ラーメンをすするところから文化について考える。

ラーメンをすする。

「ズズズズズ〜」

映画『たんぽぽ』でイタリア人がパスタをすすっていた

「ズズズズズ〜」

ウマイと思える食べ方はすする方にあるかも知れないが、なんだかなと興ざめした覚えがある。

中国人が僕ら日本人のラーメンをすするのをみて
「日本人は色々洗練されてるけれど、麺を食べる食べ方は農民みたいな食べ方をするのね」
と残念そうな表情を浮かべる。
(農民の食いかたを見て真似たのか?)

また、日本では茶碗を持ってご飯をたべる。
左手にお茶碗、右手にお箸の幸せ。

日本近隣の某国では器を持つのは行儀が悪いらしく、銀器を食卓に置き犬食いをする。

おそらくラーメンをすするのも、某国の犬食いも、文化を持ち込んだ国が仕組んだブービートラップなのだろうと時折思う。

どんなに頑張っても文化的に輸入元を上回ることが無いように巧妙に仕掛けられた4000年の伝統を持つトラップという置き土産。

あまり良い気分はしないが
ラーメンをすするのはウマイから仕方がない。
また、コピーキャットを良しとする文化においては
色々勉強になるな。

「水曜どうでしょう」と「おにぎりあたためますか」を見比べ藤村D をヨイショしてみた

「水曜どうでしょう」をまとめて見る機会があり大泉洋が騙されて旅にでる番組がもっと見たくなり同じHTBの「おにぎりあたためますか」を見ることにした。

なんだ、この違和感!?

「おにぎり」は「水曜どうでしょう」の価値を再認識させる意味でも、藤村ディレクターの勘所の良さ、プロデュース力についてを感じさせる意味でも見て良かった。
思えば「アンモナイトな夜」辺りで収集つかなかった感もありながらだから、とても藤村ディレクターも褒められたものではないけど、旅番組にぶち当たったのと、大泉洋の食べる姿が絵にならないことを早い段階で見抜いたのは中々のディレクター判断だと思う。
(運もあるけど藤村ディレクターが良いのは間違いない。)

食べるのはミスターこと鈴井さんが甘いものを嫌々食べるに留め、大泉洋のボヤきと4人の空気感を絶妙の編集捌きでお茶の間にお届けする。
「水曜どうでしょう」は凄い番組だし売れる訳だ。

沖縄の漁港で深夜ひとりで展開する寝釣りコールだなんて良く絵が持ったもんだと驚嘆さえできてしまう。
(名古屋っぽい絡み付く感じ?)

「おにぎり」は「旅と言えば大泉さん」ということで話が始まったのか、「ウマイもん食べて温泉とか名所とか色んなとこ行きたい。そうすれば番組になるよ〜」と、大泉さんサイドが持ち込んだのか僕は知れないのだけれども、とにかく大泉洋やメンバーの持ち味が活かされてない。

しかも見た放送回が悪いのか、出演者のコメントが「うまい」「うまい」しか言ってなくて阿藤海など先人が築き上げた芸も持ち込まなければ、大泉洋の持ち味である間を活かすための(既に同局では誰も頭が上がらないだろうが敢えて突っ込む)決死の突っ込みが無いわけで、スムーズな段取りと無難な時間しか回さないVTR、さらに無難な編集で地方ローカルな感じに留まってしまったのでしょう。
(大泉洋を接待する番組ならそれに徹して天狗になる大泉洋が見れるってだけでも良かったかもしれない)

「おにぎり」を見るなら他局の「ブギウギ専務」を見た方が努力とモヤモヤ感が味わえて良いかも知れない。
あちらはあちらで男所帯の面白さはなく「水曜どうでしょう」の背中とか「サクサク」的な幻影を見てなんとかしようともがく感じがキツイとこもあるんだけど、そのローカル番組ならではの努力はアリだな〜とも思える訳で。
「水曜どうでしょう」の恐ろしさを改めて痛感した次第。

偏差値41から東大に合格した人なんてキャッチーな本が出ていた。

41ってのが絶妙。
64のひとはある程度身に付いてるのが邪魔になるだろうし
41が全員東大に入れる訳じゃない。
更の状態のひとが取り組んでどうなるか?って話。
なんとかなる場合だけが本になるんだろうな…。
(なんとかならない場合は敢えて書かないのがうまいとこ)

気分転換に秋口だがビーサンで出かける

気分転換にになるかな?

夏の中盤にビーサンを買った。

台風がきたり祭りの提灯が街にお目見えしたりで
もう夏は行ってしまったが
仕事場では味わえない足の指の解放感は
休日のダレた気分とふにゃふにゃの日常によってオカラみたいになった頭を中々いい感じにシャキッとさせてくれる。

薄いペラペラのビーサンだ。
歩くと音が鳴ったりする。
鼻緒を掴みつつ大地を蹴り出す指先は
なんだか日本人のアイデンティティーに語りかけるものがあるというか。

新宿には工事作業者向けの作業着屋さんがいくつもあるから
もう少し高く履きやすい雪駄のようなものを買うのも良いかもしれない。

気分転換にお困りなら試してみるのも一興かも。

ただ、Gジャンにビーサンで新宿だと少し視線が痛い気もする。

気のせいということにしよう。

続・ありのままに咲く花

ひとつ前のポストで今日のテーマソングになってしまったと書いて気になったのでググってみたらみんな気になってたのね。
ありのままに咲く花ヨープレイト
ライララライララライラララ
ライララライララライ

「オスカル」というアルゼンチン人のひとが歌っていたそうで1981年頃放映で曲名は「異国」(東芝EMIが発売、作詞/ミセスタダ、作曲/オスカル)だそうでCMソングで書き下ろしされ「ヨープレイト」部分がレコードでは「異国の旅人」になってるらしい。

ヨープレイトの方がしっくりくるなぁw

困ったら更地

会社から歩いて帰宅。
深夜3時を過ぎていた。

深夜でも賑わっていた韓国人街はシャッターを下ろしている。
かなり危険地帯なので注意を払っていたがなんとなく拍子抜け。
時代の流れを感じさせる。

そのまま家に向かうと地上げの跡に遭遇。

新宿は常に建物がアップデートされるから、そこに何が有ったかなんて忘れてしまっていた。

今回はライブハウスが有った場所が目につきなんとなく思い出した。

そこに有った飛鳥ホテルが無くなってたんだ。

地上10階を越える強固なコンクリ製の大きな建物。

東洋系外国人が安宿として常用してる、近所の人間にはあまり印象の良くない場所だが、無くなると解らなくなるものだ。

ホテルについてるレストランがなぜか蕎麦屋だったり、
その蕎麦屋が隣に100均コンビニがあるのにも関わらずコンビニに変わったり
訳が解らない感じのホテルだったがキレイサッパリだ。

会社から歩いてきたルートにはもうひとつ印象的な場所がある。
東新宿、霊的にヤバそうな、昼でも暗い近寄りがたいゾーンがかつて有ったわけだが
更地にしてタワーマンションをおっ建てたらなんでもなくなっちゃった。

風水とか細かいことは解らないが、因縁や、おかしな雰囲気、ヤバい人が集まる場所など色々困ったらとにかく更地にしちゃえば良いのかな〜と思ったしだい。

iPhone5S買う?

iPhoneは便利だ。
でもiPhoneやスマホが僕にとって心地よいかどうかは別な問題。

フリック入力は相変わらずだし
ワクワク感ならiPadの方が楽しい。

物理キーはないし
本を読むならキンドルの方が良い

というわけで1年の間、iPhoneユーザーをやめようと思う。

今使ってるiPhoneは音楽プレイヤーとして延命させようか?

また欲しくなったら買えばいいんだしね。

暑いとはいえ保冷箱に入るヤツと凶器としてのTwitter

2010年くらいだろうか?
オバマ大統領が若い世代への演説にて

「ネットに変な投稿はするな!
Twitterとかそういうのは
取り返しつかなくなるから
とにかく、偉くなりたいなら
ネットとは距離をとれ!」

 

とかなんとか以前力説してた。
似た文章をGoogleのシュミットが話してる。)

ネットリテラシーの高い大統領が何を言ってるんだ?

という感じで当時受け入れられてたが、
ある一定のネットリテラシー高めなひとは
有る意味その辺を予見できてたし「なるほど」と思っていた。

 

保冷庫で頭を冷やしてた?

アイスの保冷箱の中に寝そべる田舎の道楽息子とか、それを真似る若気の至り系な方々とか、古くはバリケード組んで風邪でもないのにマスクしたやからとか…
そんなのは以前にもありそうな話だし(昔の方がもっと変態じみてた)写真撮って回したり、青春の1ページとして心の深いとこ、奥の奥にしまいこみ、世に出てみんな朗らかな笑顔を満面に浮かべ、楽しく暮らしていた

…はずなわけだが、現代ではそうはいかなかった。保冷庫やその真似をしたアーリーアダプター数人に関しては、まさに時代が悪かった。
オバマ大統領の高説むなしくTwitterが一瞬にして彼らの人生を暗いくらい深淵へと飲み込み、一瞬にして築き上げた小さな砂城を蹴散らしてしまった訳だ。

 

Twitterを使って友人に広めた運の悪さ

LineやFacebookなど内輪に近いメディアならまだどうにかなったかもしれないが、Twitterに投稿してしまったのが運の尽き。

彼らの社会復帰とかを!と若気の至りで投稿したいたずらをどうにかしてやれと擁護する話もあるが、そんなのは後の祭り。特に大学生くらいの社会責任が問われてもおかしくない年齢の人間に関しては弁明の余地もなく、当事者同士のやり取りに身を委ねるしかないのが現状だろう。

で、初めの数人はとにかく容赦なく断罪させられる。
これは、社会的な性質以上にTwitterの性質だとおもう。

 

Twitterはインターフェースこそ内輪なメディアに似ているが、
震災以降は市民権を得て公共メディアに近い存在になっている。

Twitterというネット直結の拡散メディアに流したら最後、
いじりやすい話題なら拡散に次ぐ拡散が繰り返され、
投稿した人間の意識などは特にくまれることはなく
作者の手を離れどんどん拡散、拡大していく。

流行りの話題を瞬時にクランクパスし
Twitterは話題をクラスタ状に押し広げ、世界に伝播する。
そんな「どえらい」ことがスマホ一台でできると言うTwitterは、
現代をとてもドラマチックに拡張し、長年人々が夢見てきた
自分の主張が広めやすい基盤を世の中に作り上げた訳で
メディアとして、実は人類史上まれに見る発明品だといえる。
が、一度手を離れるとコントロールしずらくなるそのスピードと
安全装置のない仕掛けは情報発信者にとってときに都合が悪くなる。

内輪のジョークはたちまち全国区の粗暴な事案にさえなる。
伝播拡散が早いTwitterならでは、拡散しだしたら最後
内容次第では即アウトだろう。
(スピードと拡散が早いから興味を引くものの伝播は早い。
逆に、芸のない模倣者の事案は拡散度合いは大幅に下がる
情報拡散において、オリジナリティと表現力は即問われる)

バイトの一言も、保冷箱へのダイブも、
センセーショナルなら世に猛スピードで射出される。
企業が長年培った信頼など、スズランの枝と同じレベルで
何の抵抗もなく一発でへし折る。

その力が真正面に企業を直撃したとしよう。
下手をすれば、株価は下がるし、野放しにすれば
一発ズドンで多くの罪もない社員たちを
路頭に迷わすことにも成りかねない。
(汚せち事件の拡散も凄かったよね)

Twitterは、ある意味では2ちゃんねるなどより、メジャーで手軽でしかも社会的殺傷力を多くはらんだメディアといえる。

そして当たり前な部分としてTwitterはネットによって支えられ、ほとぼりが冷めるまで拡散、格納され、終いにはある種の意図を持った人間に保存されあらゆる場所に傷を残し勢いがなくなったところで忘れられる。
(事実自体は残るが、とりあえず見放される)

それは日本だけでなく、オバマ大統領が力説するようにアメリカでも同じ状況だ。

とにかく、バカな写真なんかを競うエクストリーム競技?には参加せず、写真をもし撮ったとしてTwitterには載せないことだ。

ネットがある場所なら、誰も、そんな愚行を実行した者を庇うことはできないわけだし、責任は実行した者にあり、まだその社会的地位の回復を実行できるすべが見つかっていない以上、とにかく責任や危険さが解らない間は触れないでおくくらいでいいのではと思う。