ソファーを見に

近所の友達が捕まらないので一人で出掛けている。
ソファーを見に、これまた近所のコンランショップへ。
ベッドは当時奮発して買ったベッドが気に入っている。
ニトリの固めのコイルポケットの、上から二番目。
で、味を占めた。
イケアの家具がいくらかあるが、荷物も多いせいか部屋は粗雑に荒れている。
そもそも家にいるのが好きでない。
前の部屋は風呂など不満もあったが、中野向きの5階に位置するベランダの見張らしがよかったから気が向けば家の外を眺めたり。
いまは2階になったから、場所も悪くないし、広くなった。
風呂も一新。
ただなにか帰る楽しみが少ないなーと。
で、ソファーだ。
高いやつ、スローなテンポで良く沈むヤツ。
良いソファーはコウコツな状態にまで引っ張ってくれる。
良いアイデアも引き出してくれそう。
いまの部屋代からすればカワイイものだし、何よりせっかく持ち物になったマンションが、今は物理的な前線基地でしかない。
飛行機たる僕は飛び立つが、それだけじゃつまらない。
何か生きる上での些細な充実が必要かなと。
彼女もいない今だから、少し奮発もできるかな、と。
次はテレビだったりオーディオだったりするだろう。
でも、それより物理的接触のあるソファーは重要かと、あとテレビは制作の邪魔になりがちだし、アイデアを引き出す仕組みにはなりえない。
会話やジョーク、電話でデレデレしたり、メールを書いたり、スケッチブックを手にしたり、本のページをくる、ラジオに耳を傾ける。そうしたことをした方がずっと僕らしくて良いだろう。
何か良い時間が待っていれば僕は家に帰るようになると思う。
でなきゃ、もっとコンパクトな生活で済むはずだし、
そのくせ、もっと広い部屋が欲しいなんて思うのだから、まずは自分の持ち物であるマンションを好きになろう。
ソファーは良いトリガーになると思うんだ。

桜えび探訪

あいにくの小雨のなか、
浜松駅で新幹線でトーキョーへ戻る友達と別れ
一路由比へと向かう。
みんな奥さんが家で待ってたり
年をとったのか、新しいことに興味がなくなった様子でいた。
そして電車は掛川を越え興津へ向かう。
もしかして一人行動になるかもと思って持ってきた石田いらの小説が役にたった。
時折ながめる車窓には、静岡ならではののんびりとした緑の平野が広がる。
トライアスロン部の面々とはやはりどこか合わないところがあり、ちょうどいいバラけるタイミングだったのかもしれない。
シートに座る女の子たちの声もどこかトーキョーと違う響き。
せっかくの遠出だ、いつもとは違う窓の外を流れ行く姿を、駅舎の様子や昼寝の時間をしばし楽しむとしよう。
桜えびはどんなだろう。
散歩と味は旅を楽しくさせる。小雨はあがりさうな雰囲気、夏が近付いてくるようだ。

朝焼けを追え、熱狂のときへ

朝焼けに走り、朝はシャッターを切るためにあると走る。
朝だ朝だ朝だ!
朝焼けが消えていく空をよそに走り出す冬の空のもと。
冬の朝は寒いのだが、空気が澄んでいる分心は踊る。
さむい。
マイナス4℃などと言う事もある。
ココは東京だぞっておもう。
ダウンタウンへ吹き込んでくる寒風はシャッタを切る指を凍えさせるけれど、
起きてしまった朝は、朝焼けをみてしまった朝は僕をしばし熱狂の中へと誘う。
(*istDs DA21 f6.3)

道を聞かれる人になろう。

道を聞かれた事は在るだろうか?
東京で道を聞かれるようになれば東京人になったのではないかと思う。
あれ…?東京人?
言っておいてなんだが、何だそれって感じがする。
東京のひとは自分たちを東京人ては、本当は言わない。
それは、大阪の人が勝手につけた名前だ。
まぁここでは東京に住めてきた人とでも言っておこうか。
地理がわかるだけでは、聞かれもせず、ファッションがかっこ良くなれば聞かれるかと言うとそうでもない。
おそらく、その場の雰囲気にあっているかどうかなのだろう。
町に合っているといのが、意外と外から来たひとにはわかるのだろう。
で、その際にうさんくさいかどうか、感じがいいか、街の事を知ってそうかなど、あらゆる事を加味して自然に彼らは道を聞いてくるのだろう。
自分もやはり旅先ではそうする。
ただ、面白いのは、旅先で、およそ正当な答えが返ってきそうも無いひとに話を聞く事だ。
それで旅は転がりだす。
旅のテンポを楽しむ余裕が在るときは有効だとおもう。
ただし、それがかなり命がけの強行軍を強いられているシーンであればやめた方が良い。体験として、かなり散々な目に在った事があるからだ。
まぁ、旅の思い出にはなったのだが、楽しめる心の余裕があるときにそういうものは取り入れると良いと言う事だ。
(撮影機材*istDs DA21f3.2 f=4.0 ISO=200 1/13)

おとそ気分と検査と今日いちにち。

おとそ気分はおそらく今日で抜けた。
明日は会社を休んで体の調子を再度計りにいく。
再検査だ。
そこで悪いと言われると僕はどうにかなってしまい、
最悪消し飛ぶことにも。
いくつかの分岐のうちにその検査でわかる死があるのかも知れない。
よいと言われることは少なくともなく、
カラダがどうのこうのということは何か言われる。
だからといって恐怖もない。
色々手続きがめんどうなのと、何となく過ごした今日を振り返る。
おそらく、死を感じて生きる年になってきたのかも知れない。
漫画の主人公みたいに死にはしない体。
そんなのがまかり通ってきた。
10代20代は何人か友達が何人か死に
30代にはいってなんだか気分が大きくなっている。
だが、正直ここ数年間を押してきていてツライ部分も。
そこをきちんと解消しながら生きないといけないなというのが、
ここ数ヶ月考えているところであり、今日こんな形で明日を迎える。
正直、わからない。
わかったのは、意外とすっきりしているということ。
それと、部屋をきれいにしてから死ぬタイプの人間でないこと。
あと、わかっていたが、年末女と別れた原因はここにあるのだと言うこと。
再検査の話をしてもさして耳も貸さず、としとったのね。とそんな感じのコメントと笑っていた。そんなだった様に思う。
あれでは一緒に長く暮らしてもさっぱりだ。
結婚などはもってのほかだ。
(正直30代になって結婚を意識するようになっているし、その彼女と結婚を何度となく考えた。)
老後を見てもらうために結婚とか考える訳ではないし、恋愛をする訳でもない。
なれ合うために付き合う訳ではない。
保険をかけるために結婚をする訳ではない。
しかし
しかしだ。
弱っているときの扱いがひどすぎる。
僕は弱っているとき弱音を吐く。
こんな見ず知らずの人にさえだ。
あまり真剣に看病されるのも困るし。
一緒に泣いてくれるのも少し違うように思うが
真剣に落ち込んでいるときは、何か真剣に対応をしていただきたいものだ。
リアクションはこの世の中でとっても大切なものだと思う。
これだけは確かだ。
それと。
今日一日。
午前中はぬくぬくとテレビを見て過ごし、午後までダラダラ。
写真が撮れたらいいなと思うが、夕方になってきたのでどうでも良いなとも思う。
気が向いて好きなものを食べにいき大盛りを食べて少しダイエットに悪いなと考え、
カメラ屋をのぞいて、家電屋のおもちゃコーナーを除いて何もないなと思い、コーラの500缶(ペットボトルは嫌いだ)を飲み干し、そして帰宅。
面白いものでテレビを見て、カメラのコトを考えて、おいしいものを食べて、そして気分よく帰宅。
彼女でもいればまた少し違った心境かもしれないし、ベッドにいる時間がもう5時間くらいは長かったように思う。
年賀状がまだ全部は終わっていないが、それも気にしない、仕事が何となく残っているのだが、それも明日考えようと思う。
かなり自分が勤勉でなく、散財するといってもたいしたことがなく、ダイエットにさえ気を使ってしまうところが少し面白く感じられた。
おろらく、そんなところなのだろう。
僕が駄目になったとして、そんなところなのだろう。
予備校時代。
どん底。
将来が真っ暗なときも、近所のおばさんは「なんだかとっても楽しそうに自転車に乗って出かけていってた」といっていた。
そう、僕自身もどん底でありながら楽しくしていたのだと思う。
周りから見た目にそう見えた訳だけではなく、
人生というなのバッターボックスで、バットを持って振り切って、フルスイングをして好きに生きていたように思う。
これは何だと思うが、僕は楽しく生きているのだと思う。
まぁ、悪い状態になったとして、それはそれで楽しむとしよう。
いまは、気分よく明日を迎え、気分よく結果を待つことだ。
そうおもう。
しかしまぁ複雑な心境だ。

ご来光と記念行事

写真をやっていると「初日の出」というのは、なんだか感慨深いもののように感じる。
今年は一人で年越し、身が引き締まる思いで新年を迎えたが、
その中で「初日の出」となると少し考え込んでしまうところがあった。
新宿にいるということもあり、東京都庁の展望台がいいのでは、と思ったり、お台場のテレコムセンターがいいのではと思ったり。
都庁、ここの展望台はくじ引き抽選だということがわかる。
テレコムセンターは以前に聞いた話では、カップルも多いし、結局何のために行ったかよくわからなくて疲れたという話を聞く。
(まぁ、多かれ少なかれ疲れるのだ。)
浅草は浅草寺で揚げまんじゅう、人形焼きをぱくつきながら2年参りをすませ、モツ煮と大盛り焼きそばを頬張り「初日の出」のことを考えていると、少しばかり変わった趣向を考えてみようかという気になった。
カップルばかりでなく、疲れず、すぐに家に帰れて、そして「初日の出」を堪能できるところ。
新宿界隈の場所をGoogle Earthを見ながらケンコーのサンガイドで日照を調べる。
これで準備万端。
あとはサンガイドを持ちながらロケハンがてらに目指す場所へと自転車を走らすばかり。
行ってみると、数人だけ、カメラを持った地元の人と、高校生が6人くらいご来光待ちをしていた。
「初日の出」の撮影、感慨深かった。
やってみると
まぶしい。
点光源の撮影。
寒い。
数秒後には割と普通の風景。
順光側にはとても良い桃色の景色が…。
というものである。
ご来光自体は…まぁ、いいんじゃないか?
これも場所を変えてできるという意味ではいいのかも知れないが、
CCDを痛めるということを考えると、フイルムカメラに任せた方がいいのかも知れない。
そう思えた。
ひとまず、いろいろあったが道すがら収穫もあったし、色々思うところもあったので、なかなか有意義だったと思う。
また来年やるかは微妙だ。
(こればかりは、ロケーションをかえながらやると楽しのではと思うように思えました。)
写真はEOS30DとEF50f1.8IIで撮影。まだこのカメラに慣れないでいる。

帰還

旅から帰る。
珍しく旗持ちのいる旅行だ。
ツアーは大勢いることの安心感、
良く知ってるひとのリードや、
連帯感などがイイのだろう。
写真は撮ってきたが、じっくり撮れた感は無い。
連帯していることからくる拘束だ。
またイイか悪いかは別として、異国の地にあることの緊張感はぐっと低くなる。
ここ最近感じる旅行の効能は、
被写体が変わる。
貨幣価値や金銭感覚が麻痺する。
歩く様になる。
携帯電話から離れられる。
約束をまもる様になる。
気分が解放される。
そんなところだろう。
約束をまもる様になる。
ということについては、特に待ち合わせの際にだ。
巧く待ち合わせがいかないと大幅な時間のロスになるし、お互いイイ思いをしない。
そういう意味でいえば、待ち合わせの場所の持つ意味の重みも、かつて携帯がなかった時代とはかなり違う様に思う。
いずれにしろ、旅行にはまたいこうと思う。
楽しい思いだけではないが、非常にイイものだと思うから。