映画を見るためiPad Pro12.9インチを買った。 #apple #購入

iPhone以外で久々の大型出費。

iPad Pro12.9インチを買った。

40インチ前後のテレビとiPad Pro12.9インチのどちらを買うか。
非常に迷ったのですが、結果としてiPad Proを選びました。

Amazonやhuluなどでストリーミングで映画を見ることになるので、テレビを買った場合、別途セットトップボックスが必要になるのと、大きなテレビがあることでほかのやりたいことの手が止まらにようにと考えた。

テレビは生活を潤す意味では悪でしかない。

iPad Proの大きいほうを選んだのは、大きいことはいいことだから。

また、12.9インチ以上があっても、サイズ的にも重さ的にも限界という気がする。

上の画像と同じ、32GBのスペースグレイを買った。

シルバーやいつも買ってるゴールドでないというのは少し理由がある。

量販店の店頭で触ってもらえばわかるところなのですが、映画を観ようと思ったときの没入感が、決定的に黒いベゼルのほうが大きいことにあります。

ですので、ベゼルが白になるゴールドやシルバーは選択から外れた感じ。

iPadはほかにも用途がある。

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スマホから離れてみる

2015年7月10日のメモ

便利よさようなら。

仕事が忙しいからiPhoneもiPadも仕事場に置いて帰宅。

小さなPHSとiPod nanoをお供に終電に揺られている。

便利過ぎしかも少し足りないiPhoneからの隔離を推し進める装置Applewatchの思想を別な方向、方法で。

●変わったこと
・考える時間とボーッとする時間ができた。
・間があることは自然だよなと再認識。
・写真を撮らない日常
・写真が撮りたいと思う気持ちを再認識
・不意の写真を撮らなくなる。
・SNSへのポスト数が減る。
・夜長くやり取りをしない。
・天気や気温が部屋からでるまでわからない。
・傘を持ってくか考えるようになる。
・時刻表がわからない。
・検索したい時に検索できない。
・だが、それがいい。

●iPadセルラーからも離れてみる

iPhoneから離れしばらくiPadセルラー版を持ち歩き暮らしてきた。

ただ、その仕事で支給されてるiPadのセルラー版が僕以外の仕事、サイトの動作検証か何かで急遽貸し出しに。

また、その後ヘロヘロになるような仕事にぶち当たる。

・なにも持たず帰宅。
・iPod nanoが存在感を増す。
・完全なゆとり
・全能感の喪失
・ウキウキ夜更かし
・寝るのにメリハリが出てきた。
・睡眠含むアクティブトラッカーはジョウボーンUPを身につけている。
・睡眠の多くがiPadなどに蝕まれてたことに気づく。
・何かをしようかと心底考えるようになる。
・ヘイ・デイと距離が生まれる。

iPhoneは少しばかり小さくあり、iPadのセルラーがあれば最高!と自分に言い聞かせてきたが、iPadは通勤の間持ち歩き続けるには少しばかり重かったのかもしれない。
もしくは嵩張るのが問題か。
肩掛けバッグが問題か。
仕事でMacを使い続けたときと同じように究極的には求めるとこと少し違うようなそういう違和感がある。

Windowsではそこまで使い込むことはなかったのだから、そこまで悪い話ではないのだが、人間は贅沢なもんだ。

ワイモバイルをやめるか?

ワイモバイルやめるかな?
DDIポケット、ウィルコム、ワイモバイルとPHS一筋でしたが、PHSに見切りをつけて、格安SIMに行くか検討中。

ワイモバイルのSIMにPHS回線を載せ変えるのも悪くはないが、SoftBankが嫌いなので変えない方が幸せかな?と思っている。

乗り換え先はNTTデータのOCNにしようと思っていたがマツコ・デラックスが嫌いなので迷い中。
三木谷も嫌いだし中々困ったものだ。

iPhoneSEに乗り換える。

iPhone6Sを売ってiPhoneSEに乗り換える。
iPhoneSEは手に入り使い始めている。
iPhoneはiPhone6SからはSIMフリーにした。
現金一括。
誰にも縛られないこの自由。

だが、保険であるAppleケアには入ってない。
だもんで、壊れてない今のうち、できるだけ新しいうちにiPhone6Sは売り払う必要があるわけだ。

iPhoneSEは本来iPhoneがそうあるべきサイズであり、iPhoneSEは手のひらに収まり非常に気の効いた端末として動いてくれている。

まぁ、電池が持てばね。

電池はiPhone6Sより持つがその分充電をテキトーにするようになり今ほとんど電池がない。

また、これを期にワイモバイルかPHSのどちらかをやめようと思う。

PHSは新しい端末が出なくなり予測変換がうまくない。

そして、荷物がひとつ増えると言うのは意外と負担だと思うようになってきた。

もう少し身軽になりたい。

iPhone6Sも良い端末だったが、手のひらでの握りが悪く、そして、重かった。

PHSをなぜ愛用してきたかと言えば、70gくらいで小さく、物理キーボードが着いているからだ。

物理キーボードはよい。

ブラインドタッチも思いのまま。

ただまぁ、iPhoneSEも110gくらいだし、手に収まりすごくミニマムだ。

iPhone6Sと違いタッチIDも古いし3Dタッチも無い。
これは少しマイナスだが、あとは現存するiPhone6Sとほぼ同じだ。

軽い上着、軽いカメラ、軽いザック、軽いケータイ。

僕自身少しばかり軽くなったし、持ち歩く電話をiPhoneにまとめたって悪くないなと。

あとは、電話回線をどうするか?

それが問題だ。

iPhoneとiPad、スマホとタブレットの使い分け。

スマホとタブレットは同じような機能も有るし、同じ感じに使うこともできる。(iPadセルラー版なら)

使い分けどうすんの?とか聞かれる事もあるが、Appleとかでさえ、提案ができない状況だけど、iPhoneとiPadの違いがどんなものか大体わかったので書きとめておく。
特にこの事実がわかった事はApple Watchが存在する意義の在り方とおおよそ等しく大きい。

●iPhoneについて
知らせを見てリアクションをあげる。
リアクションはそれ程長いものでない。
コミュニケーションツールとしての性格が濃い
というのが特徴。

●iPhoneの使い方
電話もついてるし、耳元に持ってきてもよい大きさと言うのは至極適当。
今このテキストもiPhoneで書いているが、メモを取る、アイデアフラッシュレベルならiPhoneでいいだろう。

●iPadのについて
画面の大きさを活かしたコンテンツの閲覧に効果を発揮する。
考え事や読書に向く。
大きいため持ち歩くのには適さず、代わりに電池も潤沢。
メデイアプレイヤー、ないしはコンテンツの起案に向く。
また、テキスト作成など、長文を書く際は大きな画面の方が前後関係の難しさなどがある場合適切な対処ができる。
小さな画面は没入こそすれ、前後関係など、関係性の把握には向かないところがある。
iPadはギリギリ状況把握など長文作成に向いているサイズだと考えられる。

●iPadのオススメの使い方
オススメの使い方としては、iPadにはSNS系のアプリを入れず、Safariの活用やKindleを中心に使うとよいようだ。
ブラウジングや読書が通知センターの動きに汚されないので、本の中身やアニメの良し悪しが頭に入ってくる。

禅の境地ではないが、雑音があまりにはいってこない環境が簡単に作れるのでとても気分が良く長時間使える。

また、デスクトップPCやノーパソと違い外に軽く持ち出せ、寝転がりながらも使える。

スマホとも違い目を離して見ることができる画面サイズがあるから、長時間見ていても目が疲れない。

●Apple Watchについて
リマインダーとしての存在。
アクションのトリガーにはなるし、カメラなどのモーションセンサーが増えることで、ヘルスケアを含む生活にゆとりと新しい次元をもたらすのかも。

iPhoneとiPadに限らせてもらったのは、どうもタブレットの浸透や普及に対してアンドロイドではアプリも文化も違和感を感じるから。

●まとめ
デバイスの画面サイズに合わせ
画面小←→画面大
【即時性と知覚←→鑑賞と論的思考】
と考えてはと思う。
画面の大きさに合わせ情報の粒度と対応時間が違うと考えておくとよい。
(4インチiPhoneとiPad Proなどの差が開く取り合わせなら更にその存在意義は明確になるものと思う。逆にiPhone 6S PlusとiPad miniでは差が埋まるため、双方を分ける理由は通知センターの設定違い位しか差はなくなるのかもしれない)

PCにはない概念だけど、PCは登場段階で他に選ぶ選択肢がなかったためスーパーな存在、マルチパーパスに成らざるをえなかったのかもしれない。

併せて、薄く新しいMacBookなどは、少し軸がずれるが、また少し軸がずれる話なのでここでは控えることにする。

iPhoneの他にiPadも、と考えている方は参考にしていただければと思う。

Kindleのひみつ

サービスとしてのKindleを最近また使うようになってきた。
お金をかけてバンバン本を買う。
リフロータイプの本もラノベも漫画もとにかくダウンロード。

で、毎回思うのが、Kindleの野暮ったいインターフェースだ。
修正可能なはずだが、見直しはされず。
UI、UX設計から行けば全然だ。
特に読了後やコミュニティ、レコメンド機能が最低だなと思ったり。

だが、どうやらそのレコメンド機能が最低な部分が良いようだ。

コレはUX、つまりどういう体験を売っていくか?という姿勢、体験の全体像がしっかりしてるから、なのか、偶然なのか、買いかぶりなのか?
中々難しいところだがとにかく現状の危うい、イモ臭い読了までのインターフェース、読了後のフローがギリギリのところでうまく成立している。

何がイモ臭いか?はペーパーホワイトとiPhoneとiPadが共通の仕組みだったり、利用者のレコメンドの仕分けがうまくなかったり、気持ちに沿ったストーリー立てた流れが感じられない部分がKindleの中に多くあるところが「イモ臭い」と思ったところだ。

使う人の意識や導線を再構成するタイミングは幾らでも有ったはず。

レガシーを改善する取り組みは放棄すると危ういしな。

ただ、レガシーを再構成、改善できないでいるだけなのかもしれない。

何がそんなにギリギリで良いか?というと、言い換えればこのイモ臭さが良いかというと…

Kindleは本や漫画を読むためのサービスでありモノ

というとこをキチンと守ってるところだと。
この約束を遂行するため、読んでる本より出来るだけ面白くない、主張しない、それでいて何とかなるUIを装備し、ストレスは有るけど、本を読む方が面白いと言うギリギリのUX設計になっているのかもしれない。
もしくは偶然の産物か?

どこかで競合が大きな改革をしてくるのだろうけど、Kindleで買った本は移動できないし、慣れるし、何よりKindleで買った収益は他に人には発生しないわけで、ということなら、Kindleはこの先もこの危ういイモ臭いインターフェースでそのまま突き進むのかもしれない。
困った感じだが、だがそれがいい、的な危うい均衡は続く。

Kindleはクラウドサービス然としてて今風だな。

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Kindleはクラウドサービス然としてて今風だな。

と感慨。

おっさんとかでクラウドサービスを簡単に体験したいと思ったらKindleを勧めるといい。

特に紙の本とか読んでても構わない。

デバイスを3台くらいセット。

特にiPhone、iPad、Kindle paperwhiteあたりを用意して、それぞれの場所に設置する。

家はiPad、通勤は紙白、普段はiPhoneて感じで。

代わる代わる使ったときに最新の状態が共有され続けるのがクラウドだぜ?って言えば、肌で感じてなるほど君だ。

この、肌で感じるのが非常に大切だなと今日思ったりした。

理論より実感の世界。

サーバにデータ置いとくのと何が違うのか?という事への答えかもしれない。環境が違くてもインターフェースが同じでレジュームされ続けると、触る側がサービスに集中できるという体験は非常に今っぽいなと。

この原稿はiPhoneのメモアプリで書いているが、そう言うのがイイって事を伝えるにはやはりクラウドサービスを使って考えた方がイイのかな?と思って書いている。

Wordでも今ではクラウド対応を果たしているし、コラボレーションツールとして使っていくにはとてもイイ感じに仕上がってきているので、とりあえず、使ってみるのもイイのかもしれない。

ま、コンプライアンスも色々あるから、ポリシーに反しないレベルでクラウドを使うとイイのかも知れない。

とりあえず、クラウドサービスを実感する意味で、Kindleを導入するのはアリかなと思いついた次第。

Facebookの使い方に変化。そして…

Facebookの使い方に変化。そして…
FacebookがSNSからニュースプラットフォームに変容している。
見たいニュースサイトのアカウントをフォローしておくと投稿を見逃さない。
気が向いたら、投稿に対してのコメントを入れても良い。
古い知り合いの家族写真を見せつけられる謎の時代よさようなら。だ。
ただ、バランスがある時から崩壊するようで、知人発の話題がニュースサイトの絨毯爆撃に晒され目にする事が少なくなった記憶も。

更にコミュニティにはいると事態は悪化の一途だ。
写真やら個人投稿の渦が出来上がる。
ニュースと個人投稿のカオスの中に友人の知らせが浮きつ沈みつだ。

もはや友人とのコミュニケーションはFacebookメッセンジャーへ移行し、Facebookはガランドウな非SNSな空間へ様変わりだ。
友達の近況を知らせていた箱がある時を境に文字テレビと化して行く。
しかも文字テレビだから、見てても始まらず、読まなきゃならない。
そんなのは僕には不要だ。

不要だと思えば排除すれば良い。
この排除と流入の調整こそがこの一年くらいのトレンドになるのではないか?

少しいじってみようとは思うが、wiredと友人数人くらいがよい落とし所なきもする。
成果が出たらまた投稿するかもしれない。