東京モーターショー2009に行ってきた。その1

80年代最後の晴海のモーターショーをおぼろげに覚えている。
90年代後半からは、マニュアルの旅行用一眼レフやコンパクトデジカメを片手に
良く出かけた。

思えば車はあまり興味ない方だが、アメ車が好きで、
ジープ(ラングラー)のコーナーや、キャデラックの
車体を見てはいつかああいうのに乗るんだ。と思ったもの。

時代が変わったのと日本がどうやらマーケットの主戦場からはずれたこと。
このふたつから、かなりエコな、
しかも日本の車がメインのモーターショーに様変わりした。
デジタルカメラの普及から、どちらかと言うと車を見に来ると言うより、
おねーさんを見に来る感じに前回くらいからなってきましたが、
今回は更におねーさんの数が激減して、なんだか寂しい感じに。
もっとも、可愛い、美人な夢の競演はそこここに。
車の未来がときめいてた時代とは少し違うので、
趣向も少し違うけどまぁ、それはそれ。

いくつか写真を撮ってきたもののなかで、これはと思う写真を
出していきますので、ご覧ください。
メーカー名などはコスチュームに。
人の名前はあまり詳しくないもので…
え~と。
その2に続きます。
(撮影に使用した機材はEOS30D EF28-70F2.8L USM)

東京モーターショー2009に行ってきた。その2

ワックス塗りまくりのグロッシーなクルマやバイク。
あと、確か当初は隣にのせて車に乗りたいと思わせるような
女の子と言うことで、キャンペーンガール?
(キャンペーンではない?)
を、という美の競演だったと思うのですが、
女性の美の方が勝ってますね。

何かこう購買欲がかき立てられる、ものすごい車をじゃんじゃん出すって言うのも
そろそろ本気で取り組んでもいいんじゃないんでしょうか?
ハイブリット車、電気自動車、その次はなに?
高速道路の無料化などが完成するかもしれないって言うのに、
車の進化はまだまだですね。

てか、高速自由になると、かなりエコじゃ無い気もしますが、
国の政策はどっちに向かうやら。
モーターショーも数年前から商用車をどうするかとか、
端境期に経たされてるのは見るからにと言う感じなのですが、
この規模ならビックサイトで開いた方が
お客さんくるんじゃないかな~なんて、思ったりしました。

産業の発展、昔車の宣伝をする会社にいた身としても、
広告を含めもっと盛り上がるとイイだけけどな。

華やかなクルマと艶っぽい噂の飛び交う世界。
速いクルマ、ラグジュアリーな所有する移動空間。
近未来に有ったはずの夢の世界。
バブルの時代に見た、そのしっぽはこの先に?
ただ、その実、この先20年くらいは消費がイケイケになるようなことは無く、
もっと、コミュニケーションの改善とかエコとかになるんだろうな。
マスが通用して右肩上がりだった時代はもう、終わってしまった。
そんなことを考えながら、カルフールで買ったパンをぱくつき仕事に戻った次第。
(撮影に使用した機材はEOS30D EF28-70F2.8L USM)

写真ときちんと向き合う。

しばらく、実は写真を撮るのが微妙だった。
おもしろがっていない自分。
撮ったら良くないなと思う自分。
選定しないでレリーズばかりしている自分。
どこか偏っていたのか、
生活が微妙だったのか、
恋人がいないのが問題だったのか。
恋人は、引き続きいないのだが、夏を終わりにして
何となく撮っていて楽しくなってきた。
夏の盛りを過ぎた頃からレンズをつけてカメラを持って、街に出るのが楽しくなって。
アイデンティティを探す旅はどうやらもう心に響かないようで、
一年近く旅をストップしていたら、自ずと身の回りの楽しそうな事や、
旅先にしか転がっていなかったような絶妙と自分が思う時間に遭遇
するようになってきた。
多分僕の旬はアイデンティティ探検とかより、自分のいいなと思うものが確立していて
それを見つけてシャッターを切る事に単純にシフトできたのだと思う。
アイデンティティなんてのは、若いときに探しておくべきものだし、
そいつは、なんだか結局分からなかったんだけど、
今、自分がやっている事のバックボーンとかは、その土地土地に出向いて
ひとそろい見つけてきた気もする。
だから、ココからは自分の好きなものとかを自分の好きな機材で
とにかく撮る事じゃないかと。
バックもカメラも実はちょっと微妙なんだけど、
贅沢言わず頑張る。
K-mの次が出たら買う。
DA15を買う。
だけど、いまもってるistDsで暫くいつもの撮影を続ける。
どうもEOS30Dは人物撮影のときの女の子を乗せるくらいにしか僕は使わない
ような気がするので、抑えのタマとして基本的に使わないでイイかなと思っている。
もちろん人物撮影もどこかのタイミングから始めようとは思う。
でも、それも気が向いたところからでイイと思う。
夏の間、プールに行ったり楽しい事もいっぱい有ったので、
いまはその余韻に浸りながら次の事を考えている。
佐藤健二の次の一歩にご期待ください。

存在合成写真

新宿地下で見つけた竹中直人の出てる広告だが…
狙ってるのかどうなのか、
スノビーなシーンと外人と直人だ。
しかも竹中直人だけなんとなく粉噴いてる…。
マット。
艶消し。
日本人の限界感みたいな、セレブ限界を食らわされた感じ。
なんの広告かはひみつ。

柔らかな芽生えをみまもる。

花が咲きほこる様をみるのはなかなか楽しいものだが、
つぼみの様を見るのも自然を眺めるなかで一つの楽しみと言えるのではないだろうか?
可愛い玉のような芽を見つけたり、
柔らかなつぼみを見つめる。
やがてくる時間を予感しながら、
その時間がどんなにか華やかなものかを思いながら、
そうやって過ごす時間も中々良いものだと思う。
アメリカの映画の話、壁紙にはバラのつぼみを。
いずれ咲くそのつぼみをながめ、楽しむのだそうだ。
そう、つぼみの様は洋の東西をこえて、期待のアイコンと言うような
そんな存在になっているのではないか。
新しい時間を充実させる何かが、そこにはたくさん詰まっているのではないか。
ひとには、その開花を予感する楽しみ、
希望を持つ余地がある。
希望は、現実として、
つぼみが大きな花へ姿を変えるように、
困難があっても、大輪の花として世に咲く。
そういう時間がやってくると良いものだ。

花は色々あれどこの春は一つ。

派手さの無い、しかし、輝く様。
咲き方もいろいろと言う事か?

煙たつような、春を謳歌する。
気持ちの出し方を見習わなければとも思う。

桜は良いね。
ぱっと可愛く花開く姿、
チラチラハラハラと散る様も、
和やかな桜色も。
なかなか、こうは行かないものだとおもう。

桜にも並ぶ美しさだが、散り際がよくないように思う。
朽ちる様、そこにも美学があるのだろう。
日本人の美というのは、中々辛口だと思う。

緑と花の色のコントラスト。
この季節のカラーバランスは絶妙だ。
気分を高揚させるだけでなく、
すこしフレッシュな気にさせられる。

都会にも春はある。

菜の花が好きで、小さい頃、マンションのベランダで良く眺めた。
モンシロチョウなどが飛んできてとまり、
春を思わせる陽気な時間を過ごしたものだ。

意外にも、都会のど真ん中にもそんな春の日差しと
柔らかな芽吹きがあり、それら咲き誇る春を僕らはそこかしこで目にしてきた。

奇麗な花をみて、はちが踊る姿を見て、モンシロチョウの浮かれる様子を見て
僕らは春を知るのだろう。
気分の良くなるような陽気が、もっともっと続くと良いと思う。
春は中々良いものだ。

フレッシュマン、花を咲かせたのだろうか。

サラリーマン1年生の皆様、そろそろひと月が経とうとしているがいかがお過ごしだろうか?
実り多き一年になるものともうが、着実に進む事をお進めする。
当方は、どのような1年目を過ごしたか、もうすでにおぼろげだ。
ただ、どんな日々になろうとも、
気の利いたものではなかったとしても、スタートが切れたのならそれで良いではないかとも思う。
まだまだ1年目、そんなに悩む事はまだまだないのだから。