中学の頃だ。
好きだった娘は、休みにタイのプーケットに行くと言っていた。
いまから20年くらいまえ、家でラザニアを作ったり中々ハイカラな娘だった。
近い将来ああ言うのがデフォな世の中になるんだろうな…
と、庶民派の僕は江ノ島にヴァカンス(日帰り)に向かう小田急に乗りながら考えてたものだ。
あれから20年の月日がたった訳だが、
休みと言えば…
海外はおろか、電車での旅行さえ高いと思う世界になった。
自家用車を持っている郊外に住む人達は、定額になった高速を使い生まれ育った街を出て都心に向かったようだ。
ディズニーランドやら六本木ミッドタウンやら…
帰り道渋滞に填まり、面倒になって二度と出掛けない…とか。
そういった今日的な経験は積んだ訳だが。
当時、僕が将来へ見た目測は、将来とか未来はバブルを突っ切ったその先にある右肩あがり、繁栄し続ける世界なんだと思っていた。
それは多くの人が確信していた世界でもあっただろう。
彼女らの過ごしていた地平にももちろん僕の日常は繋がっていた。
…はずだった。
実際には繋がってはいなかった。
夢のような土産話の世界はガンダーラより遠い。
何年かに一度…南半球の女友人に逢いに行くのもままならない。
華やかなあの頃みた将来は来ないとして、いまよりましで少しワクワクする未来を考えてみようと思うんだ。
それくらいの野望はあった方が楽しいと思うんだ。
プーケットやフィジーが少しばかり遠くても、ひとつもツラくはないんだし。