西新宿 パスタカフェ"スパッソ"

早めの夕飯。
世界堂でキャンバスを買い込んで、へたった財布を助けてくれるのは小田急ハルク地下一階のパスタ屋パスタカフェ”スパッソ”。
新宿きってのリーズナブルでたっぷりのボリュームも選べるパスタ屋さん。
駅の地下で680円、S、M、L、LLが同じ値段で食べられます!
知るひとぞ知ると行った店で、買い物帰りの奥様方の憩いの場と言った感じです。(学校帰りの学生なんかもいたりしますね。)
今日はブロッコリーが食べたかったので野菜のパスタLLを選んでたべました。
すげーうまい!という感じでもないのですが、野菜もしっかり、サッパリ美味しいのはイイ感じ。
茹で加減は細麺をしっかり茹でと言った感じでアルデンテ好きには少し物足りないかも。
駅に近く、後味もよくソコソコうまいっていう意味では、スパッソは中々バランスのとれたおすすめの食事スポットですよ!

mixiの憂鬱

ある晴れた日のこと~♪
え~、12月頭からミクシイがアカウントの登録を招待制から任意な登録制に変えるそうですね。
想像の範疇だと、株主=ステークホルダーに右肩上がりの数字の向上を突きつけて、ユーザー誘因が不能な現状への策として考えぬいての事なんだろう。
ミクシイはこのシナリオを選んだ段階で、日本型のソーシャルネットワークを独自に築きあげるというエポックメイキングで野心に満ちた展開や思いは捨てたのだろう。
今まであったコミュニティのテコ入れなど国で言うところの政府的な支援策をうたないまま、野放しに。
経営学の基礎、ポートフォリオ戦略でいくならなにもしないワイルドカウは負け犬に転向するという典型的な例。
つまり、最低なシナリオをミクシイ内で大量に発生させてきた彼らだから、会社自体も光る部分を研かず、右肩上がりの成長を夢見ながらずるずる尻尾を引きずりながら、やがて朽ち果てるのだろう。
発展がなく、売り上げが下がり経営者責任が問われる。
まあ、無策なら仕方ない、退陣するか、座して死を待つべきだと思う。
株主へはシナリオ通りだと嘘ぶき、登録者の熱を呼び覚ます様なアクションをしなくては、結局潰れるだろう。
登録がフリーになった段階で業者が大量流入しスパムメッセージを大量に送りつけ、ストレスが増大し、ユーザーがカイリしていくというシナリオは子供にでも書けるはずだが。
まぁ上場したりするとダメになる例の典型かなとも思う。
何かもっと面白い事をじゃんじゃんやって欲しいものだ。

西新宿 らあめん ほりうち

ちゃーざるの味を西新宿で守ろうとした店「らあめん ほりうち」で、ざるらーめんを食べた。
850円
西新宿の有名なラーメン屋の代表格だった満来がビルになり、西新宿を見限り高円寺辺りに楽隠居をした。
ビルの取り壊しを見て当時ラーメン好きの上司と食いに行ったことや、あの丸太みたいな物質的肉の塊がまた食べたくなったり、中の良い友達が引っ越す姿を見届けるようなバツの悪さを感じた。
また、ひと時代が終わった様なしんみりとした気分にさせられた。
しかーし、ファンの意思を汲み取って…
という事らしいのだが、満来の残党が西新宿を離れず、ちゃーざるを復活させたというのだ。
丸太の様な物質が僕らの街に戻ってきたわけだ。
そぅ、その店の名前が「らあめん ほりうち」なのだ!
当方はニワカラーメンファンなのでその辺りの事情には疎く最近までその辺のことは全然知らなかった。
場所は満来からみて宝屋との逆方向、焼肉の名店「ぱっぷはうす」のあるビルの一階、旧満来から100メートルない距離にある。
オーダーして出てきたのは、まごうことなき「ざるらーめん」だ!
酸っぱい系ではなく、醤油系のスッキリあじ。
麺はあの水っぽいフニャフニャ麺。(記憶している満来のモノより水切りとゆで具合が良い)シナチクがやや増量、肉は少な目な様子。(まーそれでも通常のラーメン屋にあるチャーシュー麺くらいは入っている)
満足このうえないススリ心地。喉ごしやツルツルと吸い込む感じがこのフニャフニャ麺は心地良いんだこれが。
で、この「ほりうち」の味だが、厳密には「満来」の味とは違うのだ。
七味を効かせ、後半の飽きをセーブし、かつ、海苔(青海苔?)の粉末?を効かせ浸けダレが絡みにくいのをカバーしている。
弱点を補いつつサービス精神のあるしっかりとした味を提供してくれていた。
驚くことに閉店間際に滑り込んだが、器のあしらいもソコソコ綺麗で、カウンターも清潔だった。
ナイス。
ことつけ麺屋はつけダレの器が軽いからか、浅いからか、底にタレが回りベトベトしたり不快にさせる要素がラーメンより多いのだ。(若干麺を置く順番が他の客とズレたのでヤヤ不満はあったが)
食べ終わる前にスープを足してもらい、つけタレとスープの味を楽しむ。
この時舌が七味と青海苔?とシナチクの触感でパニックになったがまぁ原因が見えていなかったのだし仕方がない。(それとも仕事での徹夜の疲れが出たかな?)
蛇足ながら、西新宿の名店「満来」「ほりうち」のラーメンマニアを喜ばせた復活劇、もしくは美談にはいらない話がついてくる。
なんと、楽隠居の身でビルのオーナーになった「満来」が「満来ビル」、小田急ハルクの真裏、「満来」がもともと有った場所に戻ってきたのだ!
う~ん。
なにやってんだ「満来」?
かなり謎。
自分が見捨てた場所で儲かっているのが癪に触ったのか?
一杯引っ掛けながら食べる店だった「宝屋」だってしっかりした店構えになったり状況はいつも移り変わっているんだ。場所は悪いがどこも頑張ってんだから、大人な目で見守れば良いものを。
まあ、近々(ry、「満来」にも足を運んでは見ようと思う。
徹夜明けの晩の飯はそんな意識朦朧の満腹感の中に消えていった。
(写真は「ほりうち ざるらーめん」「ほりうちの店前」「なぜか帰ってきた満来」)

ネットとにらめっこ

「フックになる、ガツーンと面白いそれだけでネットに
引き込むようなネタがトップに欲しいんだよね。」
な、ことを、さっき言われたんですが、
商用に使えてネットにあって面白いものなんて実はありません。(きっぱり)
最新情報が欲しいで情報サイトに張り付くとか
2ちゃんみたいにひとつの話題についてダベったり、しかも統制が効かないとか、
ニコ動見たいに金と関係なく楽しんだり、
タダゲーが爆発的に面白いわけでも無いし、
文字でのやり取り、2行小説の応酬なんていうのも
やってみないと面白いかどうかはわからない、経験者のドーパミンは出すけど、未体験者のドーパミンどころか、PCを立ち上げるモチベーションさえも引き出さないしな。
中年世代の欲望を引き出す、何かこうガーンとアレなアレ。
え?
紙に掲載してグッとひきつけるもの?
エロ?とか?
うーん。
そういうのもいいんですがね。(まー結構クライアントさん的に厳しいかな)
個人的に考えて何でネットを見ているかというと、
趣味の最新情報が欲しいということ。
面白い何かがどこかで起こってるんじゃないの?
という、病的で可愛そうな探究心。(仕事的にもやるべきところではある)
あとは、知らない人と話をしたり、おもしろそうな本を探したり
やりとりができる場所で遊んでみたり、
うーん、面白いものったってメジャーなものは意外と面白く無いしな。
恐らく、Macで絵を描いたり、写真を撮ってなかったりしていなかったら
何も無理にPCなんてひらいてなかったしなー。
小さい頃近所で遊んだ十字路とか、公園とか、そんな気楽なスペースをインターネットに求めてるんじゃないかな?
と思います。
メジャーで仕事に使えて後腐れがないもの?
ムービーがただで見えるとか、そんなのか?
それが他に無い特別なモノだったり?
まーなんだ、なんとなくは見えた気もするんだが、
アレコレ考えることを仕事にしています。
しかもそういう話は得てして夕方から来たりするわけで。
じゃー今夜も後半戦の山場、いってみよー

西新宿 もうやんカレー 利瓶具 十二社

カレーを頼んだら芋を取りに席をたつ。
ここ数年、一月一度?
多い時では週に2~3回はお邪魔していた店だ。
家からめっぽう近く、以前は利瓶具店の上に住んでいたこともあって、色々食べたし前の店長(いま池袋の池に行ってる)とはなんとなく話す間柄になってた。
日曜日、風邪をこじらせたのもあり景気付けに立ち寄りオーダー。
ビーフ1カラ、キャベツトッピング。
ルイボスティーで体を暖め、カレーにパクつく。
日曜日は少々甘かった。
ちなみ、よく食べるのはポーク2カラキャベツ、半チーズトッピング(夜9時以降が多い)
あとは炒め野菜とか、キノコとか。
以前の十二社に一軒しかなかったころのマンガを楽しむマッタリ感は若干減ったが身近にあって、満足感が簡単に得られる良い店だと思う。
ちなみ、この他に好きなメニューとして特筆すべきは、昼のバイキングで登場するオカラマヨとうどんだろう。
オカラ万歳!
あと恋人連れて行ったりするなら、半もうやんスペシャルでもツツイテみてください。
利瓶具は日曜日が休みで青梅街道沿いの大忍具が土曜日定休日です。
あー、何か書いてたらもうやん行きたくなってきたー

お土産 日光甚五郎煎餅

サクッ、カリッ、フワッ!
後味も清涼感あるもので、塩加減も控え目過ぎず多すぎずちょうど良い。
四角い形がカブリ付きやすいチャームポイント。
ヤヤ厚焼きなので歯触りがどーんと楽しめる。
食べごたえは余り無いので差し入れより茶菓子に良さそうだ。
日光国立公園銘菓
全国菓子大博覧会
総裁・厚生・通産大臣賞
興味がある人はサクサク感を試してみるしか!

両国 つけ麺屋ごんろく

昨日、江戸東京博物館の浮世絵展を友達と見たあとの夕方、駅前でばらけて目をつけていたつけ麺屋へ。
浮世絵展に行く前に目の前を通ったとき、昼の3時位なのに満席だったのが印象的だった。
じゃあ行くしかないっしょ!
雰囲気の良い店構えと暗めな照明にへぇ~って思いながら、入店。
食券の券売機、銘柄を見て既視感を見舞われる。
「辛味つけ麺」…
並中大が同じ価格…
客の方を向いたら、
「お馴染みの皿と器」…
「やすべえ」じゃん!
そう、大江戸線両国駅前の「つけ麺屋ごんろく」はほぼ「つけ麺屋やすべえ」です。
違いと言えば、
・甘さが極々微量だがやや控え目(誤差のレベル)
・麺多め(大盛り440グラム、確かやすべえより多い…はず…)
・肉がトロ肉風(たまたま?)
・味噌つけ麺がある(やすべえにもあったかな?)
超やすべえフリークという訳でもないし、時間があったら因果関係を探ってみます。
その他は、ごんろくとやすべえはほぼ同じ。
新宿西口のやすべえに数日前に行きたかったのでちょうどイイ感じだった。
刻み玉葱を目の前で作って補充するのは好印象。
隣の髪をかき上げる幼児(女の子)と目があいお互いオドケルなど、微笑ましい出会い(?)も有りながら完食。
なかなかイイ夕飯でした。
(今調べたらサッポロ実業と言うとこが展開してる店らしく、やすべえ、ごんろくの他にも浅草利平、つけ麺墨田などが在るみたいです)

目黒 萬馬軒

昨日、白金台の会社に通ってた頃何度か足を運んでいた店への再訪問。
庭園美術館に紅葉を撮りに行ったついで。昔デザイナーの先輩におごってもらったなーなどと感慨に浸りながら。醤油ラーメン大をオーダー。
焦がし醤油とノーマルな麺、背油少々という印象だったが、数年前にリニューアルした萬馬軒は店の構えに合わせ、味も少し洗練されたものになっていた。
卵黄色を少し濃くした麺と、以前ほどはパンチが少なくなったヤヤ焦がした様な醤油の味のするスープ。
ほうれん草少々と太めのシナチク。海苔とチャーシューが乗るスタンダードなラーメン。
カレーラーメンなど変わり種やつけ麺を出しているようだが、8年前はそんなのなかったなーとも。
開店時間直後だったのでヤヤ活気がなかったが、ラジオの競馬放送が流れ始めると昔の感じが戻って来た様にも感じられた。
馬券は貼られてなかったし、店内も明るくなったが萬馬軒は健在と言った感じだった。

美人画は誰が描く?

絵を描く上での自分の立ち位置やインスピレーションを
江戸東京博物館で開催中のボストン美術館浮世絵展に行ってきた。
版画がメインで多色刷りの妙技や日本の萌え文化、色が綺麗だと売れるんだなー
など、色んな感慨深いものを見せつけられた。
自分がどんなモノを描くかというのが最近引っ掛かっていて、その答えのヒントがあったとも思う。
先日ロフトワークスの勉強会と名刺交換会で制作会社の人間として新進のイラストレーターにブックを見せてもらっているときのこと。
細っこいモヤシっ子みたいなにーちゃんが、数十人いるイラストレーターの中にいて、回りに絵をみせていたのだ。
ジャンルは女。
しかも上手くない。
モノに成るよう努力の跡は見えるのだが…
ブックを見せてにやけるニーチャン。
周りのイラストレーターはヤヤ誉め。
(美術関連で相手を誉めるのは決してイイ場合が多くはない。)
なんだかドキッとした。
自分も女を描いている。
ポストカードを買ってけれたり、描いてくれと言われることもある。
だが、見ようによっちゃ、その細っこいニーチャンと一緒だなと。
一方、女の子が描いている女の子の絵は、イラストとして成立する。
なんだかなぁ。
まぁ、微妙なラインなら男は女の絵を描かない方がイイのかなぁと。
で、今回のボストン美術館所蔵の浮世絵展だ。
作者は男ばかりだ。
なるほど。
思えば萌え絵にしろ漫画にしろ男が描いている場合が多いな。
と。
なるほど。
要は、お金を出したくなる位に上手ければいいんだ!
と。
なるほど。
これならどうにかなるかも知れない。
1月のアート・パル展覧会まで間に合うかは分からないが、少し視界が拓けた気がする。
前回のデザインフェスタでのアート・パルでのファインアート的な色を楽しむだけの絵を描くのが僕の全てではないので、いま思いついて少しすっきりした。
デザインフェスタでは、正直そういうもんだな。と観念した部分があった。
体調ボロボロな中、紅葉撮影の後を押して両国くんだりまで出掛けた甲斐があった。
(写真は入場券とティラミスパン)

野望回帰

野望、お持ちですか?
小学校の卒業文集で世界征服を望んだ記憶さえある当方、西新宿ですが、前の会社を出たころから野望が薄まって行った気がします。
発端は7年前位に当時の目的を放棄したところからはじまり、
前職の最後の方には狙ったものかなりのものが手に入ったり、色々あって夢とは違う軽い野望が達成されてしまったわけ。
そもそも北へ逃げる目的もはらんだ北大受験とか、仕事がらみや、女がらみなど様々な野望を抱いてきた。
かのクラーク博士も「お前ら!野望をもちんしゃい!」とはっぱを学生どもに掛けたように、野望は行動の指針になるものであり、シャキッと行動するには良い存在といえる。
つまり、指針を持って突き進むわけだ。
いま久々に野望を掲げようと考えている。
野望はゆずれない。
小さな望みではすまされない、
そんなワイルドな望みをいま幾つ持てるだろうか?
実行力を伴わない進行は悲しいものでもある。
野望を持ち叶え、更にデカイ野望を持つ様なスパイラルを作り出す企画に自分をはめこもう。
停滞と浮遊の暮らしはこのあたりでピリオドだ。