登って下る。

一部上場企業の宣伝部にいた。
ということは、過去の話。
何をやってるんだか、と言う声もする。
そうだね。
何やってるんだか。
でも今は気楽なものだし、いい顔を当時よりしていると思う。
俺の考える事はある程度実践されたし、
少し飽きたのだろう。
あと、ぬるま湯が嫌いなのかも知れない。
年を取るとぬるま湯も良いかもしれないが、
まだ強く打っていきたい。
まだ強がっていたい。
まだ強くありたい。
下ったら登る。
また登っていこうじゃないかと思う。

西新宿、西新宿!西新宿!!

したたかに進む人の流れ、一糸乱れの流れ、サラリーマンの流れ。
その中で自分のやれる事をやり、奮闘した。
好きな女と、友達と、自分の城。
それらと過ごしたいい時代。
僕の持てる力を、振り絞る、振り抜く。
夢と儚さを帯びた絶望。
このまま進めるのかどうか不安。
いまは、安心して自分の足で進む事ができるようになったが、
気づけば西新宿の中、僕の力はそれほど走っているのだろうか。
気づけば好きだったあの子は僕の前からいなくなり、
周囲は恋から結婚へ。
西新宿の空のもと、青い空、黒いビル、ほの明るい窓の光を眺めながら家路に付く。
まだ、序の口だ。
僕はもう一度走ろうと思う。
(*istDs DA21)

都市と人と

西新宿のビル群を撮っていると少し楽しくなってくる。
あの中には日中いろいろなドラマがあったりするんだろうなと。
自分もあの中で冷や汗をかいた一人としていまココからファインだを覗き込んでいる事を思うと少し不思議だったりもする。
時間が経てばすべて良い思い出だが、あの頃は色々な力加減のはざまで良く格闘していたなとか。
そういう思い、窓の明かり一つ一つに人の息づかいがある。
そう思うと、ビル群は急になんだか楽しい存在に思えてくる。
そうやって、都市の原動力が生み出されてるんじゃないかって思ったりする。
(*istDs DA21f3.2 f=5.6)

夜に映える昼の残り香

新宿は好きですか?
歌舞伎町もいいですが、ビジネスマンの汗と涙の結晶とかめんどくさいお金のやり取りが日々行われてきた街、西新宿も良い街だと思います。
当方の住まいが西新宿にあるというのは、まぁ、中野坂上よりもたまたまいい物件があったからと言うだけなのですが、ビジネス街としてみた西新宿はまぁ、悪くないんじゃないかなって思います。
東の東京、西の西新宿。
と言った感じで。
汐留は少ししょっぱい感じですし、六本木は少しばかりかぶれた感じですから、このくたびれたサラリーマンみたいな佇まいの西新宿には何となくビジネスをするばしょとしての魅力があるんじゃないかなって思う訳です。
意外と間近に見るとどのビルもかなりの年季が入ってますし、被写体としてみるに中々いいあんばいかなと思います。
(当方的には秋葉のUDEXあたりも好きなのですが。)
東京見物には若干に合わない場所ですが、来訪のおりは都庁の展望台にあがったり、ターリー屋やら、もうやんカレーによったりしてみてください。
そう、新宿はラーメンやカレーの街でもあると思うのですが、その話はまた別の回にでも。
(*istDs DA21f3.2 f=4.0 露出補正-0.7)

クリスマスの池袋を思う

池袋のクリスマスシーズンは中々だ。
渋谷、新宿などから比べると池袋は少しミーハーなところがあって、
純情と言うか、少々感化されやすいところがある。
バブル時代の池袋をみてきたので、そこでは特に何も起きていないが、
何となく浮ついたような世間の雰囲気に染まる様をみていた側からすると、
なんだかリトマス試験紙のようにそのシーズンであるとか、その時代が割と見えてくるように思う。
池袋のクリスマス時期が中々なのは客観的に見れば、おそらく大規模なお店が一極集中していて、渋谷や新宿から比べ店舗の規模も大きく、そして勢力争いが明確に打ち出されるからなのだろう。
目の前の他店舗にやられまいと、地下も地上も老いも若きもみんなお祭りに参加してしまうのである。
で、この空騒ぎがみんなに飛び火するかのように少しだけみんなうきうきするのではないかと。
あと、池袋の人々は動きが速いから、そんな彼らの目に留まるよう飾り付けも少し派手めになっているのではないかとも思う。
銀座とは違うデパート文化を生み出した街としては、その輝きは少しほかの街に対して誇れるものなのではないかと思う。
(*istDs DA21f3.2 f=4.5 )

池袋にて

池袋、俺が育った隣町。
街に活気が在るからよく遊びにも言った。
といっても中学頃はお金もないからハンズをうろうろしたりするのが関の山だし、この写真の場所辺を良くうろついたものだ。
まだIWGPなんていうはやりの名前も無かった頃だし、実際にカラーギャングが喧嘩し合ってる頃でもない、もう少し平和な池袋をよく闊歩したものだ。
もっとも、地元の方がその頃はヤバい事になっていたのだけれど、当時の俺はそんな中で平凡にのほほんと生きていた訳で、今から考えると度胸が据わってたんだなって思ったりもする。
(*istDs DA21f3.2 f=4.5)

道を聞かれる人になろう。

道を聞かれた事は在るだろうか?
東京で道を聞かれるようになれば東京人になったのではないかと思う。
あれ…?東京人?
言っておいてなんだが、何だそれって感じがする。
東京のひとは自分たちを東京人ては、本当は言わない。
それは、大阪の人が勝手につけた名前だ。
まぁここでは東京に住めてきた人とでも言っておこうか。
地理がわかるだけでは、聞かれもせず、ファッションがかっこ良くなれば聞かれるかと言うとそうでもない。
おそらく、その場の雰囲気にあっているかどうかなのだろう。
町に合っているといのが、意外と外から来たひとにはわかるのだろう。
で、その際にうさんくさいかどうか、感じがいいか、街の事を知ってそうかなど、あらゆる事を加味して自然に彼らは道を聞いてくるのだろう。
自分もやはり旅先ではそうする。
ただ、面白いのは、旅先で、およそ正当な答えが返ってきそうも無いひとに話を聞く事だ。
それで旅は転がりだす。
旅のテンポを楽しむ余裕が在るときは有効だとおもう。
ただし、それがかなり命がけの強行軍を強いられているシーンであればやめた方が良い。体験として、かなり散々な目に在った事があるからだ。
まぁ、旅の思い出にはなったのだが、楽しめる心の余裕があるときにそういうものは取り入れると良いと言う事だ。
(撮影機材*istDs DA21f3.2 f=4.0 ISO=200 1/13)

選択をする。

撮影地は四ッ谷の交差点だ。
まだ寒くなりたてのころ11月の終わり、夜11時くらいだろうか。
この時間頃になると、民家の少ない四ッ谷はめっきりひとも減り、どこかを目指すひとが通り抜けると言った感じに町の姿が変わる。
四ッ谷ではわりと小さな店もちょこちょこ夜中も明かりをつけてるし、飲み屋なんかで楽しく飲みにもちょうどいいのだが、日曜は少しメランコリックな気分さえする。
(撮影:*istDs,DA21f=3.2 ISO200 f4.5,)