軋むからだ軋むオレ。

東京体育館のプールに来ている。

2時間半600円

長水路(50m)が泳げて夜9時までやってる。

実は昨年は丸々泳いでいない。

なんとなくだが震災以降海やプールから遠ざかっており
プールにきて泳ぐ気になったのは久々でもある。

久々でも運動じゃなきゃなんとかなる。

だが水泳は甘くはなかった。

水の中のスピードはそこそこ出ているのだけど、
スタミナが全く無くなっている。

水の中でも息が上がる感じがあり
腕の回りが遅くなり
フォームが乱れはじめ、
プルから腕を腹のした辺りでプッシュする動作が
力なくなんとか逃げたくなる。

現役時代は1の腕のパワーがなかったが、
今となっては二の腕が先に悲鳴をあげる。

そもそも今日は新しい水着のテストで来ていたはずなのだが、
帰り際にはそんなこと忘れてしまうくらいだ。

まぁ、忘れてしまうくらい
水着はぴったりでもあったのかも知れない。

ダイエットもいいが、
プールでのスタミナが戻るようにしないとなと心にきめる。

夜9時の東京体育館前
(早くも腕の付け根後方が筋肉痛になりはじめている…)

日本は国をあげてキンドルを作るべきだったのではないか?

●キンドルを買った
本が買いたくて仕方ない。
しかし、本棚を増やすスペースは我が家にないので、キンドルを買った。

●「プラットホーム」キンドル

キンドルは単なる電子書籍リーダーではなくAmazonが用意したプラットホームです。

経済を発展させるたときに道路に似ている。
道路一つにはそれほど意味はないけど、拡大拡張を繰り返していくと国の生命線的なインフラの一部になる。

電子書籍データをやり取りするインターフェースとしてのキンドルは、Amazonが安定的に電子書籍を世に送り出していくインフラの一端でAmazonが用意した電子書籍を日々送り出していく先になる。

その洗練された動作はあたかも生活に欠かせない水を日々送り出していくように自然な動作で蓄積するよう、地道にかつ的確に機能することになると思う。

一度買えばどんどんキンドル内に「電子書籍を読む権利」が発生、蓄積し、Amazonによるサービス提供によってのみ成立するエコサイクルに読者は日々引き込まれていく。

本が読みたければAmazonで買えばよく、便利なキンドルは本屋などにとって代わり、身近な手元にある本屋という感じで稼働し、あたかも魔法のようにクレジット決済は行われて、買い物の際に必ず発生する消費税でも払うかのようにAmazonが地道に収益をあげていく。

●本の虫を育てた責任

ではなぜ日本の、それも「国」がキンドル的なものを作れば良かったのでは?
とタイトルで投げ掛けたかと言うと、日本は識字率が高く、教育において多くの本を扱ってきたということ。があるからだ。

要はかなりの部分で本を消費しないと生きていけないパブロフの犬状態を少なくとも高校位まで、実に12年間仕込んできておいて、刈り取りを日本がやってないのは不味いのではないか?
ということ。
もちろん、紙ベースの本が主流だった段階は問題なく刈り取りもしていた。
配本のシステムや再版防止や、国として本を守ってきたところもあるが、産業としてまた経済成長を促す上で血となり肉となる文化の伝達手段である本を取り巻くシステムは守られてきた。

ゴールドラッシュの際に誰が一番儲かったか?と言うことの答えは、作業着であるジーンズ業者が一番儲かった。と言うことだが、経済成長のさなか一番日本で長く大きく儲けたのは出版社や配本をする業者ではないかとすら思う。

儲かった会社は還元こそしたのかも知れないが、汎用的に優秀な人間をかき集めて安泰なシステムの上にいて、なおかつ法的な庇護の元にありながらいまの体たらくだ。

Amazonを選ばざるを得ない状態を甘受している彼ら。

プラットホームは作らず、冒険はせず、ノウハウがある本作りとその派生系である電子書籍のコンテンツ作成側に居座る場所を探している。

残念ながら日本では散々時間が経った挙げ句アメリカの私企業に身を委ねなければならない不条理な状況に陥ろうとしている。

この状況はなんだ?という訳。
(まぁ、アメリカさんとは仲良くすべきというスタンスも解らなくはないので、ありと言えばありかも知れないが…)

今回買った製品の成熟度を見るに、5周回遅れといった感さえ覚える。

●ガラパゴス万歳な日本語
ガラパゴスな構造を産みやすい日本語を考えの根底に使い、日本語による書籍が既に多く存在し、書店と言う形で近年まで多くの本が流通していたところにある。
日本では本が愛され本によっての知識伝達が頻繁に行われてきていて、道をつくるように今ではなくてはならないインフラになってきているわけ。

そのインフラを他国の一企業に委ねていて良いのか?という一抹の不安、水や道路を外国の私企業に任せるような不安があるわけで。

しかも、日本の一企業がそれを肩代わりするのもオカシイ訳で。
(KoboよりKindleを選んだのはAmazonの方が日本の私企業より信頼に値するからだ。ことサービスの存続にはAmazon位のサイズがあるか国策企業位のバックが無いと存続性と言う意味で成り立たないだろう)
国の仕切りで環境構築がされてれば、日本人として国に対して納税している意味も出てくるのではないかと言うことで、可能性がまだ残っているなら電子書籍リーダーは国産品を出して欲しいところだ。

●施策として(オマケ)
狼狽するだけの話ではなんの実りもない。
逆転施策の片鱗を置いて置こう。

日本が国として電子書籍を展開していく逆転施策…。

国会図書館とリンクして生産される本のすべてを国会図書館の仕切りで電子書籍化していけばよい。

出版社や書店にはそれなりに上がりが入るシステムにする。
書店は書店売りの本に関して儲けが得られるシステムにする。

国が仕切るわけで、仕切り値はボリュームでは変動させない、出版社にも上がりが確保されるなど、幾つかの仕掛けを用意。

更に国会図書館を経由し電子書籍化して世に出す本は税金の減額化をするとすれば、外国の書籍も参入してくることに。
TPPが始まれば関税は無効化しそうですが、関税とは別のアプローチはできないもんですかね?

同人雑誌や狭い分野のカネを払いたくなる情報だから…国の財産、もしくは国の血液と考えて然るべき人たちが立ち上がって貰いたいところ。

●そうはいっても

そうはいってもキンドルを買ったので、思う存分キンドルを楽しもうと思う。

そしてキンドルは中々良いことがわかってもきた。
リスクとして垢バンなども有るが、会員制のサービスに垢バンは付き物だし、世の中的にはこの先5年くらいで何が起こるか解らないが、とにかくAmazonさんにはキンドルに関してだけでも安定的なサービスを提供してもらいたいものだ。

サーバント×サービスを見てworking!と比較。

サーバント×サービスを見てworking!と違い落胆とイライラが。

working!はスタート時点でワグナリアのことを知らず良い導入ができたのだと思う。

だが、サーバント×サービスのイライラ感は別にあった。

サーバント×サービスを見ていて税金はこんなことに使われてるのか…ってことがテレビで一方的にどんどん入ってくるのは気持ちが悪いのだろう。

4コママンガだとこんな不快感はなかった訳だが…。

ぽぷら的なカワイイ娘がいないから居ないからかなぁ…

期待していただけに残念無念。

暑いとウキウキ

暑くて干上がりそうだ…

と思いながらランチに出たら
意外と足取り軽い。

どうやら、小さな頃からの習慣で
暑くて太陽がギラギラしてると
ウキウキするらしい。

習慣は大切だ。

洗練された高度なプレイ

終電一本前に乗っていつもより早く帰る。
金曜日だしな。

家路

ふと、下をみると
よそ行きの格好をした男女が二人、道路脇にあるごみ捨て場に仰向けで寝そべっている。

見れば二人は靴を脱いでいる。

女は泣いており
男は腕枕…

新しいプレイ…

…なのか?

なかなか洗練されたオトナしか立ち入れない何ゾーン…

ただ声を掛けるのは野暮だなとは思えたわけだ。

金曜日だしね。

ウザイ、ダルいタルいが死後になったわけ。

ウザイと言う言葉が以前あった。

それは、現状より良いプランが見いだせず、もしくは言葉であらわせず、考えるのが面倒な人間が、状況を指摘されたさいに使っていたのだと思う。
声高に発することで、暴力的な動物の反射的な遠吠えのように響き、居丈高なわりに実は白旗を振っていたという非常に格好悪い態度だったんだろう。
しかし、まぁ瞬間的には犬の遠吠え的に脅しは効く。

その時点で体裁は繕える便利な言葉だったんだろう。
親や学校の先生など甘える対象に対して(自分は対処しきれない範囲の話に対して)ウザイ、と言い放っていたわけだ。

が、彼ら以降の世代では居丈高な態度をとるぶっきらぼうさ、人間的なパワーさえ出す勢いがなくなったためか、ウザイと言う言葉が死後になっていった。

ウザイが口伝でなごっている地域は、遠吠えを発する元気がまだ残っており、彼らの責任放棄したいが故の発言による恫喝を、彼らを取り巻く社会が許しているのだろう。
噛み砕いて言うと「小便臭いダサい甘え」を受け入れる余裕が社会側に有ったのだろう。

だが、およそ、それら甘えを許した環境は消耗しもはや甘えを許さない状況に来ている。

タルいとかダルいも対義語のアクティブな状態がなくなったため言葉的に聞かなくなった。

みんなダルいし、それでもなんとかしてるわけだ。

ダルいなんて言葉を発するパフォーマンスが既に古いわけだ。

耳障りな言葉は前に有った世代との障害を取り除くための防衛本能からくる防御柵なのかもしれない。
既に驚異の対象がなくなっているなら、引き潮のように時代から、それら耳障りな口汚いフレーズは去り行くのだろう。
その耳障りなフレーズも前世代にかてそうもなく豚足して青春を過ごした彼らなりの存在証明なのかも知れない。

死語ってのもこう考えて見てみると中々赴き深い。