分析と妄想

日々分析をしてる人がいる。

分析には目的や何がどうして起こったか、という因果関係が求められる気がするが、しかしその人のそれはどうも違う。

近くにいる人の分析をし続けているのかと思っていたが、どうもそれは面白味の無い妄想なのではないか?と今気づいた。
体系的でない個人的な妄想による行動学というか。
とにかく心理学的なアプローチは圧倒的に足りてない割りにその妄想についてはよく語る。

僕は仕事で分析はするが、対象を絞りどうしたら売れるかを第一に考える傾向にある。
企業サイトよりは販促向け。

僕にオーダーをくれたクライアントが売れて発注者が出世するってのが大体。

その人のやってる僕が勝手に分析と思っていた「何」かはどこか異質だな…と感じていた。

下調べや聞き込みもなく、分析対象とのコンタクトやコミュニケーションが圧倒的に少ない。
なのに分析的な話をする。

で、その分析のようなものは他人を説得するに足りる根拠や、解りきった事実を越えてなかったし、顕在化する技術に乏しかった。

で、冒頭の答えがポンと出てきたワケ。

まぁ妄想という域を少し越えている気もするし、仕事で使うにはあまりに未熟だから生存戦略で勝ち取った何かだなんだとは認識しておこう。

(妄想は楽しいが、妄想としての面白みが欠けると少し退屈に思う)

40

40になった。

39より40はほっとする。

ジタバタしても仕方ない。
わりと自然体な状態で、かつ、諦めた訳ではない、進み方も後退の仕方も自在。

体力は気を抜くと落ちていくようだから、そこだけは気をつけて。

無茶はせず、僕がとりたい進路へ進むのみ。

30とは違う。

40はなってみると意外といいもんだ。

中国人観光客が増えたな。

ここ数週で中国人の観光客が新宿に増えた。

寒い時期は白人ばかりで落ち着いた街になってたんだが、またガヤな感じに。

観光客がいないと飲食店なんかが繁盛しないからまぁ悪くもないんだが。

ただ、中国人の不思議なとことしては、日本に来て中華料理を食べるとこだ。

日本人も海外でラーメン屋を探すかもしれないけど、それとは少し違うのか。

日本人にとってはそこそこ本場の中華料理屋を探すバロメーターになったりもするが、ラードがキツかったり、日本ぽくないという見方もできたり。

車で旅行するようなもんと同じで、旅先に自分の安全地帯を持ってきたいのかな。
(残念ながら僕には理解できない)

花粉症からの自由

今シーズンの花粉症はどうやら個人的に終了したようだ。

先週あたりは花粉症用のメガネがない状態で出掛ければ数分で痒いカユイな状態に。

マスクも必須だったけど、どうにかこうにか今シーズンも乗りきった。

本当にひどいひとは注射やら薬やら対策に余念がないようだけど、ぼくは考えるのが仕事だからなるべく気分が変わらないようにマスクと花粉症対策メガネにのみ頼ってる次第。

この仕事でないなら、この季節は沖縄にでも行って過ごすんだがね。

北海道で温泉に浸かってたシーズンもあるけど、ユルッとしたいしね。