写真を見返している。

iPhoneに入れる写真の集まり、自分はこういうのを撮っているというのをみせるための、いわゆるポートフォリオを作るためここ10年の間に撮った写真を見返している。

過去には仕事で人を撮ったりバイトでスポーツの試合を撮ったりしてた時期が有った。

金になることをするとその代償に、その仕事の内容の被写体をとるのが億劫になったりするのだな。と感心したり。

好きな娘を撮ってるとウキウキが止まらない。
仕事だろうがなんだろうが構わない。
アレはなんだろうな。

ただ、恋に陥るスピードを感じる立場にいれば、うまい絵になるかというと全然別問題で
写真としてウキウキ感は特になく、傍目にみてる人にとっては、ちょっと甘酸っぱいだけの凡庸なものだったりする。
(個人的にはそれはとても大切な写真だ)
でなきゃ世の中は写真家で溢れることになる。

仕事で撮るとなると僕は割りとタンパクになる。
ワクワクのツマミを減らし

また好きな写真機があると良い絵が撮れている。

大枚を叩いて買い付けた最高級の単焦点レンズを通して写真をとるより
暗い絞り、F4はじまりの安ズームで撮った方が面白い絵が撮れていたりもする。

レンズは潜在的な相性があり
ボディは極主観的な好みの問題か。
もしくはボディは知り尽くしたあと好きになるかどうかが別れるのかも知れない。

ズームが嫌いな筈が、ズームの方がいい絵が撮れたりすることもある。

思ってもみないことが意外とイイなんてことが実際にある。
意識してる表層のこととは違う事実がひょっこり顔を出してくるのは中々面白い。

紅葉や桜はウキウキさせられるが、見返すと凡庸で面白くなかったり、だいたい同じものが出てきて辟易。

それらも追い込み方次第なのかも知れないが余り興味は湧かない。

それより、何か新しい驚きを撮ると良いように思う。

電車での遠出も、遠くに行くことより、どこかの駅で降りてから、歩きながら見る景色の面白さを写した方がより自分らしいものが撮れるようだ。

今年は赤羽橋の野田岩!うなぎの味で勝負してる感じだった。

赤羽橋の野田岩!

都内でうなぎを語るなら一度は行きたい店だよな。
と、なんとなくずっと
ここ3年くらい思ってた店。なるほど。

給仕もしっかり。
小骨の処理も含め仕事をしっかりしてる店だ。

うなぎと言えばタレだが、野田岩はタレを味わう系統ではなく、うなぎを愛でる感じのお店だなと。

で、個室タイプの部屋が多いので晴れの日にもちょうど良い。

お年寄りがいる場合は予約の際にその旨お伝えしておくとフロアを考慮してくれることと思います。

僕らが食べたのは確か三階くらいだったようにおもいま。

デートのネタにうなぎってのなら野田岩オススメしちゃうかも。

着物の「たもと」と日本人好みのウェアラブル。

着物が気になったので書き込む。
朝のテレビ小説の「ごちそうさん」を見てた時だ「たもと」からヒョイとなにかとりだしてる。

日本人はポケットの中に何か突っ込むのが好きで、しかもドレスシャツにも寝巻きにもポケットをつける習性?が有るがなるほど、着物はそういう趣向を受けた進化の先にあったもんなんだなと。

帯辺りに色々挟んだり、かなりフリーダムな装備形態をとっているわけで。

系列からすればバカボンのパパや寅さんが装備してる腹巻がその最終進化系のひとつだと思う。

ドラえもんのポケットみたいに財布とか小物を入れておける。

財布に関しても和物の財布は財を入れる布って書くようにかなり自由が効いた物だったのだろう。
あとは巾着とかね。

身につける小さなポケットがどうやら日本人は好きで、昔から色々開発されて来たわけで。
オシャレさんがスーツのポケットには物入れない!
というのと対局にジャケット愛好家の中にはポケットの多さが魅力!っていう人も。

おそらくこれ、日本人らしい伝統というか、何か細々した物を、例えば印籠とかタバコのキセルとか、小銭入れとか、を持ち歩くのが大好きな部分があったのかなと。
バブル時代、車生活がトレンドになっても結局セカンドバッグが流行ってしまっていたり、ポケットやら入れ物が身の回りにないと不安というか、不自由な気分にさせられるのが日本人なのかと。

なんだか取り止めもない感じだけど、ちょっと忙しいので無理やりまとめると、何か新しいファッションを日本人に訴えかけて行くのなら、ポケットとか、何かを差し込んでこける場所とかって重要なのかな?と思った次第。

春雨に濡れたジーンズの裾、なぜか高速で死んだ知り合い、遠い過去を思 い出したわけで

いまから20年以上前に、小学校いらいの知り合いが
バイクの事故で死んだ。

当時、高校に通ってた僕はそいつが高校に通ってないこともしっていた。

中学の頃荒れまくった地域の中心部にいた台風の目。

高校に僕らが進学し、彼らは全く別の道に。

ヤツの将来はなんだか掴めない部分があり
退廃、非現実、ニヒル、そんな言葉そのものなヤツだったが
将来なにになるか?なんてことすら定まらない何かが有ったように思う。

結局、あっけなく死んでしまったので心配や不安はうやむやになり、収まりのいい、余りにも予定調和な結末を迎えた訳だが、

時折ヤツがみせる渇いた笑顔を思い出す。

遅かれ早かれ生物は死ぬわけだが、余りにも鋭敏な研ぎ澄まされた者の死は20年を過ぎてもなごるものだなと。

ヤツやヤツらが見れなかった地平を僕は見てやろうと思う。

お楽しみはこれからだ。

投企

羽生義治氏が言う「自分の存在の可能性を未来に向かって投げ企てること」と広辞苑に載っていたとのこと。

わざわざ羽生義治が言葉を説明することの意義も含め「投企」という言葉が面白く映った。

相手と対峙し、自分の領分がとられない、出おくれないようにするには投企が必要だと。

僕はオーダーを受けてのプランナーだったが、投企していくのも良いことだと思う。

うん。

押して参る!

リンク

好きなサイトなどをリンクしておきます。

ゲームキャストさん アプリの購入の参考にさせてもらってます。

デジカメinfoさん ここの情報の早さは素敵ですね。

ねとらぼさん 気晴らしに良く覗いてます。

Nenet TechDiner 僕、佐藤健二が記事を書いてます。

終電がんばるなかれ

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大江戸線の終電が無理をして毎日3分から5分ほど遅延する訳で…

なぜ、僕がここ数日の大江戸線の終電の話をしているかというと乗っているからで。

飯田橋駅のC1階段を残業の熱覚めやらぬ重い足を引きずりながら
しかし、ネズミがC1階段を転げ落ちるより早く駆け降り、ゲヘゲヘと息切らせプラットホームが見える…

頃には「あぁ、今日も終電遅れてるのね…」とホームに並ぶいつもの面々に出会うことで難なく察してしまうわけで…

大江戸線の終電、いい加減もとの24時25分に戻ってくれたまえ。

終電くらいゆっくりやってくれよ。

24時23分はなんだか僕には中途半端で非常に世知辛いのだよ。

猪瀬元知事が知事だった頃、東京メトロと都営線をくっ付けて24時間営業をすると言ってたけどある意味僕も賛成で。
終電のために走るのはかなり不健康だし、帰宅くらいゆるゆるしていたいものだと。

たまには帰りにコイチでもしたいなと思う訳で。