iPhone4Sを小旅行でつかって感じたこと。

●日帰り奥多摩たのし〜な〜!
先週末に奥多摩の採石会社の写真を撮りに友達と出掛けた。
家を出るときにデジタル一眼用SDカードの替えを忘れたり微妙なハプニングを重ねながら出発。
iPhone4Sはケータイと共にポケットに忍ばせて電池100%で出撃。
友達と合流し、中央線で奥多摩へ。
23区とは違う良い空気を吸ってきた。
写真を撮ったり
歩いたり、途中下車をしたり、近場で打ち上げをしたり。
しゃべったり。
iPhone4Sはスナップカメラとして、地図として情報収集の端末として、ブログやGoogle+やFacebookへの投稿端末としてナイスな活躍をしてくれた。
●だが…だ。
だが、その活躍とは裏腹にウィークポイントも使用者の僕に投げ掛けてきた。
以前僕がiPhoneに抱いていた感覚に同じ、目の前にいるひとに不快な印象を与える可能性があるなと言うこと。
iPadと比べ小さく手軽、言わば自分の頭の一部、アタマの出先機関、人間の補機の様に感じられるiPhoneは
その性格上、目の前に友達がいようが、道に迷っていようが、ランチの合間だろうが、iPhoneに見入って別の行動を助長してしまうような側面がある。
ちょうど喫煙者が食後の一服でトランス状態になっているのに近い。
中毒性があるのも似てる気がする。
目の前に誰かがいるのも忘れ、内にこもる。
配慮の無い、行儀の悪い、コミュニケーションが断絶する状態を無意識下に作ってしまう存在だ。
およそその佇まいはコミュニケーション能力が高いはずの、高次の知性を持つ生物が行うタイプの行動とは別な部分が内在することを気づかせられる。
目の前にものすごい量の飯屋があり、それを選定する際にうまくiPhoneで検索と決定ができないとき。
面白かったサイトをiPhoneで見せるとき(これはiPadなら大丈夫)しかも、もたついたとき。
話が進まずアングリーバードをしてるとき。
(以前僕がよくみた光景なのでアングリーバードはiPhoneには入れてない)、飯のあとのコミュニケーション時間、などなど。
こうやって抽出してみると解るのだけどiPhoneがコミュニケーション相手とは違う次元に意識を集中的に持っていってしまうときにコミュニケーションの断絶は起きてしまうと言うこと。
なんとも。
●対策として
iPhoneが悪いというより悪いコミュニケーションを助長するアプリをなんとかするってのがいまのとこ対策なんだろうと思っている。
・なんとなく便利そうだが、詰めが甘いアプリ
・中毒性の高いニュースアプリ
(は旅先で開かない)
・暇なら寝て体力温存
・説明が長くなりそうなアプリ
・一人遊びアプリ
・飲食店検索アプリ
(これは下調べか、1人のときに使うべき)
・使ったことの無いアプリは使わない。
大体こんなだ。
で、熱中系アプリと使ったことの無いアプリは旅先で開かないのが良いと思う。
仕事柄やたらにアプリを入れては削るを繰り返しているが、それだけに積みアプリを試してみたくなるが我慢!
履き慣れない靴で遠出をするなという基本に近い。
まぁ新しいデバイスを手に入れたのだからリテラシー向上迄には少し回り道もあるだろう。
ちょっと気になったのでメモがわりだ。
奥多摩の写真でも整理するかな〜