有償か無償か。

以前はPCソフトのベンダーの宣伝部門にいたために、
ソフトの有償か無償かと言う話は少し気がかりなところでもある。
リッチなソフトしか通用しない世の中になりつつもあり、
たとえば、ケータイでも業務用アプリでもなんでも高度なものが
求められるようになってきている。
そこで、オープンソースなどの取り組みで無償の環境と言うのもずいぶんと増えては消えている状況になってきている。
オープンソースは不安ではあるが、かといって有償のオフィスソフトが本当に業務に必要かどうかと言う質問に対して非常に疑問にも思う。
PIMは?オフィスは?グループウエアは?
と考えると、リスクもそこそこに大きいが、フリーのオープンソースや、グーグルなどのものでいいんじゃないかなと思う。
写真に関しては、可能な限り有償で安価なものを使う。
ドメインなどにもお金はかけていいと思う。
その線引きはどうするかと言うところになるのだと思う。
当方の線引きは
・将来自分の所有するコンテンツだと主張したいもの、またはその公開場所。
・それがないとどうにもならないもの
・そのソフトでもハードでも作った人に敬意と賞賛をあげたいもの
と言う感じでお金を払うことにしている。
必要な場合はソフトをきちんと買い、
必要かどうかきちんと見極める。
この辺をフェアにやらないと、作者のビジネスを破綻させることになる。
これはシェアウエアなどでも同じだと思う。
仕方ないので払うと言うよりは、敬意とともにコストも捻出する感じだ。
では、フリーのものは?
・フリーなものでどうにかなるもの
・アップデートが早いWebなどのサービス
・広告的に人を引き込めるサービス
・検索やコミュニケーションに使うサービス
・面白そうなもの
そんな感じだろう。
おそらく、グーグルが無ければ仕事の多くは成立しないだろうし、
メールもGmailなどが無ければかなり不便な部分が発生するだろう。
検索に関しては、頼らざるを得ないインフラであり、
今後人づてのweb2.0以降のfacebookの様なサービスが
横行したとしても、検索はし続けるだろうし、
この状況に乗っかっていくしか無いんだろうと
ある程度の覚悟は決めている。
まてよ。
覚悟を決めないとフリーなものは使えないのか…?
と言うとその通りだろう。
覚悟を決めねばならぬもののはずだ。
そう、覚悟を決めて全面的に乗っかってしまうことが、フリーソフトやオープンソースに乗っかっていく
この感じこそフリーウエアを使う醍醐味かもしれないし、根底に必要な気構えなのかもしれない。
マイクロソフトかアップルかと言う一時期騒がれた物騒な争いも、話も近いものがあったのだけれど、もっとオープンソースは別の次元にあるものだとおもう。
その決断や覚悟がかなり以前のフリーソフトの世界よりも決めやすくなってきているようにも思う。
気づけば、Macもウインドウズもブラウザはfirefoxだし、サンダーバードなども利用している。
open oficceやneo oficeなども利用するようになってきている。
まぁ、Linuxについては以前使ったことがあるだけに、尻込みもしている部分がある。
flashやイラストレーターがキチンと利用できるようになれば考えてもいい。(まだその時期ではないようにも思う。)
あと、必要とするものと言えば、写真現像ソフトくらいだろうか。
ココ数年MacOSXのバージョンアップだけはしているが、Macはコレからも買っていこうと思う。
そう、アップル製品は嫌いではない。
これは、好きなベンダーには残ってもらいたいと言う税金の支払いのようなものだ。
そう考えると、ずいぶんとパソコン周りはお金がかからなくてよくなってきたんだなと思う。
要するに、お金がなくても身近なところでとりあえず必要なサービスなどは、誰かがお金を払うことで
無償でどうにか提供されてしまう関係やビジネス手法が成り立つようになってきたのだと言うことなんだなと。
おそらくエンタープライズな会社は必要に応じてビジネスソフトを買うように社会的になっていくけどパーソナルな部分ではどんどんお金がかからない、もっと違うビジネス。つまり、検索した先、検索で一緒に出てきた広告などでもうけることをし、サービスを利用する人から搾取はしなくなる。
もしくは、囲い込みやマーケティングのためのソース収集の為に自由に利用させる。と言う状況になっていくのだろう。
つまり、気軽に乗っかってしまえば、個人としてはお金がかからない世の中になるわけだ。
気をつけなければならないのは、サービスが停止したときと、マーケティングソースを自分たちが捻出している存在になっていると言うところだろう。
それらがヤバいと思うなら、使わないことだ。
あと、サービス提供会社のクライアントが必要とする情報を生み出さなくなった次点で、(マーケティングモルモットとして有効な存在で無くなった場合だ)たとえば一定の消費に加担しない人間になった瞬間にその無償の世界から急にほっぽり出されるかもしれない。
ということも気にしておくべきかもしれない。
(用済みになった黒幕が真の黒幕に消される様なぎとぎとした状況だ。)
さらにいえば、その「消される」状況は群集心理に影響を与えないような方法、周囲には認知されない状態で
ある日突然実行されることになるのだろうとおもう。
近年騒がれていたグーグル「はちぶ」の個人版がやってくるのかも知れない。
カードを持っていない、とかアカウントをあまり使ってないとか、何らかの足切り線をもうけ、
それ以下の人間は検索ができないようになるとか、フリーなサービスが受けられなくなるとか。
ある日突然、グーグルカレンダーが真っ白になっていて、ログインさえできなくなるとか。(おそらくそこまであからさまにするのではなく、もっと静かに消え去る様なかたちになるのかも知れないし、もっと別なところに情報を売るすべを彼らは考えだして、サービスは奇妙な基盤の上で成立し続けるのかも知れない。)
無い話では無いと思う。
当方としては、フリーなサービスはどうも気が気で無いところがある反面、テクノロジーの進化に乗っかってみる面白さもあるので、今のところは使っている。
これから先、気が変わることも多々あるだろう。
サービスが心配になったり、嫌な気になったり。
まぁ、そうならないように、自分にとって重要なものは、自分でコントロールできるようにしておこうとは思う。
あと、そうはいってもお金はものを言うところもあるので、しっかりと使うべきところに使えると様にとっておこうとも思う。
いまは写真や絵を描くことが重要だと思う。
だから、コミュニケーションに必要なパソコン周りはしばらくまだおろそかなままでいいかなと思う。
それと時間は重要だと思う。
時間とお金は意外と相関関係にあったりもするので、
その辺をきちんと見極めながら、うまく自分の時間を作り出しやりたいことをやっていこうと思う。