僕はギャンブルをしない。

僕は個人的趣向と見解でギャンブルはしないことにしている。
人間的に面白味が広がるとか、そういう話は実際はちょっと違うんじゃないだろうかと考える。
ギャンブル狂なことは破天荒だとか男っぽいとか思われるし、ギャンブル自体はゲーム性が高くドラマチックなものだから、やってる人自身が豪気に見えるのかも知れないが、それが面白く感じられるのは当事者でないテレビの中だけの話だろう。
とにかくそういう雰囲気やダメな魅力度の向上の有る無しに関わらず、僕は生活や仕事の勘を狂わすよいなギャンブルはしようとは思わない。
(仕事の博打や勝負はきちんとするし大好きだが。)
今までもそう考えてたが、改めて考えてみるとやはり「勘が狂う」と思った感覚的なものは当たってるのかもなと今回書いてみる。
ギャンブルも含め人は爆発的な大ヒット時など感激をすると興奮状態になりハイになる。
その中で、ギャンブルでハイになる場合は、生活や仕事などの勝利や成功とは無関係にギャンブルのルールを引き金にハイになる。
脳がハイテンションになるってことは、ドーパミンをガンガン脳内で出させる状態にあり、僕的にはマズイ事にギャンブルは仕事や生活とは無関係にドーパミンがガンガンでる。
出てしまう。
ドーパミンが出る体験は人間にとって癖になるもので
ギャンブルの誘惑を前にしてギャンブル好きはパブロフの犬状態だ。
まぁ推測だが経験的にギャンブルで刺激を多く受けてる人はギャンブルが自ずとしたくなったりするのかな?
破滅にしろ勝つにしろ、なんらかの刺激が介在する事でドーパミンは出るわけだし仕方ないと言えば仕方ない。
しかもギャンブルを好む人にはギャンブルの場に於て通常の論理展開とは違う論理がそこにあり、各ゲームのルールで動き回らねばならない。
卓を囲むとか、スロットに7が並ぶとか、掛けた馬の勝利を競馬場で確信するとか
ギャンブル体験が増えれば増えるほど、ドーパミンがジャンジャン出てきて
ギャンブルに適応したノリの脳、よりギャンブルをしたくなる衝動にかられれる仕組みだ。
おそらくそれは仕事等で勝利に関する勘などを必要とする場合などに大きく違うものだから、勘を鈍らせる事につながるだろう。という訳だ。
人は勝利体験についても大量のドーパミンを脳内で発生させる。ドーパミンを大量に出すことで体験的に勝利の感覚を記憶に留める。
それがどんな勝利体験であれ、ブレイクすればリアクションとしてドーパミンは出るわけで
ギャンブルでブレイクしようが、仕事での成功体験が引き金でブレイクしようが、同じドーパミンが脳内でジャンジャンできてしまう訳だ。
目的はドーパミンを出すことでの勝利の快感ではない。
勝利の確度をあげ成功を連発する事だ。
できるだけ効率的に成功や勝利を自分に引き寄せ得るためには
ドーパミンの出るタイミングやシチュエーションを
一定の勝利に紐付けて行っていた方がより効率的に勝利がもぎ取れる。
僕はいまの仕事においてコンペで勝利に拘って来た。
そして一定の成果も実際に得られている。
まぁ、ギャンブルをする人にも成功者はいるし、皆成人してる訳だし、仕事での勝負に関わらない人も居るわけだ。
だから人様のことをとやかく言う気はない。
つまり僕自身の個人的な見解にはなるし個人的な意識の方向性の話なのでやりたい人はやればイイ。
各ギャンブルがどんな反応を実際に引き起こすかとか、上の文章の内容の判断や吟味、実際の効果については各自の判断や思考と行動の先に答えが有るのだろう。
僕は個人的にとりあえずギャンブルでドーパミンを出す方向性には行かないということだ。
その他にも色々趣味趣向で考えるとこはあるが、こと勝負に関する部分ということもありギャンブルに関しては少し見解が固いのかも知れない。
好きな人は好きな事をすればイイとも思う。
好きな事をするのは悪い事じゃないしな。

ヤバいとこからは離れるとイイ。

まぁ色々あるが、ヤバいと思う場合は
速やかにそこから離れるべきだ。
自分の勘は信じるべきだし頼りになるのはいままで自分で生きてきた勘だ。
勘がヤバいと言ってるのにリスクは負うべきじゃない。
対処できる問題は駆逐するが、見極めが重要。
世の中には想像を超す事態が割りと軽く起こるのだしね。

広告制作会社の企画屋は面白い。

広告制作会社の企画屋は面白い。
勉強好きでないとダメだが
調べものが好きとか、
分析が好きとか、
話しを聞くのが好きでハッと閃くとかそういう人は広告制作会社の企画屋に成れるならなると良い。
お客さまの話しをきちんと聞いて、筋道に必要な仮説を立て、話し相手の抱える問題を解消しながら一気にどーんと儲かる算段を立てるとか。
そういうのがやたら楽しいからかなりオススメ。
(話しを聞かないで盛り上がっちゃう人は家に帰って味噌汁でもすすってると幸せかも)
いままで仕事外でなんとなく内容を軽く知ってるつもりでも、一度仕事になればガチで絡むわけで「へ〜!!」って頭に刺さる刺激がバンバンきたり、
食べ物だとか趣味だとか自分の好きな分野について、認識が豊かになるわ、その業域での商売の勘が活かせるようになるとか、運や人間性の向き不向きなど色々あるけど、とにかく色々できちゃうなかなかレアレアな数少ない仕事かと。
(専門で固定の業種をミッチリやりたい、応えが欲しい人は一瞬メーカー広告担当と言いそうだがあれは違う。どちらかと言えばきちんと応えが出る化学系の研究職に着くと良いだろう)
経営コンサルタントが響き的には近いが「売りたい」という明確な意識がないと僕みたいな「売るための売れる企画屋」は呼ばれない。
チケットで切り売りは出来ないし対応スピードの加速が違う。
また、通常のデザイナーやコピーライターにはない「売れる勘所」を注入するわけで。その分別途費用も掛かる、その分色々立ち回らなければならないし、その分成功させる金額分の責任もある。
だから経営コンサルタントみたいに苦楽を共にするのでなく、商売の効果を最大限引き出す売り上げを爆アゲするガソリン的に派手に振る舞えるし、振る舞えなければ終わりなわけだ。
(まぁ振りは重要じゃないがね。信頼を得るには当たり続けるしかない)
もちろん、それにはかなりの勉強と苦汁をナメナメする必要も時にはある、挫折とか長い待ち時間とかも正にあるが、楽しい時間が長いから良い面もある。
あと、企画屋とかプランナーってのはイキナリ成るもんじゃないと実感もしてるから、企画屋とかプランナーになりたい若い人は色々回り道するのとかもオイシイと思ってみるのも良いかも。
デメリットとしては私生活の磨耗とか?
まぁ、気のせいだろ。

カメラを代えて夜間撮影が更に楽しく。

カメラを新しいものに代えてから、夜間撮影が俄然面白くなってきた。
昨日は近所のビル解体現場を撮影してみたが、
旧機種に比べ、高感度撮影にアドバンテージがあり、中々良い絵が撮れる。
シャッターを切る際のレスポンスについても反応速度があがっており、
リズムを保ちながらレリーズできることが容易になった。
夜間の撮影が自由になり撮影できることに幅ができることがこれ程楽しくなるとは、と刺激を受けた。
使い慣れたカメラ、癖を知り尽くしたカメラ、カメラに対する慣れも確かに必要だけど
新しいカメラに次々慣れてくって言う技術は銀塩の頃より重要なのかもしれない。
レンズを買うのは楽しい事だけど、カメラの世代交代に関してもマメに、早めに行くようにしようと感じさせられた。

俺を突き動かす衝動

俺を突き動かす衝動、そういうのが足りない。
仕事は楽しいが
関西弁を喋る美人な娘さんとか
B級グルメ食べ歩きとか
旅とか出会いとか旅とか
そういうのが無い。
ってか「先立つもの」がいまの会社じゃ得られないからなぁ。
10年前よりは夢のある生活になったが、まだ一般的なそれには程遠い。
この渇望こそが俺を突き動かすリビドーか?