日本にはソーシャルはむかない?

iPhone4Sを買ってSNSに色々投稿してみた。
Googleプラスにいることが多く、加えてFacebookにいたりもする。
が、Facebookは少し遠い存在になりつつある。
ちょうどmixiの最後の頃に距離感が似ている。
本名で使っていようがハンドルで使っていようが、実生活に近いひとと交流を持ち出すと、急に利用意義が薄らいでいく。
mixiで新しい出会いがあったり仲良くなれたりしたのは、リアルコミュニケーションがmixiに雪崩れ込んでくる前の、ネットだけのコミュニケーションが成り立っていた段階での話だし、mixiが楽しかったのもその頃だ。
実名以外のリアルとは別な顔を持って行動している方が、他人を演じていないにせよ、これまでの蓄積・バックボーンがはしょれるから快適で愉快に過ごせたのかもしれない。
mixiについては思うところが多くあるが、ここでははしょる。
…で、まぁ、SNSの運命を決定づけるのは、そのSNSが何を目的にできたかがかなりの部分で将来の広がりを決めていくのかもしれない。
Facebookは言わば高学歴の人たちが、より広いネットワークを構築するために作ったインターネット上の終わりなき晩餐会であり社交場だ。
着飾ったドレスや宝飾品を競うのではなく、出身地、家柄、出身大学、現在までの職歴が書き連ねられるようになっている、スノビーな他人のための履歴書つきSNSだ。
だから、学歴が問われない部分は至って軽い感じに仕上がっている。
色も高貴な貴族を表す青を採用しているのは面白い。
対するTwitterは心の叫び共有なのか、短歌的な発散の繰り返しに思え、原始的な取り組みだなと。
こちらは鳥やクジラなどを可愛い感じに配してフレンドリーに接しており、バックボーンは問われない。
2ちゃんはどうか?
2ちゃんは荒しや工作員などの負の面を取っ払えば、情報やガジェット、文化についての掲示板がベースでありアイデンティティーを最低限に抑えハンドルネームを極力無くし、IDのみにしたことでその特異性が保たれている。
IDは1日でかわるので文字通り、その日暮らしがネットでできるようにしたような、ストリームができるまでに既にネタがある。
個を消した集合体のような村社会的な楽しみが作れる場所に思える。
そこには集まる理由があり、定期不定期に関わらず祭りがあり、暴動や告発行動さえある。
アメリカ社会でも4chだったろうか?無記名の掲示板はあるし、そこそこ人気があるようだが、面白いことに日本の2ちゃん同様ビジネスを生む形には至っていない。そしてビジネスが無いと言うことはアメリカでは無いものと同じように扱われる。
(日本では派生物質的にニコニコ動画やドワンゴがあるが、話は別に考えた方がスマートだろう。)
Facebookタイプの欧米系の無記名に近いSNSができたとして、仮面舞踏会的で個人の情報発信力におんぶにダッコになるだろう。
それがちょうどGoogle+あたりだろうし、あれはFacebookより日本文化に近づけるけど、個人の情報発信にソースを求める限り、欧米系であり続け、Twitter的な繁栄に留まるだろう。
GoogleはGoogleらしくアーキテクチャの素晴らしさを持ち出してくるが、その実、志の無い感じがGoogleであり、Googleだからこそ先の展開を用意していないことと思う。
で、いまのmixiは舵取りを完全に失敗し蛇行してるように見える。
リアルのつながりの補完物としてFacebookのようなものになりさがったが、当初のコミュニティとしての活動の面白さは珠玉のものだった。
多くのコミュニティが活性化したあとが悪かった。
未来に対しての指針や志のない感じで上場などしてしまったからオジャンになってしまった。
彼らは道を間違えた。
続きやどう取り組んだら良いかは今後の仕事に生かすとして、いまだにまだ日本に向けたスマッシュヒットなアイデアは採用されていないんだな。と。

動画、静止画、3D

随分前に動画脳、静止画脳というのを聞いた覚えがある。
動画を撮る才能みたいなもんかな?
僕は高校生の頃、動画撮るのがやりたくて、大学入ってMacを買った。
けどまー動画向きの脳を持ってるかは不明。
静止画の方はカメラ担いで旅してたのが幸いしてかまぁアリかな?と自画自賛してみたり。
で、3D。
これは人類にとって未知の世界で、3D動画になるともうシッチャカメッチャカだ。
動く演出、奥行き演出、全体のながれ…
しかもストーリーなんて考えだしたらヤバいだろ。
でも、人間が生きてると大体3Dな毎日を平気で過ごしてるんだけどね。
なんか不思議。
幸い、道を一本踏み外してしまい、さとーは映像屋にはならなかったから個人的にはその悩みとは対面しないで済むわけだ。
スーパーで「じゃんぼ そうめん」と向き合いながらそんな講釈を垂れてみる。
買っちゃうのかな「じゃんぼそうめん」…

小学生もiPhone4?

小学校高学年ぽい子供が南阿佐ヶ谷あたりで「iOS5にするとさぁ〜」とiPhone4を囲いガラケーをもった友達とブラついていた。
ほぅ。
iOS5にすると…というくだりから察してiPhone4だと思うが
親のお下がりが来たのだとして、意外と早く若年層のスマホ所持は確定するのでは?
ガラケーの時はボタンの壊れなどが多く見れたし、使いきる感じが多かったケータイだけど、
スマホになって壊れるとすればモニタが割れるなど使用不能になりがちだし、お下がりでも汚れはそこまで酷くない。
しかもスマホの陳腐化は早いから、1年経ったら子供にクランクパスと言うのも有りなのかな?とね。
実際には次の高校新入学の学生が卒業する3年後くらいからが、本格的にスマホが中高生から支持される感じになるんだろうけど、ガラケーが淘汰される波は割と早くやってくるのかもしれない。

ダイヤモンドだね?

プリンセスプリンセスの「ダイヤモンド」サビの部分が寝起きからアタマの中をぐるぐる。
そういえば、そういうのをプレゼントしたりする生活からちょっとばかり遠ざかっている。
(金属アレルギーとかの娘もいるしね)
そもそもダイヤモンドだねぇ〜
と言われてピンと来なくなっている。
ダイヤモンドすかぁ〜
貴金属とかプレゼントして喜ぶ顔を見ると、なんだかとっても楽しいんだけど
(嬉し泣きされたことがある)
相手の娘さんを真面目に探さないとさすがにマズイな。

女優さんと固い仕事

女優さんとかアイドルとか若い時には必ずと言ってイイほど公共機関がらみなど固い仕事なんかをバシバシやって下積みするもんだろ?
と思ってみたら大間違い。
黒歴史だから消されてるってのならイイが
意外とプロフィールにそういう載ってないのを発見。
なんだ?
悪女とか浮き名流しちゃう感じの娘さんが
結構いるんかな?
女を憂う人…
夢がひろがります ><

断捨離、除染、衣替え、スーパースティションの意味と意義。

数年前、アレステッド・ディベロップメント辺りのボーカルが「スーパースティション〜♪」と意味深な顔をして唄ってたのを思い出した。
「スーパースティション」要は日常習慣とか先祖代々の習わし、理由がないが続いてる儀式的取り組みのことで、そのスーパースティションは意外とバカにならないぜ。という歌だった。
ガイガーカウンターを使ってわかったことは「スーパースティション」恐るべしということだ。
除染の際に行うことは、地表の砂を剥がし捨てること。
吹きだまりの落ち葉を集めて捨てるのは除染に同じ効果を発揮する。
怪しい物体を集めて捨てる。
地表に置くと拡散するので埋めてしまう。
衣替えとかの際にいらない衣類は捨てたりするが、定期的アップデートの習慣化をきちんと無意識のうちにしている。
洗濯しても仕方ない汚れは捨ててしまう。
断捨離も兼ねてガイガーカウンターがヤバい値を叩き出した衣類等は捨てたが
(爆発があったあとに雨が降ってたとき着てた服など)
お祓いにしても、対処に労力をさく恐れのあるヤバいヤツは払い除ける訳で、自然界の厄のなんたるかを体験的によく知ってるんだろう。
スーパースティションの全部が正しい訳じゃないけど、それこそ廃れたり意味を失ってしまった形骸化した取り組みもあるけど、スーパースティションはバカにしちゃいられないぜ。
ということらしい。
傘とか服はアップデートが必要だね。