花が咲きほこる様をみるのはなかなか楽しいものだが、
つぼみの様を見るのも自然を眺めるなかで一つの楽しみと言えるのではないだろうか?
可愛い玉のような芽を見つけたり、
柔らかなつぼみを見つめる。
やがてくる時間を予感しながら、
その時間がどんなにか華やかなものかを思いながら、
そうやって過ごす時間も中々良いものだと思う。
アメリカの映画の話、壁紙にはバラのつぼみを。
いずれ咲くそのつぼみをながめ、楽しむのだそうだ。
そう、つぼみの様は洋の東西をこえて、期待のアイコンと言うような
そんな存在になっているのではないか。
新しい時間を充実させる何かが、そこにはたくさん詰まっているのではないか。
ひとには、その開花を予感する楽しみ、
希望を持つ余地がある。
希望は、現実として、
つぼみが大きな花へ姿を変えるように、
困難があっても、大輪の花として世に咲く。
そういう時間がやってくると良いものだ。
花は色々あれどこの春は一つ。
派手さの無い、しかし、輝く様。
咲き方もいろいろと言う事か?
煙たつような、春を謳歌する。
気持ちの出し方を見習わなければとも思う。
桜は良いね。
ぱっと可愛く花開く姿、
チラチラハラハラと散る様も、
和やかな桜色も。
なかなか、こうは行かないものだとおもう。
桜にも並ぶ美しさだが、散り際がよくないように思う。
朽ちる様、そこにも美学があるのだろう。
日本人の美というのは、中々辛口だと思う。
緑と花の色のコントラスト。
この季節のカラーバランスは絶妙だ。
気分を高揚させるだけでなく、
すこしフレッシュな気にさせられる。
都会にも春はある。
菜の花が好きで、小さい頃、マンションのベランダで良く眺めた。
モンシロチョウなどが飛んできてとまり、
春を思わせる陽気な時間を過ごしたものだ。
意外にも、都会のど真ん中にもそんな春の日差しと
柔らかな芽吹きがあり、それら咲き誇る春を僕らはそこかしこで目にしてきた。
奇麗な花をみて、はちが踊る姿を見て、モンシロチョウの浮かれる様子を見て
僕らは春を知るのだろう。
気分の良くなるような陽気が、もっともっと続くと良いと思う。
春は中々良いものだ。
フレッシュマン、花を咲かせたのだろうか。
サラリーマン1年生の皆様、そろそろひと月が経とうとしているがいかがお過ごしだろうか?
実り多き一年になるものともうが、着実に進む事をお進めする。
当方は、どのような1年目を過ごしたか、もうすでにおぼろげだ。
ただ、どんな日々になろうとも、
気の利いたものではなかったとしても、スタートが切れたのならそれで良いではないかとも思う。
まだまだ1年目、そんなに悩む事はまだまだないのだから。
旅愁
別に俺はココにきた事は無い。
懐かしい人もいない
残してきた恋人も今はいない
帰り支度をおっくうにも思わない。
だけど、この空に涙する。
そんな事があってもいい
そうさ、旅が呼んでいる。
甘いのが好き。
甘い生活
甘い恋
甘い人生
甘い時間
甘いお菓子
甘い恋人
甘いジュース
甘い空気
僕にはまだまだ甘みが足りない。
デジタルからスピード
デジタルに移行してよかった事は?
Macintoshを使ってよかった事は?
何でも表現できるようになった気がする。
何か急に忙しくなった。
何でも自分でやらなくてはならなくなった。
そうか。
便利と言うのは脆くて面倒くさいものだな。
便利やテクノロジーの先は意外と閑散としていて
ささくれ立っている。
ものを懐かしむ時間もない。
仕方ない、その分何か少しだけ気分よくなるものを置いておこうか。
2007年夏、山形駅前に降り立つ。
70年代はキラキラしていた。
今がどうかと言う事じゃない。
70年代はキラキラしていた。
丸ノ内線に水着を着た子供がわんさと乗っていても全然オッケーだった。
緑色の虫取りのかごを抱え、バッタを捕りには知った。
思いのほかオレンジジュースがおいしく
ラジオ体操の空の音は
清々しい朝の象徴だった。
そんな日々を僕は知っているし、
そんな日々を生きてきた。
それは僕の中のたからもの。
キラキラした時間の話を
いつかまた、したいものだ
(ペンタックス*istDs+DA21f3.2+ケンコー デジカメコンバージョンLHG-065)
継続は力なり
今しがた、家に帰ってきた。
久しぶりの投稿になる。
書きためておいてどんどん投稿しようなんて考えていたものだが、
なかなかそうも行かない。
難しいものだ。
明日から別の展開も考えようか。
うむ。
地味に進む事こそ実は力になるのは良く知っている。
大逆転も、特に必要ない。
継続していこう。
いまはそれだ。
昼と夜、どちらが好み
撮るなら、昼が好きだ。
夜は、眺め、感慨に浸るよりも、
ふれあっていた方が楽しいじゃないか。