Facebookは素敵だなぁ。
と思ってたのですが、通知を追っかけたり友達の輪を広めたりして、更にそのタイムラインを追っかけたりしてると凄く凄く不毛な感じだなぁ…とシミジミ思えてきた。
基本、どこか行って美味いものを食う写真とそれに対するいいねの嵐。
それはそれでいい。
誰かのどこかはとても幸せ。
いいね!
うん。
まぁ、いいんじゃね?くらいの「いいね」。
でも、僕にとっては、こうやって物事の関係性とか、明日の出かける先を考えたりする時間の方が幾らかイイ時間だったりする。
時間を忘れて散歩したりさ。
対話を楽しんだり。
どの魚がうまいかスーパーで悩んだり。
で「いいね」を押した先には「いいね」が帰ってくるわけだが、双方向のやり取りが「いいね」で済んでしまいそこから踏み込むことが意外とないなとも。
どうやらその後のやりとりが予想できて面倒になったり、相手の顔写真や奥さんの顔写真を見ながら「あぁ、踏み込むほど仲良しじゃなかったんだ」と相手の人間との関係性が急にアヤフヤになったり。
そもそもは、お腹と背中、前と後ろのある人間、多面的ペルソナがある人間が全部フラットに、しかもFacebookでいいねを押した順に適当に「仲良し」として陳列されているあの空間。
(アレは暴力だよな。)
今風のデジタルなやりとりっぽくはあるのだけど、その実、表層を上滑りするだけであまり意味のあるものにならないのでは?と。
あのインターフェイスとタイムラインは偶然というものに弱く日々を退屈なものにしてしまうようなそんな気がしてきたのさね。
【ひとこと評】
mixiのはじめの頃は出会いが多く楽しめた。
ツイッターは拡散には良いが継続的でない。
はてなブログ界隈は左巻きが多く都会的でない。
LINEは田舎的距離感が嫌で対話も雑な感触。
Facebookの距離感は都会的だったが軽薄だ。
今となってはFacebookのMessengerだけを使うのが合理的だと思えている。
別にSkypeだってイイ。
おた、LINEはあの緑色が嫌いだ。
1日24時間しかないのだし、過去に離れた友人達と再度つるむのもどこか気味が悪かったり。
会いたいなら連絡して有意義に過ごしたいじゃないか。
目の前にいる人とのさしでのやりとりを大切にしよう。
おそらくそこまで考えている人は少ないのかもしれないが、もうちょっと気を払えば良い生活にぐっと近づくのでは?と。
Facebookは住所として有ればいい。
積極利用はもうやめよう。
(仕事でも最近では拡散用にしか使ってないしね)
そして僕はiPhoneを取り出しFacebookの通知を切ることにした。