ツンデレだ。

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なぜかアクティベートが突如要求され、修理屋に持ち込んだり(営業時間終了…)七転八倒した挙げ句、僕の愛機iPhone4Sは無事三途の川から這い上がって来ました!

よかった。

正直、強がってみたものの、単機能以外の部分をぶっ込んだiPhoneはそれはそれで必要悪として、否、単機能以外のよしなしことを全て引き受ける器量を持ったコンパニオン的な存在として生活の中でかなり大きいものになってるんだなと気づいた次第。

特にブラウザの利用が多いことに気付く。
買い物や商品検索は楽しいし、知らない言葉を調べるのも楽しい。
iPhoneの維持を少しきちんと考えようと思った次第。
来年のiPhone6はきっと買うだろうと心に極める。

都会とそれ以外を測るバロメーター

あなたの家の近くにコンビニはあるだろう。

自分の家が都会にあるかどうかの境目は意外とわかりずらいがちょっとした指標をおいておく。

それはコンビニの前にあるゴミ箱のこと。

コンビニで扱った商品から出るゴミ屑の受け入れ先、コンビニのゴミ箱。

空き缶や空きビンのゴミ箱や返却箱なら気の聞いた商店の軒先にはゴミ箱も有ったはずだけど、1980年代に登場したコンビニがはじめて打ち出したセンセーショナルなサービスは必ず店先に設置されるゴミ箱とコンビニおにぎり、そして雑誌に有ったのだと思う。

で、そのゴミ箱に少し変化が起きている。
それはゴミ箱が置かれる場所だ。
ゴミ箱が店の中にある店は都会の店。
ゴミ箱が店の外にある場合はそれ以外の場所といった感じかと。

アルミ缶や本の収集を生業にする輩が徘徊したり、通り掛かるひとが多すぎてゴミ箱の量が半端ない場合、仕方なくコンビニのサービスの機能保全の目的でゴミ箱を店内入り口付近などに入れてしまう。

サービスを提供する相手は店内に入った客のみといったスタンスだ。

その辺りのコントロールはオーナーの意向もあるが、意外とエリアで徹底されている。

だもんで、手にした紙屑など捨てるのに困った場所があれならそれは都会な気がする。

仕方ない、PBブランドの烏龍茶でも買いつつゴミを手放すのがその界隈のルールなんだろう。

暮らしに仕掛けをつくる

ライフハックなんて言葉があるけど
暮らしの中に仕掛を作って回すと良いですよね。

日常なんてのは煩いものは対応しづらいし、なかなかハックでどうにかなんて成らない部分がある。

かといって日常こそロスが起きる原因をつくりがちだし
日常こそ反復的な取り組みがしやすいもの。

日常の反復を続けるのはチリツモ的な成果にしかならないが
例えば、チリツモで差がつく部分も有ったりする。

いまが良ければ他はどうでも。なんて考えのひとはさすがに今はいないが色々考えて癖をつけていくのは悪いことじゃないかなとも。

たまにそういった取り組みを書き記していこうと思う。

ガリガリくん

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ガリガリくんのゆずを食べてたら当たりがでた(^-^)/

すかさずセブンイレブンへ。

ゆず2本は辛いから青いのをオーダー

コンビニのお兄ちゃんちょっと処理に戸惑いつつ。

そして2本目のガリガリくんを電車待ちに食べ中。

明日は水泳大会だし、この青いので当たりがでたら自重しよう。

なんか良い休日だね。

ラーメンをすするところから文化について考える。

ラーメンをすする。

「ズズズズズ〜」

映画『たんぽぽ』でイタリア人がパスタをすすっていた

「ズズズズズ〜」

ウマイと思える食べ方はすする方にあるかも知れないが、なんだかなと興ざめした覚えがある。

中国人が僕ら日本人のラーメンをすするのをみて
「日本人は色々洗練されてるけれど、麺を食べる食べ方は農民みたいな食べ方をするのね」
と残念そうな表情を浮かべる。
(農民の食いかたを見て真似たのか?)

また、日本では茶碗を持ってご飯をたべる。
左手にお茶碗、右手にお箸の幸せ。

日本近隣の某国では器を持つのは行儀が悪いらしく、銀器を食卓に置き犬食いをする。

おそらくラーメンをすするのも、某国の犬食いも、文化を持ち込んだ国が仕組んだブービートラップなのだろうと時折思う。

どんなに頑張っても文化的に輸入元を上回ることが無いように巧妙に仕掛けられた4000年の伝統を持つトラップという置き土産。

あまり良い気分はしないが
ラーメンをすするのはウマイから仕方がない。
また、コピーキャットを良しとする文化においては
色々勉強になるな。

「水曜どうでしょう」と「おにぎりあたためますか」を見比べ藤村D をヨイショしてみた

「水曜どうでしょう」をまとめて見る機会があり大泉洋が騙されて旅にでる番組がもっと見たくなり同じHTBの「おにぎりあたためますか」を見ることにした。

なんだ、この違和感!?

「おにぎり」は「水曜どうでしょう」の価値を再認識させる意味でも、藤村ディレクターの勘所の良さ、プロデュース力についてを感じさせる意味でも見て良かった。
思えば「アンモナイトな夜」辺りで収集つかなかった感もありながらだから、とても藤村ディレクターも褒められたものではないけど、旅番組にぶち当たったのと、大泉洋の食べる姿が絵にならないことを早い段階で見抜いたのは中々のディレクター判断だと思う。
(運もあるけど藤村ディレクターが良いのは間違いない。)

食べるのはミスターこと鈴井さんが甘いものを嫌々食べるに留め、大泉洋のボヤきと4人の空気感を絶妙の編集捌きでお茶の間にお届けする。
「水曜どうでしょう」は凄い番組だし売れる訳だ。

沖縄の漁港で深夜ひとりで展開する寝釣りコールだなんて良く絵が持ったもんだと驚嘆さえできてしまう。
(名古屋っぽい絡み付く感じ?)

「おにぎり」は「旅と言えば大泉さん」ということで話が始まったのか、「ウマイもん食べて温泉とか名所とか色んなとこ行きたい。そうすれば番組になるよ〜」と、大泉さんサイドが持ち込んだのか僕は知れないのだけれども、とにかく大泉洋やメンバーの持ち味が活かされてない。

しかも見た放送回が悪いのか、出演者のコメントが「うまい」「うまい」しか言ってなくて阿藤海など先人が築き上げた芸も持ち込まなければ、大泉洋の持ち味である間を活かすための(既に同局では誰も頭が上がらないだろうが敢えて突っ込む)決死の突っ込みが無いわけで、スムーズな段取りと無難な時間しか回さないVTR、さらに無難な編集で地方ローカルな感じに留まってしまったのでしょう。
(大泉洋を接待する番組ならそれに徹して天狗になる大泉洋が見れるってだけでも良かったかもしれない)

「おにぎり」を見るなら他局の「ブギウギ専務」を見た方が努力とモヤモヤ感が味わえて良いかも知れない。
あちらはあちらで男所帯の面白さはなく「水曜どうでしょう」の背中とか「サクサク」的な幻影を見てなんとかしようともがく感じがキツイとこもあるんだけど、そのローカル番組ならではの努力はアリだな〜とも思える訳で。
「水曜どうでしょう」の恐ろしさを改めて痛感した次第。

偏差値41から東大に合格した人なんてキャッチーな本が出ていた。

41ってのが絶妙。
64のひとはある程度身に付いてるのが邪魔になるだろうし
41が全員東大に入れる訳じゃない。
更の状態のひとが取り組んでどうなるか?って話。
なんとかなる場合だけが本になるんだろうな…。
(なんとかならない場合は敢えて書かないのがうまいとこ)