渋谷に行ったらパンを買う。
新宿にもパンは売ってるが、渋谷に行ったらパンを買う。
だってパン屋のバイトさん可愛いからさ。
企画屋やってます。写真と絵がライフワーク。
渋谷に行ったらパンを買う。
新宿にもパンは売ってるが、渋谷に行ったらパンを買う。
だってパン屋のバイトさん可愛いからさ。
混濁した意識のまま青山に来て
愛用してる革製品の店をフラフラ眺め、
青山ブックセンターに来ている。
混濁した売り場にある諸々の本を手にしたり手にしなかったり。
少し風邪っぽい、おそらく微熱が出ている、
しかし、なに?10年くらい前までよく歩いた道
ふにゃふにゃでもどうにかなるもんだ
いつものエスカレーターを下る。
店に入ったのは連休中日、夜8時前。
少しくたびれた役目が〜なかば尽きようとしている〜オールドメディアたる「本」の代表選手、青山ブックセンターらしい逸品のなかをくるくるくるくる気のすむまでまわってみる。
以前のキラキラした青ブクでなく、棚も少し古びた脱力系の青ブク。
並んだ本の方はメディアとしての古さもあるが
売れないことへの足掻きが露になっていて
かえって活き活きした表現のオンパレードだ。
禁じ手はなし、なりふり構わず、奥の手さえも出し惜しみなし。
ある種のいさぎよさ。
活きることのなんたるかを証明しているようだ。
ジャンルを越えた凌ぎ合い。
バブルやその後20年のそれなりに本が売れた時代には考えられない、野生むき出しの…
本の本気。
の行列だ。
否、駄洒落を撒き散らすための伏線のために書いたわけではない。
混濁した気分を堪能し…正直飽きたので冴え渡る夜の青山を渋谷に向け歩き巣に帰る。
副都心線で渋谷は近くなった。
さぁ、西新宿に帰ろう。
スマホが奪ったものは?
利便性と言う免罪符を持って生活に諸々をもたらしたスマートフォン。
実際にはすぐになんでも解決できる側面があり便利だが、なんだか砂糖菓子のように生活を蝕んでいる気がしたので考えてみた。
・様式美
・ロマンの喪失
・作業をする感覚
・隙間時間
・隙間時間の思考
とかではないか?
なぜそれが可能だったかと言うと
・懐に入るくらい小さかった
・速い通信が可能でネットと繋がれた
・ネットがとりあえずの成熟を迎え情報が有った。
・表示する画面が広く刺激的であった。
ある程度はガラケーのi-modeや京ぽん2あたりでなんでもできた訳だが画面サイズと可搬性のバランスが絶妙だったんだろう。
その砂糖菓子の原型をつくり世に広めたAppleのスティーブジョブズ御大にひとまず敬礼。
して、なんでも見つかりlineみたいなひとと繋がるツールが何が悪いのかということにシフトする。
・様式美
・ロマンの喪失
・作業をする感覚
・隙間時間
・隙間時間の思考
のそれぞれ解説だ。
・様式美
・ロマンの喪失
これは人間性の喪失に近い。
古式ゆかしい儀式を廃してショートカットできてしまう部分。
図書館に行って調べものをせず、ググレカス。
鶴の求愛ダンスよりスマホで出会い系だ。
なんとなくそれで足りてしまう現実。
知ると言う活動は本質にぶち当たることは実際はなく、無知である状況を少しだけ解消することに有るそうで、とりあえず知ったような気分になれるとこか。
んでまー、ショートカットも時短できて悪くはないのだし、もう戻れないくらい便利になってしまったんだけど、間違いなくショートカットの代償に思考やら探求する部分で何か重要なものを置き忘れてしまってるぞい。ということ。
いまスマホで手に入る答えは略式のもので、なにか実際には必要だった部分が置き去りにされてるぞということ。
そんな機微なことは重要じゃないとする向きもあるけど、ビジョンを示したりなにかを作る上ではとても大切なことかなと。
セックスは砂糖菓子だが童貞の想像力が引き起こす奇っ怪なまでのロマンには遠く及ばないというところか?
提供されない答えに対する探求は時として未知のクリエイティブを呼ぶという現実。
ドンキホーテが命懸けで風車に突っ込むのも人間性だなと思う部分が。
間違ってしまってはいけないが、面白さを失うことになるかなと。
で、精神性を考えた次は物理フェーズだ。
・作業をする感覚
・隙間時間
・隙間時間の思考
これ重要。
企画をする仕事をしてたので、ワークフローの簡略化をし、手仕事を早く正解に解決する作法を作るのは僕は得意だが、その際、現実の人がどれほど技術が有るかを見定める必要がある。
作業に慣れてるか、技術力は有るか?
残念ながら世代的に団塊世代と比較した際ガンダムとザクタンクレベルの差がある。
チートが多かった分手仕事におけるスピードがいまの人は無い。
逆に思考のネットとの親和性は高いのだが…
作業においては、あまり価値の無いことだ。
人海戦術を使う場合に必要な知識なのでとりあえず触れておく。
脱線もあったが続ける。
・作業をする感覚
についてはスマホが悪い訳では無いが、利便性が加速的に上がった分、実利が減っていることは重要かと。
効率が上がったが利益率が減るという感じかな。
・隙間時間
・隙間時間の思考
これが最近気づいたとこ。
暇潰し
という言葉が有るが、人生は生きるという部分を抜いたら暇潰ししかない。
人生をどうするか?
なんてことをまるっとスマホが引き受けてしまう恐怖たるや。
友達としゃべるのも、音楽を聴くのも、絵を描くのも、写真を撮るのも、本を読むのも、知らない景色に会うのも、知らない知識に出会うのも、大体できてしまう。
「隙間時間」が生まれることで何か起こるはずだった可能性をシャットダウンするわけだ。
となると
・隙間時間の思考
なんてものは、その便利なサイクルにハマっている最中は発生しない。
暇がクリエイティビティに重要な要素ならかなりの部分で作るひとには危機的な状態なのかもな。
とりあえず暇がなくなったのでとりあえず。
スマホの成功ポイントはどこにある?
と考えてみたんだが、スマートフォンと名付けた人が最大の成功原因ではないか?と。
実際には現在のスマホに至るまで、勢力図が従来型の携帯電話とスマホのバランスをひっくり返すまでにはiPhoneの成功を待たなければならなかったんだけども。
呼び名というのは重要で、スマートフォンと言い切ることで、七難隠してる気がする。
そもそもはスライド式のフルキーボードがついた、ゴテゴテしたものがスマートフォンだったが、自分からスマートだ!と言い切ることで何となくそうね。って言う雰囲気が有った。
iPhone以降の物理キーボードがなくなったとこで初めて「スマートフォン」になったような気がする。
しかし、本当のところはどうだろう?
一見キーボードを排除しガラス板とホームボタンのみにしたスマートフォンはスマートに見える。
ところが、操作しやすさは物理キーボードがある方が上だったりしたわけだ。
実際、スマホになって電話やメールはしずらくなったと思う。
ただ、スマホとかスマートフォンとかしか呼び名が無いからスマートでクールなものなんだろう。と思い込んでいるところがある。
とりあえず、名前って重要だよね、ってことで、ネーミングって面白いですね☆
最近の住宅展示場って
マグロ解体ショーやるのな。
住宅解体ショーじゃないんだぜ、
マグロ解体ショーだぜ?
健やかに
やさぐれず
無理を通さず
活動限界をわきまえ
コミュニケーションを妨げぬよう清潔に
好意を持って受け入れられるよう身なりを整え
日常の中に素敵なものを発見し
過去にとらわれず
歴史を軽視せず
提供できる最良のサービスを見極め
継続できる前進を続け
野心に従い
狙いを仕留め
予見した未来に振り回されず
有言実行を貫こう。
ハフィントンポストの創始者が言うに
寝る時間の重要性、寝る時間の質の向上による生活の改善に閃いた。
そのおばちゃんは寝室にスマホは持ち込むなという非常にシンプルなものだった。
コンセプトのイメージはもらったのであとはどう実行するかだなと。
で、簡単な解決を考えた。
ベッドサイドに有ったiPhoneの充電器を別な場所に移動、ベッドで寝ながら使えないようにした。
充電器は居間付近に設置。
iPhoneを触る必要があるなら寝るまえに触るか、起きて触るかという具合。
至って明解。
問題点としてはアプリ開発をするうえで、一般的な状況とは異なる状態になることでこれは仕方がないかなと。
いまのアプリは、特にゲームやコミュニケーションツールは後引き感を持たせる、中毒性を持たせることに注力してるので、ここはこれまでの体験で補おうかと。
とりあえず、1日目は非常に頭がスッキリ目覚めることができた。
生活を変えたいひとは試してみるとよいと思います。
新しいことをはじめよーぜ。
年相応の過ごし方?
カッコよい暮らし?
そういうのは他のヤツに任せとけばイイ。
勝負の場所が変わるだけ。
勝負の額が変わるだけ。
やってることは変わらない。
ヒリつく風が頬を打つ。
シメテかかろう。
相対スピード
つまり、ひとやクルマのスピード差は問題だ。
死ぬ気でトライする人とユルユルやってる人が同じ場所にいるとストレスだなと。
ユルユルやってる中にも問題は山積みで、少し難所が来ると折れて飛ぶ。
ブラックだなんだ、色々言うやつも居るが飛んだらそこまで。
ユルユルやってるヤツは隣の顔をうかがったり「みんなで」って思想が強い場合が多いので折れると連鎖するし、飛ぶとみんなで飛ぶ。
アーリーアダプタでなくレイトマジョリティにその「みんなで」という意識は多いのでは。
相対スピードは一致していてみんなぶっ飛ぶんだから目も当てられない。
相対スピードによる摩擦がやなら、距離をおくこと。
レイトマジョリティの連鎖に巻き込まれたくないなら自分を持つことか。
群れてるのも楽しいが道を示す立場だったり、事を成すつもりならレイトマジョリティの時間軸に流されないことだ。
なにかをしないので有ればその怠惰な時間は楽しいのだろう。