これから付き合うカメラを決めた。

これから付き合うカメラを決めた。
驚くなかれ、その名はPENTAX K-01。
(一番驚いているのは自分かもしれない。)
簡単に言うと
Kマウントをそのまま使った変態ミラーレス。
という感じで世の中には行き渡った感があるが、とにかくいま安い。
そして、K-5同等の高性能な素子が手にはいる。
更に、僕はAPS-CのKマウントを使い慣れていて風景と
対面での人物撮影にカメラを使っている。
キヤノンやニコンなどの早いAFは特に求めておらず、暗箱があれば良い。
645Dなどを目にしていて何となく思っていたのだけど、
K-01はKマウントの暗箱なのではないかなと思う。
要は、写真が撮れる事のみ純粋に追いかけたカタチ。
あと、レフ機にはない、ピントの正確性がレフレス機にはある。
あと、一眼レフは、撮ってて暗い気分になる。
あの、スクリーン越しに見る世界は、
現実を暴力的に切り取るような狂気の世界にも時折見える訳で。
実は寸前のところまで高級コンパクトの買い替えにしようと考えていた。
現在愛用しているキヤノンのPowerShotG12の後継機G15か
フジフイルムが出すX20のどちらかにしようと考えていた。
でも、それは違うなと。
重いカメラから逃げていた部分もあるが、
また、結局いろいろ見て堂々巡りをしていたが、
そこそこ解像するレンズを通して満足の行く描写、一瞬をフレームに納めるには
写真の中にある前後感や立体感は無視できないし、
その際にフレームに納まるモノが持つ色ももちろん合わせて記憶に留めたい。
僕は、10代の頃に白黒で絞って撮る事ばかりをしていたが、
値段も表現手法も許すようになったんだから白黒にこだわる必要はない。
一眼レフのもつ独善生や覗き趣味的スタイルからかけ離れ
自分の好きなものをコントロールして撮れる暗箱を買おうというわけだ。
どうもK-xを使っていて卑屈になり、一眼をやめよう、カメラを辞めようとさえ
思えるようになっていたが、K-01を買うことですべての決着がつきそうだ。
本当は他にもK-30やQ10なども検討していたが、視野率100%とはいえ、
また、ペンタプリズムだとはいえ、
覗き窓を覗くのはちょっとなと思っていたのと
防塵防滴は特に必要ないなって思っていたのでちょうど良かったかと。
Q10に関しては、悪くはなかったのだけど、小さすぎたため、
サブカメラでさえない感じに思えたのと
勝負をするカメラではないなと思えたのでやめた。
おそらく、Q10の後継カメラで1/1.7インチの少し大きな素子のカメラが出たら
購入するような気がする。
いくら解像するからと言って、素子が小さいとボケなどの
遠近感が捉えにくくなるところもあるわけで、やりすぎな今の状態は
僕にはちょっとなという感じ。
最も鳥を撮る人たちにはいいマウントになりつつあるようだし、
これからもQマウントに関しては、異彩を放つ存在であって欲しい気がする。
今回はメインになるカメラを探していたこともあり、本当は住み慣れた
PENTAXやキヤノンの色を離れてフジフイルムの世界に合流したい気も
あったのだけれど、Kマウントのレンズを全部処分する踏ん切りが付かなかった
もしくは、何かまだ、あの単焦点レンズ群で撮り残したものがある気がしたので
フジフイルムへの移転はしないことにする。
こうなれば話は早い、キヤノンのレンズや不要な資材を投げて
K-01を買うのみだ。
なんだか購入が楽しみになってきた。

大阪もスマホで変わってしまうようで

2012年9月30日に書いてたものに加筆。
大阪はガラケー時代はまだケータイが全てではなかったように思う。
ひとと話すのが楽しい場所だし、待ち合わせ場所でナンパも可能なくらい、楽しい会話がありそうな雰囲気だった。
でもスマホに変わってから話しは別になったようで。
スマホは人の集中する時間を奪うのかも知れない。
世の中の一部を間違いなく変えてしまっている気がする。

SNSなどへの適応は一部産業の衰退と圧倒的な支配的構造を作る

メディアはマスメディアからグッと小さくなりTwitterやFacebookなど発信する場所は個人にも広く提供されるようになった。
ブログは既に話題の維持と拡散のしずらさから一般人のメディアではなくなってきている。
TwitterやFacebookは短文で良いから受け入れられる。
で、掛け持ちが面倒になるとワンソースマルチユースを始める。
一度の投稿をサービス連携させとくことで使い回す。
Twitter→Facebook→mixi
Facebook→Twitter
などなど。
タンブラーなんかが絡むと更に複雑化。
解ってる人が割りと若い層に多く、人がそのままメディアになるわけだ。
それがニコニコ生放送の生主だったり、ブロガーだったり、普通の人だったり。
面白いことにメディアと言えば広告が表裏一体なのが当たり前なのがいままでの世の中だった訳だが
仕事でマス的にメディアを扱えなくなって以来、メディアと広告は表裏一体ではなくなった。
面白いコンテンツであっても請求しないから必ずしもお金は落ちない。
スポンサー広告はプラットホーム提供者にほぼ全て落ちていく。
(Facebookがそれ。)
その原資であるクライアントが払う広告費は話題作りの外注費レベルに落とし込まれる。
つまり、払う側も出さなくなり、出せる額が少なくなり、コンテンツを作る側もカネに頓着しなくなる。
これがナショナルクライアントでも大体認識が同じになる。
(効果測定が吉と出れば良いが…)
プラットホームは潤うかもしれないが、サーバ運用費など経費もあるし、(面倒を背負わないためにも)黒子に徹するからてこ入れなどを買って出ることは少ない。
で、何が起こるかと言えば広告産業の破壊凋落かなと。
コピーも80年代にあったような面白いもの練られたものはなくなる。
極限られた人にしか届かなくて良いし、今よりもっと簡単で受け入れられやすい、しかも一過性のもののようになるはず。
メディアがマスでないから洗練は不要、間違いなくスッと届けばそれでいい。
仕方ない。
あとは、検索キーワードに対する広告や即時的、継ぎはぎなマッシュアップなどでの情報提供ではなくなり、タイミング、場所、相手の属性などに向け示唆的なレコメンドが主流になる。
人はサイトやネットに関わらずショップ、コンビニのPOSレジなどにライフログが吸い出され、財布を中心に飼育されるようになる。
誰が勝つかは明白で、その勝ちに対して対抗する手段は物々交換でもしないくらい恐らくなくなる。
(物々交換はギリシアやアルゼンチン辺りでは実際に起こっていたりするが、インフレ対策であり経済活動からは抜け出ている)
僕がこの文章を投下しても大した波風はたたないだろうし、情報として流通できるかどうかの選択権は既に彼らの側にある。
対策は無くはないが大きな勝利を得るには時間が経ちすぎた。
個人レベルの予測に関しては無料で投下するのも勿体ないレベルなのでここではこの辺りに留めるとしよう。

対岸の道を歩いてみる

いつも歩く道の反対側を歩いてみる。
いつもみている…と思った景色が随分違う。
道幅、歩いてるひとの年齢や男女比、店子の業態など含め気付かない、半ば解りきったものと見ていなかったこともわかる。
たまには道を変えてみる。
道一本またぐくらいの余裕なら僕にさえ有るのだから。

気になる。

日笠陽子と豊崎愛生の歌が気になる。
日笠陽子に関しては「けいおん!」のエンディング
カッコよく速い感じ
豊崎愛生に関しては「絶園のテンペスト」エンディング
優しくかわいい感じ
全然違うが好きな声なんだろう。
どちらもけいおん!にでてるが、よくみつけてくるもんだ。

西新宿で人助け

西新宿、とはいってもダウンタウンに住んでいて
終電逃して帰宅中にヒルトン前で人が暗がりに倒れてた。
面倒とは思いながら明日は我が身、ヒルトンのホテルマンに預けようとしたがホテルマンも困惑。(だがクルマの出入りするとこで轢かれそうになってたし敷地内だしヒルトン頑張れと思った…)
もう一人気にかけたデカイサラリーマンがいて、流れから二人で交番まで運ぶことに。
こちらは酒も飲む暇さえなく働いて、終電逃してるのに、なんで酩酊サラリーマンを介助して交番なんだか…
まぁ無事そうだし良かったんじゃないか?
顔に擦りむき傷があって血が固まってたらしいから、長く放置されてた?
道すがら聞いたら10時から飲んだとか言ってたがあんなに酔うのか?
さっぱりわからんが、僕もいろんな人に助けられてきたし、
あのまま放置してれば間違いなく凍死してただろうから、
まぁ良いことしたのかな?
てか腕が疲れた…

果報は寝て待て

果報は寝て待て。
昨日は夜から今朝に掛けて全然ダメだった。
手の出しようがないしょうもない状態。
なんの光も見えない真っ暗闇。
足掻く気力さえない。
呆然。
予想外の事態。
僕は仕方ないから、たまに様子は伺うものの寝て待った。
それでもダメだったから家に帰って風呂に入ってご飯を食べた(朝5時半)
そして、局面がこちらに向いた。
策を練ろうが足掻こうがダメなときはダメ。
ダメなときの策は最低だったりする。
だったら開き直って果報は寝て待てだ。
どうせダメなら次への余力は大きい方がいいしな。