アッと言う間の沖縄旅行。
そもそもたまたま休めた代休消化。
この書き込みは途中からメモになってますが、自分のメモ書きとして、次に沖縄に来ることが有るときに何かの役に立つかなという気で残す意味も込めて書き込んでおく。
羽田空港の搭乗カウンターで乗り継ぎが無いか問われる。
迷わずノーだ。
離島、座間味へ行きたい!
那覇空港到着。
珍しく、観光案内所に話をしにいく。
一年前より沖縄旅行に関しては謙虚になっている。
離島へは、いつ船がでるんで?
様子がおかしい。
台風により…高速船は全便欠航。
その日、フェリーは出ていたらしい。
しかし飛行機の那覇に着いた時間と同時に泊港を出港したとのこと。
座間味の遊々さんと電話をし、海も入れず来てもなんともと言う話を聞く。
状態は良くない。
飛行機の便は有るようだ。
10時を回り、10時半を回る。
久米島
粟国島などもアリである。
アグー豚の粟国島か、
金はある。
時間は少ない。
座間味の海は遊泳禁止。
しかし、粟国や久米島に行って海が好みのものでなかったら?
小さなガイドブックとニラメッコ。
ガイドブックを良くみる様になったのも前回の沖縄からだ。
海外であってもガイドブックは持たない俺だが沖縄は別だ。
ガイドブック…離島以外にも綺麗な海はありそうだし、なにより飛行機が出ないなど戻れない危険を冒す必要はない。
のんびりしにきたのだ。
ゆっくり過ごす沖縄。
太陽と綺麗な海。
また明日、座間味を目指せば良いさと。
観光案内所に話をし、サンセットビーチの場所を聞く。
近場で綺麗なビーチ
軍病院前までバスで出て北谷(ちゃたん)のサンセットビーチへ。
バス停留所を降り海の香を探る。
ココストアでポークタマゴのオニギリとさんぴん茶を買う。
観覧車を右手に、赤花と地域の子どもらのヤリトリをはた目に進む。
巨大なタワーマンションと隣接する巨大なジャスコを過ぎるとサンセットビーチが目の前に現れる。
祭りだ。
屋台、的屋、やきそば、お好み焼き。
気付けば、沖縄に着いてのまともなご飯は、昔ながらの祭りの味だった。
焼きそばをムサボリ、ビーチの解放ゾーンの少なさに辟易。
仕方ない。地域の楽しみだ。
観光案内所なにするものぞ。(とまでは思いもしない。)
イカダ祭りの表彰式をやっている様子と、そのとなりの泳げるゾーンのあまりの小ささに海、パンに着替えるのも馬鹿らしくなりビーチを南下。
タクシーワンメーター500円。
サンセットビーチと同じ北谷町、イギリス船籍の難破船レプリカがシンボルのアラハビーチ。
白人の兵隊、娘?などがのんびり過す風情、海と街との距離感がオーストラリアのマンリーに似ている。
昼から3時間浮かんだり泳いだり。
そこそこ都会、清潔な宿もあるしここも最高の選択のひとつだったのだろう。
まぁ、明日は座間味行きのフェリーに乗れるからそんなこと考えなくてもいいかな?と。
ビーチをあがると夕方を前にまた出かける気になる。
タコライスが食べたい。
基地の街に美味いタコライス。
頭の中をよぎる。
コザ、ガイドブックにある。
だが、どこが美味いかもガイドブックには記載は無いし、味覚に関してはガイドブックに頼りきりではつまらない。
趣向を変えて乗ったタクシーの運転士に聞く。
しかし、タコライスの名店など知らないようで。
タクシーに乗りながら、通り過ぎたゴーストタウンにも興味はあったが、時間の関係と食欲の復活を感じメインストリートへとひた走ってもらう。
街を一回り。
先のエントリーにもあげたがコザでは最高のジャンクフードに出会った。
あんなに美味いタコライスは正直初めてだ。
写真を撮りながら街の空気を感じる。
台風がもたらしたスコールまがいの雨に降られ撮影を止め、ミュージックタウンでかりゆしシャツを買い、東京の会話のスタイルが成り立たないことを噛み締めながら出会った場所。
絶妙な美味さのタコライスを味わい、米兵とキャンプの町であることをカラダで感じ、バスで眠る。
夜にはke-maさんとke-maさんの従弟と再会。
バスでは行けない様な場所を含め、遅くまで付き合ってくれ、充実の一日だった。
泊港のすぐそばに宿をとり、次の朝の出港を目指す。
港には安宿がつきもので、この宿もハズレではなく、それなりの清潔さとそれなりの安らぎを提供してくれる。
ひたすら精神的な癒しを求め歩き回る今回の旅には。新しく出会うことや、
離島に行くのは時間的にみて絶望的だろうし、もっと知らない沖縄を探そうと旅支度をしなおす。
昨日はコザまでいったのだから、今日は名護だな。
と意味が通らない目標設定をして旅へ。
とにかく北進。
泊港のバス乗り場、北へ向かいそうな来たバスに飛び乗る。
具志川バスターミナル
それが行き先。
民家だ。
見渡す限り民家!
MAXバリューがターミナルに併設されていて居心地は良い。
ルートビアをひと缶買い飲みほす。
うまぃ!
が、ここは場違いだ。
と、停留所エリアをふらふらしてると一気に暗転する空、土砂降り。
MAXバリューに駆け込む間もなく停留所に足止め。
台風の余波だ。
だがバス会社のスタッフにルートを聞き出せ結果的にベストルートに遭遇。
90番のバスで北美小学校まで行き高速バスで名護まで。
初名護。
新鮮…?
蒲鉾を作る店の多さから漁師街なのだろうと!
蒲鉾屋より多くあるスナックがそれを物語る。
実は多いなんてモノではないスナックばかりである、
名護のバス停でバスの少なさにへき易しながら途方に暮れているとすかさずタクシーが到来。
バス停がタクシー乗り場化。ある種の沖縄スタイルだろう。
万座毛近く、恩納村営ビーチ
タイガービーチなぜか閉鎖(事実不明、台風?そうか?)
瀬良垣ビーチなぜか閉鎖(事実不明)
プチぼった
ムーンビーチで降りる。
(北谷までいくよと言ってたが北谷の海は昨日行きました。)
そうぼったくりな感じではないが、恩納村のビーチを探しているのに北谷までいかないか?と言われるが拒否。
半ばビーチ巡りが今回の旅のテーマに成りつつある今、北谷に行く意味はないに均かったし、タクシーも飽きたのだ。
恩納村ビーチ近くで宿さがし。花月も万座荘も恐らく村の寄り合い?労働組合全島集会?(うるま等からも参戦)で連絡不能。
泊まれない。
恩納村ビーチから歩いて数分で海ぶどうの店がある。
ガイドブックに頼りきりだな…
数分後、某海ぶどうの有名店(高い、味…)バスが行ってしまった
那覇には帰れない。
歩いてると
名護行きはまだ青いサイン。
次がある。
停留所に着いて時刻表を見たら時刻表がない。
バスがないのでなく、時刻表が剥がされ落書きがあるのみ…
うぉ…
名護キャッスルホテルに滑り込む。
見晴らしは良いがいろいろがあった。
泊まれたから良いとしよう。
中西、大中備瀬行きが来ない。
バスが来ない。
今帰仁経由
崎
瀬底島
流れが速い。
水はすこぶる綺麗
サンエイで
蒲鉾スティックとモズクの揚げ物
5時半に出て8時半
8時52分に出て9時半に53においてかれる。
真夜中に見える真っ暗な民家の中
知らない村
星が綺麗な以外良く判らない。
荷物持ってふらふら歩きを止め
救いの神登場
沖縄バス39だ
乗る人がいないから百までで折り返そうとしてたとこに駆け込んだ
真っ暗な道を
160で浜まで送ってもらい宿の道まで教えてもらった。
今まで帯広のバスの運転士以来のスーパー素敵対応だ。(帯広では自転車ばらす時間がとれず、半ばらし状態の自転車をそのまま載っけてくれた。)
新原(みーばる)着。
真っ暗な
前まで来てるのに呼んでも叫んでも出てこない
正面
呼び鈴
マダムが迎え
家の装飾はモダンにまとまり、70年代後半のビーチリゾートが成し獲なかったモダンさをマダム共々かもしていた。
10時前とはいえ、店もなく場違いな感じさえ。
しかしコレくらいののんびりが本当は好きなんだが。
落ち着くためまずテレビをつけた。
ホッとする。
行き辺りばったりの旅で宿に入れたこと、一人になれたこと、灯りがついた部屋の中に入れたことがこんなに嬉しかったというのは収穫だ。
布団を敷いてゆっくり。
翌朝、海へ出かける。新原の海は波がなく遠浅ですこし砂は濁る傾向にあるが早朝出ていけば、かなりシュノーケリングの楽しめる海だ。
晴天。他の海は流れがはやかったりする中、新原の海は腰までの高さが永遠と続く様な広いリーフに囲まれた海だった。
蝦ちゃんの様な大阪弁のOLに写真を頼まれたり、海の写真を撮ったり。しかし、さすがに最終日。彼女らに絡む気もおこらず、宿をあとにすることに。
新原の宿の主は。小さな頃好きだった娘の母親にそっくりな黒目がちなひとで、海から上がるとバックパッカー風情の俺に少し時間をくれ、庭の水やリが終ると砂を洗い流す水はリをしながら、いくつか他愛も無い話しをした。
肌の白さや仕草、など30年近く前の記憶に結び付く。
懐かしい想いにひたりながら他愛も無い話し。
強烈な日差しのもとさんぴん茶のペットボトルを手にさ迷いながらバス停へ。
真っ暗な昨日と対照的な程の日差しと空の青、サトウキビ畑。
那覇へは余りにたやすく着いた。
ある種ひょうし抜け。
東京への帰り際、波市(やんばる)と言うドカ食いの店へ。
ご近所さんのMarさんが行く前に言ってた噂の店。
様はハトバの船乗り向けの食堂だ。
ガツーーンと大盛り。
ほぼフードファイターだ。
フードライターと数文字違いだがかなり山盛り。
盛りまくり。
肉そばを頼んだはずが野菜炒め盛り。
挑まれた勝負。
勝算はあきらかに少ない。東南アジアの食堂のような暗くホッとできる店の中、フードファイト。
辛くも、どうにか勝利。
ヘロヘロの足取りで街へ戻る。
某所のマックスバリュで土産を買い込み那覇空港へ
宮古のパインと島バナナを実家への土産に帰路へと向かう。
2万3千円スカイマークが俺を羽田空港へと運ぶ。
人の多い場所に住む僕も懐かしい気にさせる。沖縄は不思議な場所だ。
良い思いも方々でして、尚とどまらず。楽しみながら過ごす。
自分の暮らしの様な旅だった。