おとそ気分はおそらく今日で抜けた。
明日は会社を休んで体の調子を再度計りにいく。
再検査だ。
そこで悪いと言われると僕はどうにかなってしまい、
最悪消し飛ぶことにも。
いくつかの分岐のうちにその検査でわかる死があるのかも知れない。
よいと言われることは少なくともなく、
カラダがどうのこうのということは何か言われる。
だからといって恐怖もない。
色々手続きがめんどうなのと、何となく過ごした今日を振り返る。
おそらく、死を感じて生きる年になってきたのかも知れない。
漫画の主人公みたいに死にはしない体。
そんなのがまかり通ってきた。
10代20代は何人か友達が何人か死に
30代にはいってなんだか気分が大きくなっている。
だが、正直ここ数年間を押してきていてツライ部分も。
そこをきちんと解消しながら生きないといけないなというのが、
ここ数ヶ月考えているところであり、今日こんな形で明日を迎える。
正直、わからない。
わかったのは、意外とすっきりしているということ。
それと、部屋をきれいにしてから死ぬタイプの人間でないこと。
あと、わかっていたが、年末女と別れた原因はここにあるのだと言うこと。
再検査の話をしてもさして耳も貸さず、としとったのね。とそんな感じのコメントと笑っていた。そんなだった様に思う。
あれでは一緒に長く暮らしてもさっぱりだ。
結婚などはもってのほかだ。
(正直30代になって結婚を意識するようになっているし、その彼女と結婚を何度となく考えた。)
老後を見てもらうために結婚とか考える訳ではないし、恋愛をする訳でもない。
なれ合うために付き合う訳ではない。
保険をかけるために結婚をする訳ではない。
しかし
しかしだ。
弱っているときの扱いがひどすぎる。
僕は弱っているとき弱音を吐く。
こんな見ず知らずの人にさえだ。
あまり真剣に看病されるのも困るし。
一緒に泣いてくれるのも少し違うように思うが
真剣に落ち込んでいるときは、何か真剣に対応をしていただきたいものだ。
リアクションはこの世の中でとっても大切なものだと思う。
これだけは確かだ。
それと。
今日一日。
午前中はぬくぬくとテレビを見て過ごし、午後までダラダラ。
写真が撮れたらいいなと思うが、夕方になってきたのでどうでも良いなとも思う。
気が向いて好きなものを食べにいき大盛りを食べて少しダイエットに悪いなと考え、
カメラ屋をのぞいて、家電屋のおもちゃコーナーを除いて何もないなと思い、コーラの500缶(ペットボトルは嫌いだ)を飲み干し、そして帰宅。
面白いものでテレビを見て、カメラのコトを考えて、おいしいものを食べて、そして気分よく帰宅。
彼女でもいればまた少し違った心境かもしれないし、ベッドにいる時間がもう5時間くらいは長かったように思う。
年賀状がまだ全部は終わっていないが、それも気にしない、仕事が何となく残っているのだが、それも明日考えようと思う。
かなり自分が勤勉でなく、散財するといってもたいしたことがなく、ダイエットにさえ気を使ってしまうところが少し面白く感じられた。
おろらく、そんなところなのだろう。
僕が駄目になったとして、そんなところなのだろう。
予備校時代。
どん底。
将来が真っ暗なときも、近所のおばさんは「なんだかとっても楽しそうに自転車に乗って出かけていってた」といっていた。
そう、僕自身もどん底でありながら楽しくしていたのだと思う。
周りから見た目にそう見えた訳だけではなく、
人生というなのバッターボックスで、バットを持って振り切って、フルスイングをして好きに生きていたように思う。
これは何だと思うが、僕は楽しく生きているのだと思う。
まぁ、悪い状態になったとして、それはそれで楽しむとしよう。
いまは、気分よく明日を迎え、気分よく結果を待つことだ。
そうおもう。
しかしまぁ複雑な心境だ。