★Twitterと私。
Twitterは数年前にアメリカ人相手につぶやいていたが、
英語がどうにも。ってことで寝かせてた。
したら、盛り上がりとは裏腹、過去に体験した「ミクシイ疲れ」が
頭の中でフラッシュバックしてうまく波にこぎ出すタイミングを失った。
で、ヒネタ感情からか、自分はつぶやかず、自分にとって有効な
情報収集システムとして勝手につぶやくボットづくりに熱中した。
(でもまぁ適当だが…)
Twitterのいいとこは、知らないヤツと戯言言ってられる気楽さかな?
逆にミクシイみたいに会えない空寒い感じもあって
広がりが掴めないぶん気味が悪い。
そんなこと考えている間も僕の作ったボットたちはせっせとツイートしてるわけで…
★オッサンらは書くよ。若者のTwitter離れ…
しばらくたって今「Twitter疲れ」なんてことが騒がれつつある。
(おもに蚊帳の外だったオッサン系雑誌が火元)
まぁ、普段から発信することになれてなかった日本人だ、
140文字であっても情報を吐き続け、求められ続けたら疲れるわな。
で、オッサンたちが言うまでもなく「Twitter疲れ」蔓延なうな感じだ。
しょうがない。
こういう焚き付けられた世論みたいなのは、みんながバイラルに広めるほど
まことしやかな現実となる一種の口伝の流行りだ。
波は興ったら止まらない。
(逆の波もポジショントーク的にたつにはたつだろう)
オッサンたちはパワー無いし仕組みやカルチャーがわからんから
匙投げて傍観と洒落こんだのだろう。
まだ新聞や雑誌は大丈夫だ!的な。
★実際疲れた?
んで、まぁ、僕はと言えば別にTwitterにはず~っと疲れていない訳で
(波を違う乗り方して楽しんでた?)
恐らくガブリ四つに組んだ人ほど得体の知れないパワー
人の塊、つぶやきの渦に翻弄されてるころだと思う。
★皆が発信は無理がある。
別にTwitterでもミクシイでもいい。
ヒトはそれほど発信するのが好きじゃないんじゃないか?
ってのが持論になります。
僕ら企画屋も情報収集はしますが、発信をそこまでしたいか?というとそうでもないし。
アイドルとかが一番プロかもね。
芸術家だって波は有るし多産な芸術家は割と少ないし。
★2010年、未知との遭遇。
いま明らかに新しいタイプのコミュニケーションに晒されているという意味じゃ人間が試されているんだろう。
アメリカさんではフェイスブックで自己主張が流行りそののち群れるゲームが流行りいま崩壊を迎えてる。
電子メールは仕事道具として、また高校生の求愛ツールとして、尻様の離婚ツールとしても定着したが、ミクシイやらTwitterはどこに向かうのか?
ひとつ言えるのは、ソーシャルサービスとの付き合いかたをそろそろ学習しては?ということ。
ソーシャルな場に言葉を吐くには、そのサービスに合わせた大人なスタンスで喋れるようになるとイイんじゃないかな?ってね。
オッサン系雑誌が「~疲れ」って言ってるのは
付き合い方がわからないまま疲れ切ってしまう同世代や、周りの世代を見て実践しないでの耳年増な話だろうし、ケータイネイティブならぬTwitterネイティブな世代が出てきたとき彼らの理解を越えた成熟したネット上のソーシャルコミュニケーションがはじまるんじゃないかな?
僕はまぁ、ソーシャルコミュニケーションサービスとの距離の取り方を頭の片隅で日々考えてはいる感じな訳だが、最近全然サービスに触れる時間が無いし…。
ぐぬぅ。