着る服の色を悩むことは日々続けられる感性を磨くトレーニングではない か?

スーツとワイシャツ。
決まったものを複数揃え毎日同じパターンで着る。

着回さない。

着るもので悩まない。

若手の経営者が使っていたライフハックだが、今日友達と話していて話題に登ったのは色物の服をどう組み合わせて着るかだった。

絵を描くことを真面目に取り組むなら色は悩むべき対象であり、私服の色選びは自分が実験台になり失敗しても自分が犠牲になるだけの良いテストの場になるのではないか?ということ。

色が占めるサイズ感、割合の妙や色の組み合わせなどのチャレンジが日々やりたい放題になるわけで
その修練の場を平日は仕方ないとして休日放棄するのは絵描きとしてもったいないのでは?と言うこと。

衣服を清潔かつ好印象に保つことは社会に対する関係性を築く第一歩だと思うし、そこを大切にしようとする気持ちは社会参加をしていることになるのではと思う。
(絵においては鑑賞者とのコミュニケーションは重要な要素になりえる。)

衣服を中学生の学ランみたいに単一化するのもその服があなたに合っていて社会的にも揺るぎないものならアリだし、
複数の色の服をアレンジしてまとめるチャレンジを毎日するのも
その人がおかれた状況によってはありなので一概にどれがよいとは言えないが
もし、色に対する感性を問われることが生活の中にあるのなら、
自分の感性を磨く時間は意外に限られているのだから、
毎日修練をつむと言う気持ちでクローゼットに向かうのは良いことだと思う。

日々の積み重ねはばかにならないからね。