スケットダンス見てたら模試の話だったんだが、模試ってよくよく考えると変な名前だよな…
テストをするための模擬テスト
テストのテストだぜ…
そもそもテストってのも変な名前で、覚えたかどうか、理解したかどうかの確認であり、生徒は周囲から理解をしたか常に試されて居るわけだ。
つまりそこには信頼など無い訳で…
でそのテストが入試になったりするわけで、勉強するために入る学校に入るために試される訳だ…
入学先は教えてもいないのに、学習品質が満たされているかを選別するテストをするわけだ。
(しかも多くは学校では習って無い部分、予備校でしか習わない部分もあったり、既にテストですらない)
テストってプログラムが走るかどうかとか社会にでると随分意味合いが変わるけど、よくよく考えるとなんとも凄い選別されまくって生きてきたんだなぁ。
でも、模試ってやっぱり変だよ。
テストのためのテスト…
王の中の王とかってレベルを越えておかしい。
みんなそういう可笑しな状況を乗り越えて来てるんだなぁ。と感慨。
(あまりにも、一般化しすぎて不思議に思わないのが多い。)
世の中にはそんな不条理な名前がまだまだ有るような気もする。
西新宿らしいビル、武富士ビルが解体されるらしい。
栄枯盛衰、80年代〜90年代を代表する会社、武富士。
武富士ガールズによるダンスなどは結婚式の余興などに引っ張りだこだったかと。
その武富士が持っていた西新宿にある自社ビルが近く解体されるようです。
札束を重ねた様なビルの外観は、お世辞にも美的なものとは思えず一種異様なさまを露出していました。
まぁ、他の会社が入っていれば札束なんて連想されないのかも知れないけれど、取り壊されるというのはなんとなく宿命的なものを感じます。
札束の様なビルだって?と思う方は解体前に一度ご覧になってみては?と思います。
あんなもんは二度と建たない気もします。
(新宿には札束とか軍艦とかゴジラてか都庁とか変な形の建物が色々建つよなって思います。)
数独ハイ。
連休前から数独にハマっている。
元々は上海やズーキーパーなどから始まり、今では数独ばかりやっている。
ルールが面倒そうなため、初めは躊躇していたがiPhone様々だ。
ほぼiPhoneは数独マシンと化していて、数独をやり過ぎてゲシュタルト崩壊を始めたときや数字がなんだかわからなくなるくらいやっているとき以外数独。
極々たまにズーキーパーもやるけどレベル9位でダメになるので進化が感じられないからズーキーパーはそこまではやらない。
時折2ちゃんを見たりするととんでもなく新鮮に感じる。
丁度、数独をやっている時のトランス感はピンホールをやっている時に似ている。
こんなこと何になるんだ?
と思う位意味の無いことだが、頭が冴えてきたり、タイムが縮まったり、あと考えかたの転換や、展開の読みなどがなんとも企画をしている時のように面白い。
企画自体はやたら深堀をしたりお客様のイメージする成功を形にしたり色々展開を考える必要があるので息の長い長考になる。
対して数独は予定調和の答えのある数式みたいな一枚の世界だから遊びとして楽しめる。
また企画は依頼相手がいないとスタートできない部分もあるし、関わる人をみんな幸せにしたいという気持ちと、依頼されたからにはプロジェクトを成功させる必要がある。
僕は依頼されて期待され対価がでる以上プロだからそれらの思いに応える義務がある。
多分時間が無い中でぶれないのは、尋常でないプレッシャーだし、とてもヘビーなことだ。
(仕事だからヘビーで当たり前)
でも数独は軽い。
数学のえげつない問題に近いけど、受験関係ないから普通に楽しい。
(Z会の高校時代の数学やチャート式は3日掛けて解いたりパズル的で楽しかった。数独と同じ匂いがする。)
物事には向き不向きがあるが、気軽に付き合えるイイおもちゃがてに入ったということだろう。
いま、中々ハッピーな気分だ。
贅沢
深夜にカップラーメンを食べる贅沢。
草枕の画工に思う
夏目漱石の「草枕」
主人公の画工は絵を描くことを仕事としながら
最後まで筆を取ろうととしない。
中学だか高校のやりたい盛りに読んだとき、
その煮え切らない状態に憤りさえ覚えた記憶がある。
が、今ならなんだか話が合うというか、
描けないでいる気持ちにも理解できるようになれた。
どちらかというと、あの画工はモデルが気分になるのを
したたかに手ぐすね引いて待っていたんだろう。
それは作為的な行いではなく、習慣的にかつ動物的感覚で獲物を取りに行くような習性的な感覚…。
そこに関しては僕とは少し違うかなとも。
どちらにせよ絵なんて描けと言われて生産的に描いてくものじゃないし、美術の時間が毎週有るわけでない学生以外のポジションの人になると絵を描く理由やタイミングのようなものを失うことが多いようで。
プロの絵描きなら、描いていない間は失業であり充電期間であり構想期間であり、とにかく難しい問題に直面するわけで。
画工に関しては「萌え」のポイントこそ押さえてあったが、絵のプロとしての生活感が希薄で漱石の旅行を見てるようでつまらなかった。
(小説家の日常に興味はない。)
草枕の画工は画商に売り込みに行くなり、個展を開くなりするのだろうか、絵描きが主人公の旅先での物語ということで、その絵描きという魔術的な響きを持つ存在の生活を垣間見るようで非常に興味深かったのだけど、夏目漱石はあまりその題材を料理しつくせなかったように思う。
もしくはそういうディテールを隠してモヤモヤさせるのも計画の内か?
生活感の無い人たちの生活部分をもう少し見せて欲しかったところもある。
蓄積が求められるわけだ。
ヤバい状況を喉元過ぎればなんとやら…
な〜んて考えていると更にヤバい感じになるっすよね。
ベストプラクティス的なものっては、自分の真剣な立ち回りの末に出来るものだなと常々思う今日この頃。
(たとえ誰かの真似だとしても、真剣に真似れば身に付きますね)
一事が万事ってのも有るし
ウマイことやる人はどんどん良い経験が積み上げが増えてく。
(でも、若いうちの経験は買ってでも…ってのはウソで、好きなことで経験を積む方が後で重宝されます。)
良い悪いを別にして、自分の歩んだ道、色々な出来事に学ばない人は経験が蓄積しません。
だから、面白いように、また同じようなことになる訳で。
(このサイクルは、かなりの脱出スピードで飛び出さないと抜けられないうえ、脱出後に自分の癖的に元に戻る可能性がかなり高いから困りもの。喫煙者の禁煙の取り組みに近いのかも。)
抜け出る方法は外圧に寄るところが大きい。
(パートナーの働きかけとかね)
この年齢になると経験が求められる、つまりは少なくともヤバくならない方法を求められる。
いまは企画屋としては、そういう蓄積のさらに「質」と「アイデア」の部分で勝負をしている訳で、自分を磨くことにもうちょっとアタマと時間を割きたいなと思ってみた次第。
おぉっと、これこそ一事が万事かな?
気づけば金曜日。
時間は決まって進んでいく。
好みの連鎖
美味しいものについて話すのが好きな人は、旅行好きなようだ。
Google+での話しだけど「#ごちそうフォト」に参加してる人は旅行者が多い。
旅先の楽しみと言えば確かにご当地の食事だしね。
あと、能動的に美味しいものを探す人は出歩くということかもしれない。
充電人生
「飯を喰って糞をするのが人生」
なんて話しを聞いたことがありますが、旅行に来て解るのは、現代では少し違い
「充電をするのが人生」
という感じになっているかと。
ケータイ2台にカメラ一台持っての旅行なので充電の頻度は自然と高くなるもの。
カメラも銀塩の頃は電池なしフルマニュアルのものを使ってましたが、いまはエネループで動く一眼レフを使用。
意外とエネループは持ちが良いが、それでも充電は必須。
今夜自宅についたらまずやることはiPhoneの充電だろうし、HONEY BEEの充電だろう。
多くのものが小さく持ち出せるよう、便利になった分、人は充電から逃れられなくなったのではと思う。
ニートもOLも高校生もばーちゃんも、みんな充電してるんだしさ。
春だしな…
ポンポンつきスキー帽をかぶったグレーずくめのじいさんが(・∀・)ニヤニヤしながら歩いて行く。
飯田橋は不思議な街だよな。
おらワクワクしてきたゾ!
ナ、ナ、ナースプラザぁ!!!!