さらば、ドコモダケ。

僕はWILLCOMユーザーだが、ドコモダケのスクリーンセイバーを使っている。
好きだった娘が使ってたそのスクリーンセイバー。
家も会社もそれを使ってると自慢された。
で、ちょっと動きがイイ感じだったので使ってみたわけだ。
気付けば早くも一年以上。
ずっと使ってると愛着も沸くし、勧められた相手が相手だから悪い気なんてするはずもない。
しかし、その娘とも会えなくなり、
しかし、ドコモダケのスクリーンセイバーは残った
愛嬌はあまりないがにくめない、チットは思い出もあるし、削除するのもなんとなく手がうごかなかった。
離席後に動きだし呑気にクルクル回ってる。
だが、8月31日でそのスクリーンセイバーは使えなくなるらしい。
さらば、ドコモダケまたいつか会う日まで。
なぜそんなことをするのか、
察しはついている。
だがやはり少し残念な気がする。

倒れる訳にはいかない。

2日ぶりの我が家に向かう道すがらメールをしてる。
とってしまったコンペ、20日もない制作時間でいちるの光りを見定めてあがく。
しかしまあ、今回は有り得ないなと。
ボヤくのはおいといて、制作マンとして。またひとりのシゴトを頑張る男として、何が重要かと考えてみた。
気の利いたディレクションでもなく、正確なコピーでもない。
多分その答えは倒れないことだと思う。
いまヘロヘロだがそれでも俺は倒れない。
まーベースの違いだよな。

そして、そいつは降りてくる

コピー
要するに広告紙面を飾る文章を書いているとタマに詰まる時がある。
そんな折り、色々手段を使うのだが、そのうちの一つに降霊術がある。
や、実は厳密に言うと生きてる人間を降ろすわけだ。
エア降霊術。
そしてその術を使うと、普段は自分じゃ喋らない様なボキャブラリーをそこはかとなく発揮出来たりするわけだ。
この俺がアパレルの唄い文句を1年以上書いてきたなかには、そんな怪しい手段もチラホラあったりなかったり。
で、今日も激務に平行しながら進行しているややハイソで上品を気取りたいという案件に久々詰まってしまい、12時間際と言うこともあり降ろしたり、捻ったり、あーじゃこーじゃしてたわけです。
イクツかいいのが出来てきてもうひと声!と言ったその時、降りてきてしまったんです。
「吉永小百合!」 
タモリが愛した吉永小百合です。
やー楽しかった。
吉永小百合脳ですよ。
しかもサンプリングしてるのがどうやらアクオスのCMがメインらしく、出てきたコピーがヤバイ。
あの容姿と声とキャリアとスポンサーがあるから「液晶世紀」とか言えるわけで、紙が一人あるきする広告ではハゲシク危険な香を放つわけ。
斜めむかいのデキル先輩ライター(本日泊りケテイ。)曰く、深夜あたりは偽者のコピーの神様が降りてくるから気を付けろとのことだが、俺なんか、吉永小百合だよ!
ちょっとニュアンス間違えると岸朝子だ。
俺は先輩ライターに吉永小百合降霊を自慢したわけだが、あーへんなの降りてきたねー
って。
まぁ月曜の終電間際と言うこともあり、暫し液晶世紀を楽しんだあと、手に持ったエアアクオスを放り、薄紫のエア和服をかなぐり捨て、天地茂の明智小五郎みたいにベリベリっと素の自分に戻ったわけだ。
その間0.01ミリ秒(ウソ)冷静に言葉を選び、そう、スチーブンセガールのビンタみたいに性格無比にメールを代理店ディレクターに叩き込み、かつ喜び勇んで終電車なわけだ。
危うく吉永小百合コピーを選定しそうになったにわか失策はあるが、中々良いシゴトが出来たと思う。
これが偽者コピーの神様でないことを祈る。
そう、それと、くれぐれも降霊するときはサンプリングをきちんとすること。
今回は中途半端な知識と降霊技術で降ろしてしまったがためにテキトーな吉永小百合が降りてきてしまったわけだ。
例えば、朝、飯田橋駅の駅舎でジパング倶楽部のポスターに写る吉永小百合がどのメーカーの一眼を持ってるのかしげしげ見てたからとか、シゴトのシスギとかが問題な訳ではない。
そう、実際の吉永小百合はもっと素敵な言葉を話すのだろうけれど、私にはしるよしもないのだ、(その時点で降ろしたら負けだわな)
まぁ吉永小百合は広告向きでなかっただけだし、逆に人として割と普通な日本語がつえるあたり、いまとなっては誉めるに値するのだが、
まぁなんとも素敵な数十分だった。
と、
真剣な面持ちでケータイのキーを打鍵してると目の前を怪訝な面持ちの岩井志麻子に似たオネイサンがメンチを切りながら通りすぎて行った。
この時間から歌舞伎町方向に向かうのだからあながち本人かもしれないなと。
中々シビレる面持ちだった。
帰りのコンビニでンゲーまぶい女性に会う。
なぜか会釈され、はらひれふ。
今日はこのへんでー

忙しいっ

忙しいにも程がある。
毎朝タクシーで新宿駅に向かい、帰りは終電。
33になるこのカラダは幾分コントロールしずらく、
うまく話が進んだいい頃合いのシゴトが重なり、居ながらにしてハイになっている。
恐らくそれでも体調は悪くもないし、仕事もなんとかなっている。
サーバの負荷テストのようにガリガリ仕事が流入してくるワケだ。
んで、こちらはキカク屋だ。
そいつらでソフトクリームをこしらえたり、ガソリンに混ぜてみたり、面白そうなオチを付けて売り捌く。
まぁそんな感じだ。(ほんとか?)
今が面白ければいいならこのままもありだが、
自分の名前に一字あるような、すこやかさって言うの?
そんなヤツをこの先は暮らしに取り入れていこうかと思っている、
なので、仕事でドンパチも程ほどにしようかと。
なんてヌルイことを考えている。
ヤルかは判らん。
金属も磨耗し続けると真っ赤に輝く様に、
この状態は少しオカシイ。
てか、遅い青春とかなんとかなのかな?
サラサラトマトでも買って帰ろう。
いまの俺に必要なのは、好きになれる女とリコピンだ。

夜、そぞろ歩き。

こんな時間に外にでて
アイスキャンディーを食べている。
バニラバーだ。
ずっとずっと昔。
海沿いの宿で花火のあと食べた。
銀紙に包まれたアイスだ。
今は銀の紙ではないし、あの頃仲良しだったみんなはいないのだけれど。
6月を前に夏日が続く。
東京の傍らにも海の風か。
家に帰り振り込みのために出た星もない夜空に
懐かしい香。
あの浜は今は無いのだけれど、覚えているキラキラした時間。
取り立てて何と言うわけではないのだけれど。
僕はあの頃旅の良さを親や町の友達達から教わったのだろう。
また夏がくる。
そぞろ歩き、
今度は誰と一緒なのだろうか。

面白い。

ジワッとにじりよる波の音
面白い。
「仕事が面白いのね、」
そう言われることがある。
半分当たりで半分ハズレ。
プレゼンに勝つ波がくるようになった。
勝つのは悪くないが、それはまた別の話し。
そこは特に面白くない。
(言うなれば、嬉しい、だろうか。)
企画屋としては、みんながハッピーになるシナリオを作るのがスキで、ウケ狙いの妙な企画は余り出さない。
(と、自分では思っている。)
少なくとも、客の成功の可能性が見えない企画は奨めない。
きちんと、みんながハッピーになれ、当たる話を提供したい。
正気で判断できる会社にしっかりとした提案を押していく。
突くべきを突ければあとはどうにかなるワケだし。
で、面白い場面がまたやって来る。
グーッともち上がる仕事の勢いの波、波、波。
調整し、
場の動きと制作のスピードをあわせ、
内容をつめ、
かわすものをかわし、
期待の波をつくり出し、
クライアントが満足する
みなが納得するところまで載せる。
この盛り上がりの起こり、
波が怒濤の勢いで走り、
一瞬の駆け引きの後、イッキに引いて行く。
この感じがスキだ。
そして面白い。
ぐっとくる。
何か、波乗りに似てるなとも。
そんな中、ひとつ思ったのは
そのタイミングに、フレッシュにいれるかどうか、という事。
恐らく5年前にも近い心境で同じ様な話をしていたはずだ。
フレッシュに。
軽く
心身共に軽く、速く、深く
反応できる自分。
それなりのワザと知識とノリ。
だが、動けないのがとにかく良くない。
企画に関わる場合、実作業は最後までやらない
企画に徹すると、ディテールの部分は良いのだ、
おおづかみで、うまく行くこと。
プランの組み立てに集中す。
キッチリ、ハートを掴める
そをなモノを作って行きたい。
秘訣と言うか、核心に近い何かがわかるか、どうなんだ。
それに到達できるチカラと勘に対応できるよう少なくともフレッシュにいたい。
そして、心身を鍛えるようにしたい。
昨日受けた疲れは癒えた。
単ある程度は水でも飲んでいればスイッチが切り変わる。
やっといつもの立ち位置に戻る。
さあ、波乗りの終盤だ。
ステージが待ってる。
ショーの再開だ!

ギャル曽根!

今更か?
と言う感じですが、私のなかでギャル曽根がキテます。
アツイ。
まーなんたろう、
アイドルより良いかなー
なんて。
食べる際の身振りや
フリが良いのだ。
見てくれに惚れる部分もあるが、女の子っぽさが凄くちょうど良いのだ。
強すぎず弱すぎず、安定的過ぎない。
ベストバランス。
しかも、仕事人!
プロだ、
ヤツはプロだ!
と言わせる感じ(食べたあとのリアクションなど)
じゃぁ、食べてなきゃイケないのか?
と言われれば、そりゃNoだ。
大島渚が監督であるように、ブリトニーがブリトニーであるように、特に大食いである必要は無いように思う。
まぁ、暫くは大リーグボールを体ギシギシ言わせながら投げる星飛遊馬の様に、もがくのかもしれないが何か別のポジションへ華麗に転身する姿も見てみたいなと。
ステレオタイプなスタンスで、要求される期待に応えているだけでなく、スッと変われる様な雰囲気とスピードが有るように見えるのかもしれない。
で、まぁ、アイドルなら下敷でも買うところだが、
仕方ないので、ローソンで弁当を買った次第。
味?

まぁ、カレーだべ。
オムライスとしても…
感じとしてはスナッキーなカレー。
感激よりコンスタントに口に運べる感じ。
決して辛くない。
盛もたいして大盛りではない。
大盛りではなく、恐らく、アレを何枚重ねるかが勝負ポイントなのだろう。
そういう大盛り。
(チョィあげ底だった。サークルKのカレーのがうまいかな?)
効果としては、シールに乗せられ、食が進むのが最大の効果だとおもうね、うん。
で、弁当はともかくギャル曽根の今後に期待して見まもる感じだ。
(弁当、第二段とかでるのかなー)

連休はネコム。

昨日今日と調子が悪い。
休み初日に美味い肉を食べ、気力体力ともに調子は好調なはずが、
帰り道にカメラで街を撮ってた時に寒かったのが悪かったのか、
窓を開けて寝てたのが悪かったのか、喉の風邪になってしまった。
ダイエットも予定もキャンセルで今だらだら中。昨晩さらに
チョロチョロ手を動かしていたら、更に調子悪化。
orz
明日にはなおっているとイイなぁ。
一人で家に篭るのは僕は余り好きじゃないんでね。
そういや、豊洲からベンゼンが一杯出土しちゃって築地の移転が怪しいらしいね。
日本の食を支える重要な場所だし、きっちり事が運ぶといいなぁーって思います。
築地拡張は、食の需要が高まるにつれ、必須になってく話らしいだが、
東京は土地がないし大変だー
や、それより早く体調なおすだべ。

3個だ。

義理3コ。
いいんじゃないか。
たまには数も重要。
これくらいの気分も良いじゃないか。
最近はドラマを見る様になった。
明日の喜多義男
未来講師めぐる
交渉人
ハチクロ
人が演じるのを見るのが少し良いなとおもえる様になった。
それがコメディでもなんでも。
小説もイイペースで読む様になってきた。
読むのは遅い方だけど興味や集中の矛先を変えることができる。
少しづつ少しづつ、よくなって行こう。
そう思うんだ。

KYを疑え。

KYと言うヤツ、こと、20代になってもいないヤツが言う。
空気読め、つまり場の雰囲気、なんとなくあるその場を尊重しろと。
言い換えれば村社会的な自然法に従えというわけ。
これだけ何でもありになった世の中で、KYと言う言葉が流行るということは、衰退失速を余儀なくされるのでは?
恐らくそこには新しいアイデアなどはかけらも無く鬱積したもやもや(´д`)ばかりが残るのだろう。
あなたの口癖にKYはあるだろうか?
もし芸術でもなんでも人を動かす表現を扱う仕事なり暮らしをしてるなら、そのKYを疑うべきだ。
まだあなたが作り出していない新しい空気や、和みのもとを否定する時では今はないはずだから。