ワイモバイルをやめるか?

ワイモバイルやめるかな?
DDIポケット、ウィルコム、ワイモバイルとPHS一筋でしたが、PHSに見切りをつけて、格安SIMに行くか検討中。

ワイモバイルのSIMにPHS回線を載せ変えるのも悪くはないが、SoftBankが嫌いなので変えない方が幸せかな?と思っている。

乗り換え先はNTTデータのOCNにしようと思っていたがマツコ・デラックスが嫌いなので迷い中。
三木谷も嫌いだし中々困ったものだ。

iPhoneSEに乗り換える。

iPhone6Sを売ってiPhoneSEに乗り換える。
iPhoneSEは手に入り使い始めている。
iPhoneはiPhone6SからはSIMフリーにした。
現金一括。
誰にも縛られないこの自由。

だが、保険であるAppleケアには入ってない。
だもんで、壊れてない今のうち、できるだけ新しいうちにiPhone6Sは売り払う必要があるわけだ。

iPhoneSEは本来iPhoneがそうあるべきサイズであり、iPhoneSEは手のひらに収まり非常に気の効いた端末として動いてくれている。

まぁ、電池が持てばね。

電池はiPhone6Sより持つがその分充電をテキトーにするようになり今ほとんど電池がない。

また、これを期にワイモバイルかPHSのどちらかをやめようと思う。

PHSは新しい端末が出なくなり予測変換がうまくない。

そして、荷物がひとつ増えると言うのは意外と負担だと思うようになってきた。

もう少し身軽になりたい。

iPhone6Sも良い端末だったが、手のひらでの握りが悪く、そして、重かった。

PHSをなぜ愛用してきたかと言えば、70gくらいで小さく、物理キーボードが着いているからだ。

物理キーボードはよい。

ブラインドタッチも思いのまま。

ただまぁ、iPhoneSEも110gくらいだし、手に収まりすごくミニマムだ。

iPhone6Sと違いタッチIDも古いし3Dタッチも無い。
これは少しマイナスだが、あとは現存するiPhone6Sとほぼ同じだ。

軽い上着、軽いカメラ、軽いザック、軽いケータイ。

僕自身少しばかり軽くなったし、持ち歩く電話をiPhoneにまとめたって悪くないなと。

あとは、電話回線をどうするか?

それが問題だ。

意外と最先端でなとこに落ち着く

昨年、2015年12月16日に書いてた内容をポスト。

iPhone6Sは大変満足している。
少しバッテリーが心許ないが1日は使い倒せる。

iPhone4S以来の新機種だけど中々。

アプリのプロデューサーという仕事柄iPhone6Sは買ってみたものの音声通話とメールに関してはPHSを使っている。

だが、SoftBank傘下に入りPHSは積極的に潰しに掛かられているのでそろそろ色々考えないとな。
と。

音声含めてiPhoneにいく。

という案と

ブラックベリーclassicとiPod touch

というのも有りかと。
(ただし、バージョンアップしたばかりのtouchは既に周辺機器が使えないとか問題が発生している)

スマホのスマートさは、逆説的にスマートになる前の単機能の製品の良さを放棄することでスマートになっているとも言える。

例えば文字入力…だからスマホでなくて物理キーのあるケータイが欲しくなっても悪くないというところ。

(文字入力の軽快さを減らしても尚そこにある便利さやユーティリティ具合に手をあげたのが現在なのだろうけど…。)

音楽についてはiTunesを多様してるのとiPhoneのテキトーで便利な具合は染み渡っている。

分かって来てるのは音楽はダウンロードですぐに買えるからiPodnanoよりiPodtouchが良いってこと。

つまり、単機能の製品の良さを上回るiOSの良さ≒「新しい製品の文法」に存在してて僕自身が従来品にそれほどこだわってなかったから「スマート」な、テキトーな状態で大満足している。という状態になったのだなと…。

気に入った、もしくは気になった新しい曲をすぐ手中にできるのは楽しい限り。
Apple musicに関しては懐疑的で、iTunesのiTunes matchもギリギリであるが…

~だから最近のAppleのサービスにはお金が払いづらい…。音質はそこそこ、所有権は放棄。だなんていうクラウドサービスばかりで、好きな音楽を買って楽しんでいる従来ユーザーをないがしろにするいい加減な割りに年会費はきちんと取る…サービスと満足のバランスがいい加減なレベルだよな~

反してカメラはカメラが良い。
iPhoneのカメラがどんなによくても写真を撮るカメラじゃないってこと。

もちろんiPhoneならではの捕り方もあるけど、写真に対して真摯な態度に成れない気がする。

レンズごとの湾曲や圧縮、素子のサイズごとの奥行きや立体感の有無など趣味の世界はきちんとある。

ただまぁ、コミュニケーションのためのカメラや、メモのためのカメラならiPhoneのカメラで良いだろう。

腕時計をするのが当たり前な生活から脱して10年経つが軽い金属アレルギーを引きずってこちら久々に腕時計をしてる。
とても軽いチープなものでNATO軍タイプのベルトで運用してるがこれもまた良い。

ここまでの話の延長線上にある話でスマートウォッチの機能よりもクォーツ時計の気楽さと「早く見れる」機能が必要でそこにこだわっている。

新しい文法と言えば、スマートデバイスにも新しい文法はできてきている。

大量のテキストを読むのはスマートデバイス、特にタブレットが良い。

家と仕事場にiPad Proを設置しとくのもアリだなと思い始めている。

仕事場はiPad air2なのでそのままでも良いがそこは成り行きで。
(仕事場だと音は出せないしスペースに限りがあるしね。)

睡眠時間

睡眠時間が8時間をきると気分が優れなくなる。

寝てればなんとかなる。
寝てないと人当たりが悪くなったり。

意外と単純なもんだ。
活動量計を買ってはじめて分かったことだ。
因果関係がわかればあとの話は早い。

早く寝れば、日々ほがらか。
非常にわかりやすい。

スピードの測るケースの変化がこの20年の軌跡な気がする。 ワープを軸に考えてみた。

スピードの測り方の変化がこの20年の軌跡な気がする。ワープを軸に考えてみた。
速さと言うものの概念がこの20年でガラリと変化した様に思う。

「この回線は100MB/bpsだ。」

こんな文章は今となっては不思議でもなんでも無い概念だ。
1996年だと認識はできても良く分からない話だったのかも。
確か…
「64、64、128!」
とやってた頃だ。
ISDNが凄い速いと思っていた。
100MB/bpsのイーサネットはまだだったかな。

スピードと言えば150km/hといった感じで速さとは距離に関わるものだと思えていた頃だ。
東京〜大阪間を5時間で移動できる速さ。というのが想像できる世界。
そして、その距離を超える速さに未来があった。
ワープに意味があるとして、距離を超えるスピード技術としてのワープ。
それはとても素晴らしいこと。

そして、昨今の「速さ=めかた」の世界にもまたワープの概念はフィットする。
離れた場所にリンゴひと山を転送するワープ。
動画が見れる速度のパケット量を通すのに充分な速さを持つ回線。

ここに来てやっと実社会においでのスピードの定義が身近になったということかもしれない。
100MB/bpsも150km/hも解るわけだ。
仕事してるひとだと1人月なんて単位もあるけど、仕事ひと山のボリューム的スピード。コレは建設業などで比較的古くからある概念だが、この考えなが一般化したという風に見るのも良いかもしれない。

ワープってのは「めかた」的にも「距離」的にも物理スピードの先端にある様に「思う」ワープってのは人間の認識力の取り合えずの限界点にあり、そのさきが何なのか?をまとめている気もする。

バックトゥーザフューチャーのようなものかな?

そう考えると、スピードの側面にもう一つ「めかた」「距離」以外に「時間」が存在することがわかってくる。
しかし、時間は不可逆だったりするからワープやスピード、タイムスリップに対して人は浪漫を持つことになるのかもしれない。

めかた、距離は可逆であるのにスピードは費やしてしまえば不可逆。
概念世界では自由に増減できるのに現実世界では不可逆。
ここら辺にスピード、速さの認識しづらさがあるのかもしれない。

20年掛けてやっと認識できた気もするが、こんなの小学生の扱うこと概念だよなと少し気分を害する自分もいる。

えきねっと発券でオプションを頼んだ時の注意

image3.png

明日スキーに行くんで予約してたチケットを発券しにJRへ。新幹線のチケット発券機で発券するんだけど、親切な発券機の仕様が思わぬ事態を引き起こしたのでシェアw左下の方のみどりのやつをポチッと。
2016年3月現在こんな感じ。えきねっとで購入済みの場合、一番下を選択。で、予約番号から発券。

オプションもある場合、予約番号は2つある。

僕はおの予約番号を先に入れて、スキーの板とかを借りる券を発券。

で、同じ工程でもう1つの新幹線の往復チケットを発券した訳だが…

…?

…!

新幹線の往復チケットが予約番号を何度入れても発券できないでござる。

否、ござる。とか言ってる場合じゃない。

弱って「みどりの窓口」に言って話して、オプションのスキーの板のレンタル券を見た時に…

なんと、予約番号が「新幹線〜オプション」で紐付いているらしく、一気に全部出てきていたことが判明。

二度手間を省く親切心からの発券なのだろうけど、正直キモを冷やした。

発券前に発券項目の確認を出すとか、手間だとしても確認を入れた方がこういったダメなUX体験が起こらないでいいと思う。

まぁ、今回は早めに気づいてよかった良かった。

【ネタバレ無し】伏線回収とか、そう言うの。<ナニワ金融道6 巻>

漫画『ナニワ金融道』を読んでる。
手放しに面白い。
少し前の話になるけど、根元はカネにまつわるエトセトラで今も変わらず。
大学の頃にコレとミナミの帝王が好きで銀行員になった友達が居たが、懐かしく思いながら、昔の友達の人生を動かすほどに面白かった本だし読んでみようと読み始めた。

気楽に読める絵と、話を交差させて各話の中盤から後半にかけて次の話の伏線を張るのは実際の仕事と似ていて素敵な仕掛けっすね。
連載漫画だと通常は話を分けてしまいがちだけど、リアリティとチェーンリーディングを考えると相手がオトナならば現代的手法として、こちらの方が良いような気がする。
(伏線より次の話との交差、予告の方が脳が処理しやすい)

ただ、6巻に差し掛かり、 細かい伏線をぶん投げてるトコがなんとなく気になって気になって仕方がない。

一つは、肉欲にロレックスを返したタイミング。
コレは文中でサラッと「返した」と書いてあるので、キャバレーで返したのだろうと。
(少し強引だけど、返したもんは返したんだろう。多分、編集か読者が毒づいて「返した」と唄わせたのだろう)

そちらはまぁそんなもんなんだが…。
どうにも、もう一つのぶん投げの方がが【胃にもたれる感じ】で気になって気になって。

それはだ、灰原が飲み込んだ鍵の話だ。

アレって手術でもしないと取れないのでは?

無理に取り出そうとすると食道に鍵って引っかかりそうじゃん?

もしくは、修羅場のドサクサに紛れて忍者みたいに飲み込んだ振りをした…つまり飲み込んだのはウソだったのか…。
もしくはその後の飲み会に平気で参加できるほど灰原の胃は丈夫なのか?

夜も眠れないくらいに悩ましい。

多分、この伏線はこの後ずーっと回収されないのだろうけど、この先灰原が何を飲み込むのか、灰原の胃腸の具合が心配になってきて仕方がない。

僕のアタマの中では、灰原の胃の中には取り敢えず鍵ひとつがストックされたままになっている。

グエェ…。

うまいものを食べると

うまいものを食べると鼻水が出る。
ここ数年の話。

年なのかな?

花粉症か何かだと思ってたんだけど、ちと違うのかもしれない。
美味ければうまい程、止めどなく止めどなく。

うまい程涙が止まらない。
それの仲間である。
そう考えると少しだけキラキラした感じだ。
だが、残念ながら
ただひたすらに
ただひたすらに…鼻水である。

僕が鼻をグシュグシュしてたら、その店は本物である。
僕が鼻グシュグシュな時は、涙グシュグシュに近い感動を得ていると心の目で見てください。

…たまに鼻炎だったりもするのだけど。

ガールズ&パンッツァー劇場版の4DX版をユナイ テッド・シネマとしまえんに平日夜10:15~0:30の 回を観に行った。

人生初、同じ映画を映画館で3回見ると言う快挙。

僕は若い頃、映画を何本かは見たが、作り手が必死こいて作ったストーリーを見る方はお金を出して楽しがったり悲しがったりしに行くという構造がなんとも受け入れ難くあまり映画館に通わなかったんだけど…

ガルパンはいいぞ!

ちなみ、1度目は新宿バルト9
2度目は立川爆音上映!
今回はとしまえんシネマ4DX上映!!

恐らく初見のひとは4DXは控えた方がいい。
今回の劇場版ガールズアンドパンッツァー結構込み入っているので、特に後半のアサガオだかヒマワリだか、タンポポだか、筋がサッパリ飲み込めないので初見のひとはシネマ4DXはオススメでない。

今回驚いたのは継続さんのスナフキンことミカの声がとってもチャーミングで綺麗だったこと。
「カッコイイ、それは戦車道にとって大切なことかな」
と。
心に響くぜ!

んで、4DXは演出としてアリだ〜!と感心し得たことは今回観に行ったことの大きな成果だと思う。
飛び交う砲弾、戦車の奏でる振動、お風呂の香り☆

乱戦部分はなるほどガツンときた。
集中砲火とはこういうことか!と。
(もっと揺れてもイイんだぜ?と思う人は4人席の端がいい。)

チハタンの突貫、潔い散り際が心に響いた。
恐らくアレこそが在るべき戦車道。
西さんの敬礼
コレが凄くスクリーンに映えた。
観たことはないんだが戦争映画っぽくてグッときた。
モデルになったバロン西が偲ばれる。
(多分、動きがあると頭に残るんだろう。記憶とはそう言うものだ。)

予想とは違ったのがカール自走臼砲の猛威の部分だ。
…もっと得体の知れない地の底から響き渡るゴウゴウと言う存在感のある音と今回のよりもう少し派手な爆風が欲しかった。
個人的には立川の爆音上映の方がカールは良かったように思う。

カール自走臼砲に関してのみの感想であっても「それ程違いがあった」ということは、厳密にこのガールズアンドパンッツァーと言う映画を映画館で上映に見ることに意義があったということでそれだけに、意味もわからず何度も見ている。
とにかく面白いのだ。

4DXはアトラクションのようで、見た後が遊園地のようで、本編の作りが完全に4DX狙ってたんだな!と水島監督の遊び心に敬服させられた。
また、コレはこの春の楽しみになるのだが、聖地巡礼をして見ようと思う。茨城交通のバスは旅先で見ているし、水戸から鹿島への電車も乗ってるけど、大洗に何十年ぶりかに行ってみようと思ったのだ。
聖地巡礼に関しては「たまゆら」の竹原に行ったが、大洗は近いから全然ありだと思う。
イベントが開催されてなくても構わない。あの辺ののどかな雰囲気を味わおうではないか!
(震災復興がガルパンの製作背景には有るんだけど、なんだか元気になれていい映画だよな)

ガールズアンドパンッツァーの劇場版だが、この映画には、3度見に行っても全然納得できる何かが有る。

今回は上にあげた西さんやミカの他にもネトゲチームのガンマンとしての見せ場があったり。
後半は少しバタバタで誰がどう白旗なのかがわからなかったのだけれど、(もちろん予想はつく)やられ姿のカットインが多いのはアニメ的だとオミットしたのかなとも。
(やられたものは、クローズアップしないことで次の戦いに目がいく)

とにかく清々しい程良かった。

戦車道には人生の大切なことが詰まってる。

なるほど。
こうなんども見ると含蓄が深い言葉だったのか。
何がだって?
それは映画館に行けばわかることさ。