コマンドNという会社が千代田区と?はじめたらしい「チヨダ3331」に行ってきた。
今日から開催らしい。
…にしては、出来てるテナントとガランドウなテナントにパックリ別れ過ぎ。
この街の表現的にはα版公開と言った感が強かった。
アート柄みの一部のひと、知ってる人しか入らない。/入れない。いまのとこそんな場所だった。
(よく知らないまま突入してみたが。)
希望的観測としては、末広町からわりと近いのでアキバカルチャーをキチンと昇華しながら、少し間を置いた関係で成長をしていけば成功なのかな的な。
しかし、今日見てきた限りでは前述の通りアートに詳しいひとがとりあえず来る場所のようで…。
しかもビジョンの流布をしていないのでどこに向かってるのかもよく分からず、まだまだな感じ。
(「アートセンターです」とスタッフが言って居たが、ショッピングセンターみたいな分かりやすさはそこにはまるっきり無いし、テンポラリーアイテム、テンポラリースペースでしかなかった。いまはリリースする体裁が保てていない状態だと思うんだが…。)
全フロア公開するには早すぎだし、もう少し成形してから世に出すべきでは?と思った。
(今日の船出を勝手に期待していた外野の思いね。)
振り返って見る。
美大の延長と考えるならあんなもんだろう。とも。
ちょうど美大の学祭で校舎に迷いこんだ際に出逢う光景に酷似している。
しかし、山奥の美大は既に世俗との交流を絶ちキモチワルイものにさえなってるしなぁ(以前直接行ってみた感想と数日前に行った5美術大学卒業展覧会を見てそう思う。)と思う節もあるので、美大の要素を上野近く(東京芸大近く?)に輸出してきただけと考えてるならその取り組みはイイ果実は結ばないのではとも思う。
(タマビって多摩美だろ?東京芸大へのカウンターかな?)
どうやら、当方が期待していた方向(一般人寄りの美術を売り込むファーストステップ的な、コミュニケーション改善への取り組み)とも違い、
開かれた街と人とアートを繋ぐとかそういった野心的な場所では無いようだ。
(と今日は思った。今のところだがね。)
スタッフに話をしたところ、アトリエの期間貸し、ワークショップ、学校、自社企画の展覧会、各テナントの展覧会。
そんなところだそうで。
なんかワクワクしないのは俺だけ?
アートに詳しくないひとは来ることのない…、また外界のひとを拒絶したような作りだったのは早く改善した方がよいだろう。
…というのは、やはりあれだけの箱を用意しても、芸術界隈な同族の中での循環でしかないようで、もったいないと思うと同時にちょっと寒気がしたからだ。
農業との交流なんかもやってるようだが、ムーブメントに成りきらないかもっていう雰囲気とモヤモヤ感でいっぱいだった。
まぁちょっと手厳しい話をしているが、期待してるので3331さん頑張ってください。
(ふらりと遊びいく場所くらいになれば万々歳です)
プロフェッショナル~仕事の流儀~材料科学者、細野秀雄の回を見直している
新素材を作り出す材料科学の科学者細野秀雄氏の回。
見ていてビシビシ考えているところへのインスピレーションをもらった。
じゃあ、忘れないうちにメモしていくかな?ってね。
細野氏は超伝導物資などの新素材を作りあげていく科学者で発言が鋭利なイメージのひとだ。
自分のやりたいことを貫く感じは尊敬するところだ。
「化けないとつまらない。」
「エンジョイだけで仕事なんてしたら勝てない、エンジョイ、プラス勝てるってことが僕はプロの研究だと思う、そうじゃなかったら研究やってもしょうがないですよエンジョイだけだったら科学愛好家ですよ」
恐らくいま一番走っているんだろうな。55歳のトップランナーだ。
コンペティターなんだろうなぁ。
(企画屋として勝たないと仕事に成らないのは同意。)
あと、癒しツールを持ってる。
猫の写真本。これ、意外であり必要なんだろうな。
腹空いて会議に出ると怒りやすいから食べるとも。
最近当方は色々展覧会をはしごしてるんだけど、絵の世界で当方が気になってること、最初にやるやつの発想力は凄いし、しかし自分の世界を産み出した気楽さもあるなってかと。
例えばピカソの描き方や絵、色使いを真似るやつは山ほどいる。
最初にやるやつ、ここではピカソは後陣に比べ恐ろしく気楽で、ある意味卑怯だと僕は思う。
ピカソは自分の作品を作ればイイのだし。
自分らしさを無理に組み込む必要はない。
言ってしまえばピカソ以前、ラスコーの壁画を描いた人間が一番気楽だったと思う。
未開の地は段々と日を追うごとに少なくなる。
後陣は新しいことをしてると思いながら、誰かが通って来た道かとビクビクしている部分もある。真似や旧来の手法は誰でもやれるハウトゥー要素が多いが、それだけに枯れた農地をいかに効率良く耕すかと言ったような行き詰まりの中を進まされるツラさがある。
以下にあげる細野氏の信念や直感、明るさに関する部分は絵描きも見習う部分では?
どうやらまだまだ未開の地は無数にあり、それを引き出すことはパッション次第でどうにでもなるのだと言うことが見てとれた。
細野秀雄氏はコンクリートに通電できる事例を発見している(材料科学にのめり込む切っ掛けでもある)
「こんな物資で電気が流れるならまだ無茶苦茶有るだろう。」
と直感したようだ。
そしてそこを自分の仕事のステージとして直感したのかも知れない。
茂木氏「いままで個体物理って色々研究されてる様に見えてるけど極一部しかかすってないってことですか?」
細野氏「それも間違いない、極一部ですよ。」
まだまだ余地があるエリアであるっていう、思いの部分もあるし、同業者の切磋琢磨が続いて実際に論文発表が続いているのもはげみになってるのだろうかな。
住吉美紀氏「出来ることはもう無限大じゃないですか、その中で次に何を絞り込んでいくですか?」
細野氏「異常にこれは…サイエンスに合わない言葉ですけれども、多分五感ですよ。
この辺だなというのは多分五感ですよ。
ただそれは、五感て言うのは修業をするとどんどん磨かれていくものですから、
バット振って当たったときの感触ってあるじゃないですか、
自転車もそうかもしれない、
自転車にのれるようになると絶対自転車に乗れるじゃないですか、あ、今回これでくと何か出てきそうだなって感触ってあると思うんですよ
僕はそれ非常に大事なことと思ってるんですね。」
と。
感触、流れに感じを掴み話さない、パッションと共に突き進む感じなのかな。
“プロフェッショナル 仕事の流儀 第VI期 DVD-BOX”
当方的にシンパシーを感じた部分は以上。
まとめのパートでは以下のようなことを話しておられた。
ブームではなく自分の研究を貫いていく、そんな研究者。
間違えた内容を含む発表をしたあとを受け、
失敗を乗り越えるのかどうかという話しで、細野氏は
「そこに、新しい可能性があるから、どう見たって有るからですよ、冷静に判断して、そりゃもうこっちやったら絶対なんか出てくるってそれが、サイエンスの筋もあるし、それから積み重ねてきたものが、積み重ねてきたものがあって、そこに繋がってるから、感情だけでは判断しちゃいけない問題ですよ。」
といっていた。
研ぎ澄まされていれば、勘は重要ということですね。
成果という鉱脈の近さは、何度かやってると
確かに分かってくるところがありますしね。
研究の醍醐味は?
「新しいものが作りたい、目から鱗を落としたい」
「これは俺が作ったって言いたい。名前が付く法則が作りたい」
あとは…
「ありきたりな物で作りたい」
プロとは「他のひとではできないことが出来ること。ただ単に楽しむだけではなく、独特の手法とか考えとか道具をマスターしてるひと、使いこなして初めて他のひととは違う事が出来る。それがプロ」
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた6
2010年2月18日~2月28日に国立新美術館で開催された
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた。
●総評
デジタルとの対決から覚めて、不況只中の日本を明るくしようという全体傾向と人間だからという開き直り、10年以上前から続く鬱路線などがキリモミしてる状態だった。
全体に彩飾されたカオスといった感じが出ていたので展覧会としては大成功だったのではと思う。
今回見てきて美大とは隔絶した環境で絵を描いてきた自分には各大学の傾向が見れて非常に面白い体験だった。
やはり環境なのか師匠なのか、教わる学校で随分と人は変質するのだなとも。
変質が化学変化なのか劣化、はたまた汚損なのかはそれぞれによるが、学校ごとの勢いも見てほしい。
各作品にはキャプションを可能な限りつけている。
無いもの、取り違えたものはご容赦戴きたい。
(当方的には日本のアートシーンはもっと華やかで人に元気を与えるモノであってほしいと思うから、新しい人が画壇なんかに囚われず元気に活動できればとも思います)
●当方が感じた傾向は
★武蔵野美術大学
作品がのびのびしていてデイスプレイも面白い。
作品にバラツキがあり、個人が伸びる人とダメなひとが明確に別れて興味深かった。
粗削りだが、発想で抜きんでてたり、見る人との対話ができていた。
★女子美術大学
見せ方はよかった。作品自体の定着も良く、まとまっており、まとまってしまった感じ。
デイスプレイは個人を尊重しないキュレーターかディレクターのひどさがあり、師弟関係の厳しさ、理不尽さが良く伺えた。
まぁ、エースは優遇されてるから、とにかく抜きんでれば問題ないのかな?
★東京造形大学
展示スペースと作品ボリュームがちぐはぐでもったいない感じがした。
大学自体の政治力の無さと学生のやる気の爆発加減が一致していない感が凄い。
ある意味残念な結果になってました。
作品のキッチュな感じと前衛的なアクションは非常に良いので大学自体の方向は良いと思うんだけれど、入れ物としての大学が…
あと、キャプションの配置など大学のディレクションが下手に思えた。
作品はムサビ、女子美タマビなどのスーパーエース級がいない分地道な強さが滲み出てて泥くささがナイスでした。
(なにしろ狭すぎだ…)
★日大芸術学部
元気が少し足りない感じ、作品自体の破壊力や完成度から少しがっかり。
学校に勢いがないのかな?
筋の良い割りとイイコな感じのモノが多くオンバヒガサな感じなのかも。
強いて言えばサイズが大きく優しいものがありそれはそれで好きな感じだった。昔行きたい大学だっただけに残念かな。
★多摩美術大学
作品が多くひしめいていた。
スーパーエースが割りとゴロゴロしていてそれだけに屈折と挫折とか。
綺麗にパワフルに振る舞っているが輝けない何かを学校が背負っている感じ。
グロい、ウツウツとしている前時代的なアートからまだ抜け出れていないスピードの遅さが露呈していた。
とにかく気持ち悪い作品が多く、並びも終わりの方に見たのでインパクトより食傷気味で「もういいよ帰って」と言う感じだった。
何より作品が有りすぎて対処に困ってる学校が見えるようでツライ。
せめぎ合いの中で何か見つかる…のか?という微妙さの応えも頂いたような気がする。
まぁ、実社会はそこまでビビッドでドギツイモノを求めて無い気もするが、彼らの生命力の片鱗は充分に感じられた。
●とりあえず
ケータイとデジカメで写して来たのでケータイを先行して投稿しておくとしよう。
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた5
2010年2月18日~2月28日に国立新美術館で開催された
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた。5
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた3
2010年2月18日~2月28日に国立新美術館で開催された
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた。3
この辺は味濃いなぁ。
しっかし何か綺麗に、屈折してる。
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた4
2010年2月18日~2月28日に国立新美術館で開催された
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた。
その4
女子美術大学のスーパーエースはシルバーやら蛍光ピンクの使い方が上手い様で舌を巻いた。いゃ、他も凄いから余裕が有ってできることなんだろうな~。
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた2
2010年2月18日~2月28日に国立新美術館で開催された
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた。
その2
貧乏臭いスーパーリアルは人を2倍貧乏臭くする…
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた
武蔵野美術大学
造形学部 油彩学科 油彩専攻
「関係」
濱田彩香氏
武蔵野美術大学
大学院 造形研究科 美術専攻 油彩コース
「shopping center」
遠藤 夏香氏
武蔵野美術大学
大学院 造形研究科 美術専攻 油彩コース
「skirt」
「a piece」
桜井 鮎美氏
武蔵野美術大学
造形学部 油彩学科 油彩専攻 Bコース 丸山クラス
「N☆A☆Gイズム」
米倉 奈緒子氏
武蔵野美術大学
造形学部 油彩学科 油彩専攻 Aコース
「宵」
前田 彩子氏
武蔵野美術大学
造形学部 油彩学科 油彩専攻 Aコース
「つながる道」
森田 愛香氏
武蔵野美術大学
造形学部 油彩学科 油彩専攻 Aコース
「本田」
井上 祥子氏
2010年2月18日~2月28日に国立新美術館で開催された
第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた。
●総評
デジタルとの対決から覚めて、不況只中の日本を明るくしようという全体傾向と人間だからという開き直り、10年以上前から続く鬱路線などがキリモミしてる状態だった。
全体に彩飾されたカオスといった感じが出ていたので展覧会としては大成功だったのではと思う。
今回見てきて美大とは隔絶した環境で絵を描いてきた自分には各大学の傾向が見れて非常に面白い体験だった。
やはり環境なのか師匠なのか、教わる学校で随分と人は変質するのだなとも。
変質が化学変化なのか劣化、はたまた汚損なのかはそれぞれによるが、学校ごとの勢いも見てほしい。
各作品にはキャプションを可能な限りつけている。
無いもの、取り違えたものはご容赦戴きたい。
(当方的には日本のアートシーンはもっと華やかで人に元気を与えるモノであってほしいと思うから、新しい人が画壇なんかに囚われず元気に活動できればとも思います)
●当方が感じた傾向は
★武蔵野美術大学
作品がのびのびしていてデイスプレイも面白い。
作品にバラツキがあり、個人が伸びる人とダメなひとが明確に別れて興味深かった。
粗削りだが、発想で抜きんでてたり、見る人との対話ができていた。
★女子美術大学
見せ方はよかった。作品自体の定着も良く、まとまっており、まとまってしまった感じ。
デイスプレイは個人を尊重しないキュレーターかディレクターのひどさがあり、師弟関係の厳しさ、理不尽さが良く伺えた。
まぁ、エースは優遇されてるから、とにかく抜きんでれば問題ないのかな?
★東京造形大学
展示スペースと作品ボリュームがちぐはぐでもったいない感じがした。
大学自体の政治力の無さと学生のやる気の爆発加減が一致していない感が凄い。
ある意味残念な結果になってました。
作品のキッチュな感じと前衛的なアクションは非常に良いので大学自体の方向は良いと思うんだけれど、入れ物としての大学が…
あと、キャプションの配置など大学のディレクションが下手に思えた。
作品はムサビ、女子美タマビなどのスーパーエース級がいない分地道な強さが滲み出てて泥くささがナイスでした。
(なにしろ狭すぎだ…)
★日大芸術学部
元気が少し足りない感じ、作品自体の破壊力や完成度から少しがっかり。
学校に勢いがないのかな?
筋の良い割りとイイコな感じのモノが多くオンバヒガサな感じなのかも。
強いて言えばサイズが大きく優しいものがありそれはそれで好きな感じだった。昔行きたい大学だっただけに残念かな。
★多摩美術大学
作品が多くひしめいていた。
スーパーエースが割りとゴロゴロしていてそれだけに屈折と挫折とか。
綺麗にパワフルに振る舞っているが輝けない何かを学校が背負っている感じ。
グロい、ウツウツとしている前時代的なアートからまだ抜け出れていないスピードの遅さが露呈していた。
とにかく気持ち悪い作品が多く、並びも終わりの方に見たのでインパクトより食傷気味で「もういいよ帰って」と言う感じだった。
何より作品が有りすぎて対処に困ってる学校が見えるようでツライ。
せめぎ合いの中で何か見つかる…のか?という微妙さの応えも頂いたような気がする。
まぁ、実社会はそこまでビビッドでドギツイモノを求めて無い気もするが、彼らの生命力の片鱗は充分に感じられた。
●とりあえず
ケータイとデジカメで写して来たのでケータイを先行して投稿しておくとしよう。
大熊紘子「思春期型の女性の今」トーキョーワンダーサイト本郷
絵の先生と申し合わせて上野で落ち合い、大熊紘子さんの「思春期型の女性の今」をトーキョーワンダーサイトで見てきた。
いま御茶ノ水でお茶をしてバラけたところですが、
コンテンポラリーアートってのは平面ベタ塗りを良しとする僕の理解の範疇外だけど、
伸びるロール紙が面白カッコヨカッタです。シンパシーを感じた。
逆スパイダーマン的な動きはなんかイイ。
アートとか芸術ってのも色々有るんだなぁとも
あと、来客のジャンルの多様さにもちょっとイイなと思ったり。
国立西洋美術館で常設も見てきた。
国立西洋美術館で企画展の半券が有ったので常設展の方も見てきた。
何年か前にもみたもんだが、駆け足で見ててなんとなく色々思うところが。
●ウジェーヌ・ブーダン
「トルーヴィルの浜」
絵は優雅なもんだ。
浜遊びしてる。
空も綺麗。
だが、何か画面が荒れてる?なんだ?
(こういうもんだっけ?)
●ルノワール
「帽子の女」
記憶より半段暗い感じなのを初めて感じた。
教科書で見たような気もするがもしかしたら製版技師が露出補正しちゃって明るくしたんじゃないかな?
(記憶色によるものとは思うけどね)
●ジャン・デュビュッフェ
「美しい尾の雌牛」
これ、いまでも評価されるのかな?
確かに塗りはいいが、マンガな世界だよな。
じっくり、したり顔で日曜に西洋美術館と言うのとかなり意識的に違う気分で見れたのは新鮮だった。
レジェとかも扱いがぞんざいで、ヤバイとこに置かれたり、変なとこに突如彫刻があったり…
あと、すきすきの館内で仕事のメールをケータイで書いてたら注意されたが、デジカメでバシバシ写真撮ってる女は注意されてなかった。
50周年らしいが、国立西洋美術館、どーなってるんだ?