きさくカレー2

九州と四国が梅雨入りしたそうで、神楽坂界隈も夏へと続く柔らかな雨が草木を潤している。
最近では珍しくなった事だが、独りで昼に食事をする事に。以前独りのときはちょくちょく顔を出していた「きさくカレー」へ。
七を三つ書いてキサクだ。777から来る造語なのか、詳しくは知らないが味も嬉しくなるような感じの美味しさだ。
店は増床したがまだ足りない感もある。
ジャズやクラシックを聴きながらのインドカレーは不思議とアリで、経済的な価格もプッシュしたいポイント。
ホッとでき、おなかもいっぱい。元気になって午後の仕事に繰り出せる。サッパリさらっとした感じのトマトの酸味が生きるカレー。
今日は「きさくマサラ」が盛況だったらしくランチタイムのピークを過ぎた段階で再度仕込みに入っていた。
雨の日はより辛いものがうれるのか?
当方は、きさくカレー大盛りのサフランライスを口に運びちょっとしたリラックスのあと、雨のそぼ降る神楽坂近辺をあとに仕事場へと歩を進めた。

夜、そぞろ歩き。

こんな時間に外にでて
アイスキャンディーを食べている。
バニラバーだ。
ずっとずっと昔。
海沿いの宿で花火のあと食べた。
銀紙に包まれたアイスだ。
今は銀の紙ではないし、あの頃仲良しだったみんなはいないのだけれど。
6月を前に夏日が続く。
東京の傍らにも海の風か。
家に帰り振り込みのために出た星もない夜空に
懐かしい香。
あの浜は今は無いのだけれど、覚えているキラキラした時間。
取り立てて何と言うわけではないのだけれど。
僕はあの頃旅の良さを親や町の友達達から教わったのだろう。
また夏がくる。
そぞろ歩き、
今度は誰と一緒なのだろうか。

面白い。

ジワッとにじりよる波の音
面白い。
「仕事が面白いのね、」
そう言われることがある。
半分当たりで半分ハズレ。
プレゼンに勝つ波がくるようになった。
勝つのは悪くないが、それはまた別の話し。
そこは特に面白くない。
(言うなれば、嬉しい、だろうか。)
企画屋としては、みんながハッピーになるシナリオを作るのがスキで、ウケ狙いの妙な企画は余り出さない。
(と、自分では思っている。)
少なくとも、客の成功の可能性が見えない企画は奨めない。
きちんと、みんながハッピーになれ、当たる話を提供したい。
正気で判断できる会社にしっかりとした提案を押していく。
突くべきを突ければあとはどうにかなるワケだし。
で、面白い場面がまたやって来る。
グーッともち上がる仕事の勢いの波、波、波。
調整し、
場の動きと制作のスピードをあわせ、
内容をつめ、
かわすものをかわし、
期待の波をつくり出し、
クライアントが満足する
みなが納得するところまで載せる。
この盛り上がりの起こり、
波が怒濤の勢いで走り、
一瞬の駆け引きの後、イッキに引いて行く。
この感じがスキだ。
そして面白い。
ぐっとくる。
何か、波乗りに似てるなとも。
そんな中、ひとつ思ったのは
そのタイミングに、フレッシュにいれるかどうか、という事。
恐らく5年前にも近い心境で同じ様な話をしていたはずだ。
フレッシュに。
軽く
心身共に軽く、速く、深く
反応できる自分。
それなりのワザと知識とノリ。
だが、動けないのがとにかく良くない。
企画に関わる場合、実作業は最後までやらない
企画に徹すると、ディテールの部分は良いのだ、
おおづかみで、うまく行くこと。
プランの組み立てに集中す。
キッチリ、ハートを掴める
そをなモノを作って行きたい。
秘訣と言うか、核心に近い何かがわかるか、どうなんだ。
それに到達できるチカラと勘に対応できるよう少なくともフレッシュにいたい。
そして、心身を鍛えるようにしたい。
昨日受けた疲れは癒えた。
単ある程度は水でも飲んでいればスイッチが切り変わる。
やっといつもの立ち位置に戻る。
さあ、波乗りの終盤だ。
ステージが待ってる。
ショーの再開だ!

ギャル曽根!

今更か?
と言う感じですが、私のなかでギャル曽根がキテます。
アツイ。
まーなんたろう、
アイドルより良いかなー
なんて。
食べる際の身振りや
フリが良いのだ。
見てくれに惚れる部分もあるが、女の子っぽさが凄くちょうど良いのだ。
強すぎず弱すぎず、安定的過ぎない。
ベストバランス。
しかも、仕事人!
プロだ、
ヤツはプロだ!
と言わせる感じ(食べたあとのリアクションなど)
じゃぁ、食べてなきゃイケないのか?
と言われれば、そりゃNoだ。
大島渚が監督であるように、ブリトニーがブリトニーであるように、特に大食いである必要は無いように思う。
まぁ、暫くは大リーグボールを体ギシギシ言わせながら投げる星飛遊馬の様に、もがくのかもしれないが何か別のポジションへ華麗に転身する姿も見てみたいなと。
ステレオタイプなスタンスで、要求される期待に応えているだけでなく、スッと変われる様な雰囲気とスピードが有るように見えるのかもしれない。
で、まぁ、アイドルなら下敷でも買うところだが、
仕方ないので、ローソンで弁当を買った次第。
味?

まぁ、カレーだべ。
オムライスとしても…
感じとしてはスナッキーなカレー。
感激よりコンスタントに口に運べる感じ。
決して辛くない。
盛もたいして大盛りではない。
大盛りではなく、恐らく、アレを何枚重ねるかが勝負ポイントなのだろう。
そういう大盛り。
(チョィあげ底だった。サークルKのカレーのがうまいかな?)
効果としては、シールに乗せられ、食が進むのが最大の効果だとおもうね、うん。
で、弁当はともかくギャル曽根の今後に期待して見まもる感じだ。
(弁当、第二段とかでるのかなー)

ソファーを見に

近所の友達が捕まらないので一人で出掛けている。
ソファーを見に、これまた近所のコンランショップへ。
ベッドは当時奮発して買ったベッドが気に入っている。
ニトリの固めのコイルポケットの、上から二番目。
で、味を占めた。
イケアの家具がいくらかあるが、荷物も多いせいか部屋は粗雑に荒れている。
そもそも家にいるのが好きでない。
前の部屋は風呂など不満もあったが、中野向きの5階に位置するベランダの見張らしがよかったから気が向けば家の外を眺めたり。
いまは2階になったから、場所も悪くないし、広くなった。
風呂も一新。
ただなにか帰る楽しみが少ないなーと。
で、ソファーだ。
高いやつ、スローなテンポで良く沈むヤツ。
良いソファーはコウコツな状態にまで引っ張ってくれる。
良いアイデアも引き出してくれそう。
いまの部屋代からすればカワイイものだし、何よりせっかく持ち物になったマンションが、今は物理的な前線基地でしかない。
飛行機たる僕は飛び立つが、それだけじゃつまらない。
何か生きる上での些細な充実が必要かなと。
彼女もいない今だから、少し奮発もできるかな、と。
次はテレビだったりオーディオだったりするだろう。
でも、それより物理的接触のあるソファーは重要かと、あとテレビは制作の邪魔になりがちだし、アイデアを引き出す仕組みにはなりえない。
会話やジョーク、電話でデレデレしたり、メールを書いたり、スケッチブックを手にしたり、本のページをくる、ラジオに耳を傾ける。そうしたことをした方がずっと僕らしくて良いだろう。
何か良い時間が待っていれば僕は家に帰るようになると思う。
でなきゃ、もっとコンパクトな生活で済むはずだし、
そのくせ、もっと広い部屋が欲しいなんて思うのだから、まずは自分の持ち物であるマンションを好きになろう。
ソファーは良いトリガーになると思うんだ。

ラーメン、斑鳩

新小岩からの帰り道、神田神保町の二郎に寄るはずで御茶ノ水駅を降りる。
生憎二郎は営業しておらず、飯田橋の大正軒へ行こうか?と歩を進める。
何かこう、体に悪いようなパンチの効いた食べ物が欲しかった。
新宿やすべえの大盛りもありかと思ったがまぁ歩くのも楽しいし、御茶ノ水に戻るのはどうかとも思えた。
で、道すがら見つけたのが斑鳩だった。
九段から飯田橋に抜けるちょうどのところ。
今の会社の同僚が会社の自転車を借りてまで昼メシに行ったという「いかるが」だ。
特性ラーメンを大盛りで。
正直のところ二郎や大正軒の代わりを求めていた身としてはパンチがない、本格らぁめん末廣の八丁味噌の方がよかったかなーとも。
斑鳩の麺は優しいラーメンが食べたい時にイイのだろう。
豚由来のコラーゲンの中に魚の舌ざわり、固さも程良いチャーシューに優しげな丸麺。
だが、味は好みの別れるところ、それ以外に斑鳩の良さが食事中に見られたので書いておこう。
特筆すべきは何より店の雰囲気と店員の佇まいではないかと言うところ。
美味いラーメン屋の店員は2号店など暖簾分けが進むにつれ粗悪化する傾向があり、またぃかにレシピが同じでも味に狂いが出てきたりする。
面白いことにラーメンではそれが顕著で店員同士のお喋りが多い店は味も凡庸になってくる。
その点斑鳩の店員は態度がよく、満腹ごの退店までの時間も好印象で満足行くものだった。
高級店のサービスや会話による満足感に近いものがあった。ラーメンなどを食べに行くのは喋りに行きたいワケではないのだから、無言のサービスと挨拶が徹底されてる斑鳩は中々考えられた店かもしれない。
しかし、満たされないパンチを欲する気持ちが仕事場に寄ったあと、らすた麺辺りに誘うのではと不安に。
もう少しヘルシーな生活にシフトしなくてはとココロの叫び。

桜えび探訪

あいにくの小雨のなか、
浜松駅で新幹線でトーキョーへ戻る友達と別れ
一路由比へと向かう。
みんな奥さんが家で待ってたり
年をとったのか、新しいことに興味がなくなった様子でいた。
そして電車は掛川を越え興津へ向かう。
もしかして一人行動になるかもと思って持ってきた石田いらの小説が役にたった。
時折ながめる車窓には、静岡ならではののんびりとした緑の平野が広がる。
トライアスロン部の面々とはやはりどこか合わないところがあり、ちょうどいいバラけるタイミングだったのかもしれない。
シートに座る女の子たちの声もどこかトーキョーと違う響き。
せっかくの遠出だ、いつもとは違う窓の外を流れ行く姿を、駅舎の様子や昼寝の時間をしばし楽しむとしよう。
桜えびはどんなだろう。
散歩と味は旅を楽しくさせる。小雨はあがりさうな雰囲気、夏が近付いてくるようだ。

連休はネコム。

昨日今日と調子が悪い。
休み初日に美味い肉を食べ、気力体力ともに調子は好調なはずが、
帰り道にカメラで街を撮ってた時に寒かったのが悪かったのか、
窓を開けて寝てたのが悪かったのか、喉の風邪になってしまった。
ダイエットも予定もキャンセルで今だらだら中。昨晩さらに
チョロチョロ手を動かしていたら、更に調子悪化。
orz
明日にはなおっているとイイなぁ。
一人で家に篭るのは僕は余り好きじゃないんでね。
そういや、豊洲からベンゼンが一杯出土しちゃって築地の移転が怪しいらしいね。
日本の食を支える重要な場所だし、きっちり事が運ぶといいなぁーって思います。
築地拡張は、食の需要が高まるにつれ、必須になってく話らしいだが、
東京は土地がないし大変だー
や、それより早く体調なおすだべ。

柔らかな芽生えをみまもる。

花が咲きほこる様をみるのはなかなか楽しいものだが、
つぼみの様を見るのも自然を眺めるなかで一つの楽しみと言えるのではないだろうか?
可愛い玉のような芽を見つけたり、
柔らかなつぼみを見つめる。
やがてくる時間を予感しながら、
その時間がどんなにか華やかなものかを思いながら、
そうやって過ごす時間も中々良いものだと思う。
アメリカの映画の話、壁紙にはバラのつぼみを。
いずれ咲くそのつぼみをながめ、楽しむのだそうだ。
そう、つぼみの様は洋の東西をこえて、期待のアイコンと言うような
そんな存在になっているのではないか。
新しい時間を充実させる何かが、そこにはたくさん詰まっているのではないか。
ひとには、その開花を予感する楽しみ、
希望を持つ余地がある。
希望は、現実として、
つぼみが大きな花へ姿を変えるように、
困難があっても、大輪の花として世に咲く。
そういう時間がやってくると良いものだ。

花は色々あれどこの春は一つ。

派手さの無い、しかし、輝く様。
咲き方もいろいろと言う事か?

煙たつような、春を謳歌する。
気持ちの出し方を見習わなければとも思う。

桜は良いね。
ぱっと可愛く花開く姿、
チラチラハラハラと散る様も、
和やかな桜色も。
なかなか、こうは行かないものだとおもう。

桜にも並ぶ美しさだが、散り際がよくないように思う。
朽ちる様、そこにも美学があるのだろう。
日本人の美というのは、中々辛口だと思う。

緑と花の色のコントラスト。
この季節のカラーバランスは絶妙だ。
気分を高揚させるだけでなく、
すこしフレッシュな気にさせられる。