東京と電車と僕ら

電車の中、移動中は色々なことを考えるのに向いている。
大学受験で家にいるとうるさがられた頃は良く電車の中で勉強をした。
旅先では列車に揺られ弁当を食べたり日記を書いたり。
いまではケータイ片手に仕事のネーミングや企画の素案などを考えたり今みたいにブログを更新したりしている。
集中するとたいして状況の変化には感心がいかなくなるし、集中してないときは注意散漫で色々なビジュアルが手に入りやすい方が発想も華やかにすることができて結果的に良いし楽しい。
もちろん散歩しながらの物思いも良いけど、移動距離が身近くそれほどすれ違う人の表情は変わらない。
そんな中、東京ならではの時間の使い方として列車の中の30分くらいのシンキングタイムは中々上質な体験になるし、そういう細切れの時間を活かすととても1日が有意義になる。
こういう考えは東京生まれ東京育ちの人に多い様で、街に生き、街に生かされていることを体験的に知ってる人の行いなのかもしれない。
(部屋はそれほど意味を成さない。街が僕らのリビングだったりダイニングだったりする。)
ちなみに僕は山手線か丸ノ内線で物思いにふけることが多い。
それ以外の列車は余り使いなれていないし、気を抜くと相模湖にいたり高崎にいたり、ちょっとした旅行になっちゃうから。
軽い物思いには向かないんでね。

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