5月13日(日)に開催されるデザフェスに参加します!
僕、さとーは日曜だけの出展になりますので、よかったら遊びに来てください。
ブース番号は E-146(日曜だけ)になります。
たぶん、写真
を中心に
平面構成
をやるのでは?と思います!
(ここ3年分くらいの写真を出すのかな?)
企画屋やってます。写真と絵がライフワーク。
5月13日(日)に開催されるデザフェスに参加します!
僕、さとーは日曜だけの出展になりますので、よかったら遊びに来てください。
ブース番号は E-146(日曜だけ)になります。
たぶん、写真
を中心に
平面構成
をやるのでは?と思います!
(ここ3年分くらいの写真を出すのかな?)
絵描きは提案者だ。
描いた絵が誰かの家に飾られるものなら、特に飾られたいから描いているなら…
空間をどうしたいか、
生活や室内の空気をどう変えどのようにコミュニケーションが起こるか、その時その絵がどのようにそこに有るようにするかを意識し提案するべきだ。
広い意味でのメッセージの提案者になるべきだ。
さもなくば、その絵描きの描いた絵は散漫で居心地の悪いものになりかねない。
折角あなたの絵に出会い買い入れてくれたのに提案が些末なものでは相手に対して失礼だったり、出会いが残念なものになってしまう。
そんなことは、当たり前なはずなのだが、多くの場合自我が強すぎコミュニケーションがうまくいかず、うまくやれない人が多いようなので、老婆心ながら書き留めておく。
全てはバランスだから、提案が強すぎても、相手の要望に沿い過ぎてもよくなかったり。
時には期待を裏切るようなエンターテイメント性が必要だったり難しいころもあるが…
まぁ、そのあたりは絵描きの持ち味だったり絵の本質な部分で他人がとやかく言う部分ではないので僕はなにも言わない。
2010年くらいだろうか?
オバマ大統領が若い世代への演説にて
とかなんとか以前力説してた。
(似た文章をGoogleのシュミットが話してる。)
ネットリテラシーの高い大統領が何を言ってるんだ?
という感じで当時受け入れられてたが、
ある一定のネットリテラシー高めなひとは
有る意味その辺を予見できてたし「なるほど」と思っていた。
アイスの保冷箱の中に寝そべる田舎の道楽息子とか、それを真似る若気の至り系な方々とか、古くはバリケード組んで風邪でもないのにマスクしたやからとか…
そんなのは以前にもありそうな話だし(昔の方がもっと変態じみてた)写真撮って回したり、青春の1ページとして心の深いとこ、奥の奥にしまいこみ、世に出てみんな朗らかな笑顔を満面に浮かべ、楽しく暮らしていた
…はずなわけだが、現代ではそうはいかなかった。保冷庫やその真似をしたアーリーアダプター数人に関しては、まさに時代が悪かった。
オバマ大統領の高説むなしくTwitterが一瞬にして彼らの人生を暗いくらい深淵へと飲み込み、一瞬にして築き上げた小さな砂城を蹴散らしてしまった訳だ。
LineやFacebookなど内輪に近いメディアならまだどうにかなったかもしれないが、Twitterに投稿してしまったのが運の尽き。
彼らの社会復帰とかを!と若気の至りで投稿したいたずらをどうにかしてやれと擁護する話もあるが、そんなのは後の祭り。特に大学生くらいの社会責任が問われてもおかしくない年齢の人間に関しては弁明の余地もなく、当事者同士のやり取りに身を委ねるしかないのが現状だろう。
Twitterはインターフェースこそ内輪なメディアに似ているが、
震災以降は市民権を得て公共メディアに近い存在になっている。
Twitterというネット直結の拡散メディアに流したら最後、
いじりやすい話題なら拡散に次ぐ拡散が繰り返され、
投稿した人間の意識などは特にくまれることはなく
作者の手を離れどんどん拡散、拡大していく。
流行りの話題を瞬時にクランクパスし
Twitterは話題をクラスタ状に押し広げ、世界に伝播する。
そんな「どえらい」ことがスマホ一台でできると言うTwitterは、
現代をとてもドラマチックに拡張し、長年人々が夢見てきた
自分の主張が広めやすい基盤を世の中に作り上げた訳で
メディアとして、実は人類史上まれに見る発明品だといえる。
が、一度手を離れるとコントロールしずらくなるそのスピードと
安全装置のない仕掛けは情報発信者にとってときに都合が悪くなる。
内輪のジョークはたちまち全国区の粗暴な事案にさえなる。
伝播拡散が早いTwitterならでは、拡散しだしたら最後
内容次第では即アウトだろう。
(スピードと拡散が早いから興味を引くものの伝播は早い。
逆に、芸のない模倣者の事案は拡散度合いは大幅に下がる
情報拡散において、オリジナリティと表現力は即問われる)
バイトの一言も、保冷箱へのダイブも、
センセーショナルなら世に猛スピードで射出される。
企業が長年培った信頼など、スズランの枝と同じレベルで
何の抵抗もなく一発でへし折る。
その力が真正面に企業を直撃したとしよう。
下手をすれば、株価は下がるし、野放しにすれば
一発ズドンで多くの罪もない社員たちを
路頭に迷わすことにも成りかねない。
(汚せち事件の拡散も凄かったよね)
Twitterは、ある意味では2ちゃんねるなどより、メジャーで手軽でしかも社会的殺傷力を多くはらんだメディアといえる。
そして当たり前な部分としてTwitterはネットによって支えられ、ほとぼりが冷めるまで拡散、格納され、終いにはある種の意図を持った人間に保存されあらゆる場所に傷を残し勢いがなくなったところで忘れられる。
(事実自体は残るが、とりあえず見放される)
それは日本だけでなく、オバマ大統領が力説するようにアメリカでも同じ状況だ。
とにかく、バカな写真なんかを競うエクストリーム競技?には参加せず、写真をもし撮ったとしてTwitterには載せないことだ。
ネットがある場所なら、誰も、そんな愚行を実行した者を庇うことはできないわけだし、責任は実行した者にあり、まだその社会的地位の回復を実行できるすべが見つかっていない以上、とにかく責任や危険さが解らない間は触れないでおくくらいでいいのではと思う。
下村さんや川満さん梅田さんの展覧会を見に行ってきた。
プロダクトの手練れが集まった展覧会。
僕の知っている絵描きの展覧会の驚きとは違う何か別の感激の連続。
これはまた得難い何かだったように思います。
(同じアート・パルのメンバーで有りながら、別の側面というか、水泳で言う種目の違いでの驚き?)
僕はちょうど今日、今年はじめての作品をつくばの先生のとこに出して来ました。
ひと段落!
というのと、もっとドーンと面白いのが描きたかったなという気持ちも。
妙な手を使って自己流でボカシを掛ける方法をあみだしたけど、それは有りなのかどうか?
とか。
すこし前に作った絵について、画材での色再現についてのクスミの話とか。
(これは気づかなかった。)
このまま前に進む心ずもりも決まったので、しばらくは課題山積みだけど、進むのみ。
少しばかり好転してきた。
下村さんや川満さん梅田さんの展覧会を見に行ってきた。
プロダクトの手練れが集まった展覧会。
僕の知っている絵描きの展覧会の驚きとは違う何か別の感激の連続。
これはまた得難い何かだったように思います。
(同じアート・パルのメンバーで有りながら、別の側面というか、水泳で言う種目の違いでの驚き?)
僕はちょうど今日、今年はじめての作品をつくばの先生のとこに出して来ました。
ひと段落!
というのと、もっとドーンと面白いのが描きたかったなという気持ちも。
妙な手を使って自己流でボカシを掛ける方法をあみだしたけど、それは有りなのかどうか?
とか。
すこし前に作った絵について、画材での色再現についてのクスミの話とか。
(これは気づかなかった。)
このまま前に進む心ずもりも決まったので、しばらくは課題山積みだけど、進むのみ。
少しばかり好転してきた。
例年夏に開催しているアート・パルの展覧会を
趣向を変えてデザインフェスタでやることに決めました。
ブースの申し込みも済みましたので一段落。
来年はちょっと頑張る!
例年夏に開催しているアート・パルの展覧会を
趣向を変えてデザインフェスタでやることに決めました。
ブースの申し込みも済みましたので一段落。
来年はちょっと頑張る!
篠山紀信
非常にバブルだ。
アートからエロまで色んな雑誌で消費されてきた写真表現の生き証人。
個人的にはそんな感じ。
入展前は
時代の「そうあってほしい」という妄想やら思いを形にして提供してきたひと。というイメージだったが、もう少し驚きを伴ったものとして本人は打ち出している。
(内容にネタバレあり)
そうきたか。
展覧会はいきなり
死者からはじまる。
某ご人の抜刀姿や演歌の人はさすがに迫力だが
そんなことより、渥美清の寅さんは良い顔しとる。
渥美清やりもフーテンの寅さんだ。
文句ない。
勝新さんの異様さ
大原麗子の女優らしさ
あとは原田美枝子が綺麗だったのと
ダライ・ラマと加賀まりこのコントラスト
野田さんと大竹さんのコンビネーションが面白かった。
圧巻だったのは篠山紀信集合写真の凄さだ。
なるほどウマイ。
統一するとこ、らしくするとこが写真の被写体でよく考えられてると痛感させられた。
豊島園もディズニーランドもAKB48も相撲も刺青のひとも群舞の様に「らしく」撮る。
はぁ。
ん?
気になったのは宮沢りえの右のおなかにあざ?
ベルトの跡?
があったこと。
あんなの発表時にあったっけ?
(当時高校生だったから別な部分に注目だったんだろうなぁ折れ…)
総括的には言葉こそ違うが「思いや記憶をひもづける写真、スゲーをだし続ける。」
「顔。」
というのが大体の篠山紀信の信条らしい。
ということは本人のウマイとことうまくない目標部分が内在してるようにも思う。
最後に被災地のひとの写真を並べてお別れな感じにしていたが、あそこはリップサービスと紀信らしからぬ予定調和のきかなさからくる間の悪さがあった。
(生々しい迫力は紀信の真骨頂じゃない気がする)
あと来歴が面白かった。
淀橋区柏木の寺の生まれだそうで割りとご近所さん
大学は日大芸術学部、在学時にライパブと契約。
大学を出たら既に第一線で商業写真家として食って行っていたらしい。
何がそうさせたかは知らないが、海外に出かけ、ビエンナーレで紹介されたり、やるべき役をぴたりとこなした様にウマイこと前進を続け尚も前進している様子。
ぐぬぬ
同じカメラという物体を握りながら、こうも世の中では差がでるのか!?
笛吹きとフルート吹きの違いは金を稼げないか稼ぐかの違いだとニューヨークストーリーでは語られていたが、更に何か別なものもご一緒している様子。
運も実力のうちではなく、運こそ実力の最大のファクター。
勝負はそこから。
という感じなのを感じた。
高度経済成長、バブル、スター誕生、マス媒体の加速…
そして、ここから個人戦、ひととなり、コネクション、腕、部下からの人気、雰囲気などなど。
まぁ、なんにせよ篠山紀信は凄いということはわかった。
時代の死を見届ける写真家としてまだしばらく頑張るんでしょうね。
(ずっと現役とか凄いを通り越してるよな。)
久々の青山、表参道のスパイラルホール。
今日はSu-ohさんが出展しているスパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル
略してSICF13を下村さんと宗正さんと佐藤で見に行ってきました。
さまざまなジャンルの作家さん100組が参加する展覧会でSu-ohさんもNo.4のブースで展示していました。
佐藤の個人的な印象ではカマキリがキラッと光ってカッコよかったです!
(あと写真の亀さんもイイ泳ぎをしていました。)
Su-ohさんは展示方法をどこかの展覧会からか最近変えたそうで、壁に映る色とりどりの影がなんだか幻想的で良い感じでした。
(光が当たるとまた感じが変わりますね)
ちなみに、来週のデザインフェスタにもSu-ohさんは展示するそうなのでSu-ohさんの作品に興味がある方はお台場のビッグサイトに出掛けてみては?と思います。
(おそらく、デザインフェスタ内の暗いゾーンにブースがあると思います!)
ではではまた!(^-^)/