小鳥がささやくTwitの派生系だっけ?
日本だとチュンチュン野郎とかそんなところなのかな?
なんかあんまりカッコよくないなw

“焼とり居酒屋で成功する本―焼きとり調理も、焼とり居酒屋商売も、この一冊でOK! (旭屋出版MOOK)”

久保田利伸氏のマサラ風

最近NHKの「君たちに明日はない」にカメオ出演したり久々に元気な感じの久保田利伸氏ですが、ディスコグラフィーがちょっとインド風。(なの?)
世界の感心はアメリカ→インドな感じだからオール桶?
(ブラックな感じじゃ…ないよなぁ。)

ジャンプは読まないぞ。という強がり

昨年ジャンプを読むのを止めた。
買う、買わないは別としてコンビニに行くことすら止めた。
いまは、段々効果が出てきてる。
元々シゴトのネタにと思ったが、シゴトに活かせたかは不明。
で、なぜ読むのを止めたか。だ。
理由はかんたん。
・コンビニで使う金がもったいない
・時間がもったいない
・ジャンプ読むとサンデーも読みたくなる
・コンビニに寄ると太る
・寝不足助長
などだ。
ジャンプをはじめとした漫画の効用は
・笑い
・爽快感
・充実
・次回が見たい中毒
・コンビニの繁栄
・メタボ助長(カロリーの効率的接種)
・話題
・仕事のカット割り考察
・現実逃避力
・エロ
・ジョークのネタ
などだ。
漫画は一種の現実逃避であり、時にはツラい現実に対するセラピーにさえなる。
(バッドエンドは打ち切りくらいだし)
ただ、そういうのは今の僕には要らない。
(笑いとエロは要るが…)
そうすると、連鎖的に得るものがある。
上に上げた項目の裏返したちだ。
もっといろんな素敵なことが世の中にはあるし、仕事の過酷さにも耐えるそようはある。
向き合う現実としっかり対峙する、その意気込みをシャープにするうえで邪魔にさえなる。
だから、ジャンプはやめた。
ジャンプに悪気はないし、ジャンプは良いものだし、ジャンプには世話になった。
だがいまジャンプは要らない。