年賀状ってのは巧妙な手口だね。

年賀状ってのは明治の頃に郵便を使う習慣ができて始めたとかなんとか。
手紙を出すのは余り得意じゃない。
宛名が増えたり住所が変わったり、ケータイで繋がってる人とローテクでこんにちは。
本来は郵政のサービス維持の資金源として開発された、日本人のソーシャル感を巧みに利用したサービスなんだけど、企画者の意図を離れ今に至る。
ネーミングと大衆を巻き込んだ習慣の妙だな。
(村八分を恐れさせソーシャルの輪に取り込む)
年賀ってのは手土産持って人が挨拶するもんでしょ。
ゃ、起きたら書きますとも。

今年総括。

総括?
まぁ、ひと眠りしてちょっと考えれば何か出てくるかな。
チャレンジしたつもりだが、自分にとってチャレンジはあったか?
仕事でコンペに勝ち続け…何かイイことあったか?
クライアントは僕の仕事を讃えるが…
仕事だけだな。
私生活は悪いことは無かったがイイことは…
絵を描く、好きな娘を探す、友達と話す、まぁ悪くない。
前に好きだった娘もなんか幸せっぽいのを掴んだみたいだし、それも悪い話しじゃない。
好きだった娘のイイ話しは喜ぶべきだよな。
複雑だが。
いま、朝の4:30だしそれほど冴えたアタマしてる訳じゃないからよく分からないが、僕が動かないと何も始まらないのは昔も今も一緒だね。
ノロノロと世界の対流が僕の周りを流れるだけ。
そこには何も得るものは無い。
目標をきちんと作って
アクション有るのみかな。

カスガイとか

子はカスガイ。
…って訳じゃ無いのか?
不思議なもんさね。
まぁ、そういうのは確か前に乗り越えた山だから、持ってかれる心は今は既にない。
自分にも近い将来、幸せとか子供とかそういうのができたりするだろう。
そんときは子はカスガイだろ。
好きな女と自分の子。
中々楽しいと思うんだが、
そういうもんだろ。
違うのか?

Pentax、K-x購入。

2005年あたりから使い続けてきた*istDsでの撮影がなんとなく張り合いが無く感じられたので買い増ししてみた。
張り合い無い感じは
・古くなった
・画素が600万画素
この二点に尽きる。
K-mがCCD機最後の名作と言われるところもあるのでK-mを買いにフジヤカメラに行ってみたのだが、良い弾が少なく断念。
レンズ売却だけして帰ろうかとも考えていた。
売却したレンズはキヤノンのEF100マクロUSM無し、EF70-200、EF50F1.8といったところ。
査定待ちをしてたら良さそうなK-xが目にはいった。
K-m
K-x
K-r
近年のシリーズは型も特性も似ているが、特に今年のK-rは評判が良いだけになぜK-x?と言う気もする。
自分でも「なぜK-x?」と一瞬。
K-mは素性の良いCCD。
K-xは現時点単3直刺し最終機。
K-rはAFと連写の高速化、えスーパーインポーズ付き、AF補助光つき…だが単3にケースがいる。
単3ケースが要るってのは旅行カメラとして不十分だ。K-rはCMOSも高性能化してるようだが、なんとなく違うな…と。
レンズを売っぱらってハイになっていたとこも有るけどイイ買いものをしたと思う。
(と共に次のエントリー機、もしくは旅用一眼は単3直さしを願う)
実は年に3〜4万ショット撮り続けており*istDsは2台目でさすがに3台目はないな…と言うのが本当のとこ細かいインプレは撮影したら出してきます。

年末だ

福島あたりじゃ雪で偉いことになってるらしいね。
なんとなく雪深いとこに住んでた娘さんとかあこがれちゃうけど、
それはそれで洒落にならないらしいし、
農家に婿入りとか考えた時期も有ったが、いまは暖かいとこがイイです。
で、年末になると思い出すのが「傘こ地蔵」の話しですね。
「こちとらオマンマ食い上げだぁ!」
と言った感じが年末になると脳裏をよぎり、
思わず傘ならぬ使わなくなったレンズを背負ってフジヤカメラに向かったりしたわけですが…
なんとも、あの貧乏話しを明るい将来を担う小学生に刷りこむ意味が分かりません。
(あと垢太郎な…)
残念ながらレンズを担いで駅に着くまでフジヤカメラは営業時間を15分残すのみとなり実質タイムアップになってしまった。
(そして、いま12時をまわったこの時間もレンズをもってウロウロなう)
家にオイラを待ってる嫁っ娘も居ないので、途方に暮れながらファンタを飲んでウロウロしてたのだけど、傘地蔵相当のキヤノンのレンズを供える相手、100mmマクロレンズを欲しがるカメラ女子とかが現れなかったのでした。
( ´-`).。oO(…現実は傘地蔵より厳しいのですよ!)
等と勢い、ココロの中で叫んでみたりしたわけですが、明後日あたり傘地蔵リベンジをしなきゃならんかな…と。
まぁ実際には正月を迎えるために…という目的ではなく、新しいカメラを買うために防湿庫の整理を兼ねて機材のアップデートをしようとレンズの売却を考えたんですがね。
年明け早々に連休がとれそうなので青春18きっぷでも買って温泉でも行こうかなとかね。
まとまったお金が無いからバナナで持って素泊まりかもしれんけどw
(コンビニ近くでカメラ持って野営とか…星がキレイならありかな…)
ユースホステルは団塊世代がウザイので行きたくないし…何か旅行しずらい世の中になったよな…
(お金があればオーストラリアに行きたかったがジェットスター分が出ません)
と、とりとめもない話しですが、リア充以外の人にもいい年末年始で有りますようにと願いつつ。

ニュースサイトのパーティーに行ってきた。

水曜日にメジャーニュースサイトが開催したパーティーに仕事で行ってきた。
私服が7割、スーツが2割サンタ5%と言った感じで開場から一時間で入ったが、人大杉。
クラブなんかと違い開場少し前くらいに行くべきだったかなと反省。
パーティー自体は寿司詰め状態で中々話しをする環境になってなかったのと、場にいる人種がまた少し違う感じだなーと。
初対面と話すひとが少ないようでボッチの大集団になってた…
そんな訳でメインMCが始まると皆そこに集合してたちすくむ感じ。
うーん、なんとも。

ロディアとWX320KR

一年前まではロディアでアイデアメモをとっていた。
黄色なカバーで厚みがあり幾ら書いても減らない安心感があった。
ただ、僕はフリーハンドはテキトーなのでロディアにあるグリッドは全く意味がなかった。
今朝急な電話で起こされ、シャワーを浴びて考えごとをしたあと
(僕のアイデアはシャワーと大江戸線の下り階段を歩いて降りてるときよく出てくる)
メモをとろうとして両手に非常な違和感を覚えた。
左手がロディアを持とうとしない。
それどころか左手はガラケーを持ちたがる。
左手が積極的にメモをとりたいと主張する…。
一年前くらいからいまこの文章を書いてるWX320KRというガラケーでアイデアメモをとるようにしている。
ペンで書くより遅いし、キーボードよりも遅いけど、ペンで書いてデジタル化するよりは速い。
キーボードで書くよる面白く破壊力のある言葉が出る。
また、左手単体でガシガシ書けるということで話ながらでもメモがとれる(ブラインドタッチも可能な)くらい使い込んでいる。
iPod Touchも会社から借りて持っているが、やはりこの文字打ち感
〜ボタンが存在する事実〜
にはいまのとこフリック入力は勝てないとカラダが応える。
あとアイデアを出すとき左手を使って考えられるというのは非常に有意義なのかも知れない。
右脳がバキバキ動いてるのが分かるくらいだ。
ロディアにはいくつかメモしたけどアイデアフラッシュというより、事実の記載や書き置きに過ぎない。
アイデアを引き出すにはいまのとこWX320KRがベストなデバイスなのかなとも。

地下鉄に大画面

地下鉄に42型の大画面モニタが設置される模様。
多分広告流したり電車の運行を表示したりするんだろう。
大画面?いまさら42インチが大画面か?
という話が有るくらいデカイモニタは普及したようだが、テレビは昔ほど騒がれなくなった。
(今日あそびに行った家のひとも5組の家族みんな大画面らしい。)
チャンネルが多くなるとマス媒体としての効果は薄れるしなんだか大変だなと。
(番組も低予算になるし大変)
画面がデカイとなんだか疲れるし、けされる時間も長くなりそうだよな。
iPadみたいなタブレットはそれらのユリ戻しなんだろうけど、デバイスが増えても人は増えないからダイナミックでない世界がドンドンできてくるんだろうね〜