帰れそうな予感。

香取の駅で反対側のホームになぜか上り電車が現れ多時は冷や冷やした。
数人が乗り遅れたがタクシーもケータイもある世の中だし治安も悪くないから平気だろう。
成田でおやつを買って電車へ乗り込む。
少しこれで安心。
東京駅までひとっ飛びだ。
お茶を飲んで少し休むとしようじゃないか。

海はどこですか?

道行く女の子に海の場所を聞いた。
ここは潮来、いたこと読むらしい。
海はどこですか?
は?
北浦があっち、江戸川があっちよ。
へ?
あ、え、あー、あ、江戸川があっちね。
うん、
ありがとー
どうやらココには海がないらしい。
しばらく色々調べ合点が行った。
鹿島スタジアムの辺が一番に近く、それより南は江戸川に接近し、北浦と霞ヶ浦の側をなめて東に向けて入り込む感じらしい。
海は、臨海工業地帯は、電車では接近できず鹿島スタジアムの南の端を永遠歩くとつくらしいことも知った。
なんだかなー
仕方ないので川が近いことが分かったのでそっちに行ってみることにした。
川面を照らすトワイライトナカナカいい画が撮れた気がする。
満足は意外と近いところにあるのかもしれない。
なんてことを考えながらシャッターを切る。
肌寒くもなり、日も沈んだので撤退。
電車も一時間以上無い。
今年は暑い日は狂った感じがするほど暑かったが、それほど夏日も多かったわけではないし、そのくせもう秋が目の前に来てしまったようで興ざめしているところだ。
蝉が地面でジタバタしてる香取のえきから夏の終わりを感じつつそこはかとなく書き込む感じだ。
—————–
sent from W-ZERO3

鹿島臨海?線

鹿島臨海線に乗ったのだが、臨海な感じはなくシャッターチャンスにもあまり恵まれないかんじで終始のっぱらの中を行く感じだった。
特筆すべきは水戸を背にて右側に霞ヶ浦?な感じの入り江が広がることだろうか。海が見えるのか?という期待は全く裏切られたまま佐原へと向かう電車に揺られている。ちょっと18きっぷがもったいないかなとも思えるので次の駅あたりで臨海方向に歩いてみようと思う。
旅といえば歩くことでも有ると思うしまだ気力も丸々残っているわけだし
—————–
sent from W-ZERO3

土浦を越えると

不思議なことに土浦を越えると急にのどかな雰囲気が社内を包む。人が降りてかなりまばらな車
内になったこと、海が近いことなどが主な原因だろうか。
秘境感覚や閉塞感はなくなかなか気分もいい。
いま水戸にいてこれから鹿島臨海線で鹿島方向っへと向かうことになる。ディーゼルエンジンの音がバスみたいでちょっと楽しい感じである。
—————–
sent from W-ZERO3

常磐線不可解。

電車の路線というのは面白いものでカラーが出る。
京成電車に乗ろうとしているときよく目にしていた常磐線、いまそいつに乗っている。
カラーが出るというのはその電車が通っている路線の土地柄がでるということだ。
山手線には山手線の常磐線には常磐線の特性が出る。
この特性を感じられるから電車に乗って旅をするのだろうとさえ思う。
常磐線の実感としてはやけに静かで目を伏せており本や新聞をにらむ傾向だ。
あとボックスシートを一人で占有してしまう変な気配の持ち主が各車両一人はおり、皆そちらには目をやらない。千葉は閉鎖的な心境を頂く場所に思えるが、こちら常磐線の行く土地はタブーがソコココにあるそんな土地なのかもしれない。
茨城に差し掛かり人々のかおはさらに険しくなる。
確かに車社会茨城において電車のに乗って移動するということは険しいことなのかもしれない。
特別快速は土浦に向けて進む進む。
—————–
sent from W-ZERO3

携帯電話、野生に負ける。

別にケータイ電車内で使ってもいーじゃん。
怖い顔しないでさぁ、
ん?
ぇ、
だめぇ?
なんていつも思ってたのだが、なんでダメなのかわかった!
人間てまだ動物並のとこがいっぱいあって、狭い室内で声を上げてるやつのこと、許せないんじゃないかな。
相手がいるやつは「会話だ」と「認識」することにしてるが、相手が物理的に居ない場合「会話だ」と「認識」するよりも野生が勝ってしまう。
つまり意味として忘れていて潜在的レベルまで追いやられていた声を発することの狂暴さと、その不確定の暴力が有るか無いかを瞬時に判断してきた部分がストレスを受け苛立つ。
香港の地下鉄は完全にケータイで話すことがオーケーと聞く。
つまり彼らはケータイではなす事を「会話」だと「認識」したわけだ。
新しい文化を瞬時に認識し取り入れる。
我々も学ばなければ成らないところでではないだろうか。
電車の中でケータイ、
使っちゃダメですかぁ?(笑)

写真をなぜ撮る?

世の中にはアートがまだ足りない。
だから、何らかの形で提供できないか。
そう思って活動している。
塞ぐココロも晴れやかに。
人生を少しだけスッとさせる炭酸水の様な。
で、油絵、デジタルなグラフィックとやって来ましたが、なぜか写真が誉められ、話題にのぼった訳だ。
必死こいてお金も掛けたグラフィックよりいいと。
悩んだり。
しない。
つまり、そっちの方が分かりやすいのだろう。
写真は時間を切りとる道具と言う言葉があったり、魂を吸う機械と言っていたり。
僕はアート提案のための道具だなと思う。
目の前にあるアート、
それに気付かないひと。
それを分かるようにご提案。
だから楽しい時を撮りたいなとも思う。
ひどく単純なはなしだが、中々難しい。
まぁ気楽に撮ってる写真も多いから全部が全部じゃ無いけど、展覧会等に出す作品はそう有りたいと思う。

つまり早起きと言うことだ。

おはよう
二日前の晩、以前好きだった女の子と飲みに行き、歌いに行った。
歌は嫌い、と言っていたがあんなにもうまいとは驚きだった。
明け方ウチに寄り2、3時間じゃれてから少し寝た。起きてから多分6時間位、彼女の魅力に翻弄されつつ再会を悦ぶ。
雷と稲妻、貴方は稲妻の様に…古い歌が脳裏を閃く。
数時間後、彼女は僕の家から足のふみ場を探しながら出ていき、奇跡的に立ち上がった僕は彼女を見送る。
かわいい猫ちゃんのカットソーが出ていった後で再びふて寝。
今日は花火が夜有るな、なんて思いながら目を閉じる。
夕方6時、こんな明るくて花火は大丈夫なのか?と目覚めながら東京湾の心配をする。
それから数分、これが朝日なのか夕日なのかを気付くのに暫く時間が掛る。
花火は昨晩あがったのか、そんなことを思いながら、また彼女の事を考えながら今は過ごしている。
つまり今は朝だ。
つまり昨日は寝続けていた。
つまり、挨拶はおはようが似合う頃だろう。
そして一日が始まる。

テラ綺麗す!

今ESから書いてるのだけど、ちょっと苛つくけどだんだん慣れてくるのかなという兆しは見えている。
で、何より嬉しいのは、デジカメ画像が綺麗なことだと思う。
これまでの京セラクオリティが僕に合わなかっただけだが、何より妥当な画像が公開できるようになったのはすばらしい。
おっと、電話だ今日はここまで。