日和見主義で生きてきたつけ

今日はなんだかどっと疲れが出てきてしまった。ホントのところここ数カ月将来的な座標がここで決まるかと思うと、生きた心地がしていない。

 

日和見主義で生きてきたつけは大きいようだ。

疲れると反比例して、『おれは生きていたのだぞ!』という証をしるすかの様に、作品を量産してしまう、決まっていろんなアイデアもそういったときの方が出るのだが、実のところ継続的な製作ができない状態である為、実を結びにくいことも確かである。つかれた、特に今日のは半端じゃない。そろそろ休むことにしよう。

1998/5/20 541ヒット+2千万人