新宿、桂花ラーメン

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先日(10月7日)iPhoneが壊れ(変な風にロックして使えない状態に…)ているので夜の新宿に放たれた僕はラーメンの新規開拓はできず途方にくれながら、知ってる店にいくことに。

場所的にやんばるか桂花が頭に浮かぶ。

店内が長かった方の店の流れを組む地下の方の桂花ラーメンに行くことに。

ターロー麺もすてがたいが桂花ラーメン大盛を選択。

煮しめた煮玉子と茎ワカメ。

熊本は行ったことがないけど、安定した熊本ラーメンと言えば桂花かなと。
(肥後暖簾なくなっちゃったしなぁ)…
久々だけど後半まで満足感が続いてうまかった。

さて、食事を終え歌舞伎町まえを華麗にスル〜
家まで500mくらいの場所まできたが、腹ごなしに働くことを決意し神楽坂の仕事場へ。

働かざる者食うべからずだ。

★読書メモ〜 2つの模倣

2つの創造的な模倣
・遠い世界から意外な模倣をする。
→優れた別業界などの手本からインスピレーションを得て独自の仕組みをつくる。
・悪い手本から学びをする。
→悪しき慣行を反面教師にする。

●個人見解
悪しき慣行の反面教師の方はどうもニュアンスが違う気がする。

現状を把握しブレイクスルーなのか、マネタイズできるポイントが残っていないか洗い出しているように見える。
悪いことを反省するタイプではなく、模倣ですらないように思う。
現状に対するドラスティックな応え、という意味では模倣ではなく、イノベーションにあたる部分だろう。
(これは僕らプランナーが仕事で提案をする際の考えに近い)
その悪しき慣行はなにも他業会や他社である必要はないし、俯瞰できるクールな頭があればどうにかなる。

モンテーニュ曰く「愚者が賢者より学ぶことよりも、賢者が愚者から学ぶことの方が多い。」

ただ、まぁ手本が有るなら徹底して真似るのは書道なども有るわけで、当初ヨチヨチ歩きな状態では藁をも掴むってくらいの必死さで這い上がることが先決だろうからね。

美人はエラーを引き起こす。

恋をすると心臓がドキドキする。

個人的に体験したことがあるが、本に有っても中々体験できない貴重な体験なのでは?

美人を前にひとは類似状態になる。
カワイイ娘といるとウキウキだ。

科学者によれば、美人とご一緒したり、恋をしてウキウキしたりしてる状態は阿呆になっている状態らしい。

阿呆上等。

いま大江戸線でロリっぽい化粧の美人と目があい、いつも降りる駅のホームで、改札とは全く別の方向に激進し、別な女性に不思議な顔をされ不意にそんなことを思い出した。

間違いは何度だってやり直せるから…。

そんなフレーズを口にする娘さんは現実にも数多く居て、おそらく小説の中だけの言葉じゃないのだろう。

それはとてもドラマチックなことで、世の中にエラーと冒険が渦巻いているということになるのかな。

ぅん、世界は今夜も魅力的なんだろ?

そんなことを考えながら僕はネギを切りに家に帰るとしよう。

ツンデレだ。

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なぜかアクティベートが突如要求され、修理屋に持ち込んだり(営業時間終了…)七転八倒した挙げ句、僕の愛機iPhone4Sは無事三途の川から這い上がって来ました!

よかった。

正直、強がってみたものの、単機能以外の部分をぶっ込んだiPhoneはそれはそれで必要悪として、否、単機能以外のよしなしことを全て引き受ける器量を持ったコンパニオン的な存在として生活の中でかなり大きいものになってるんだなと気づいた次第。

特にブラウザの利用が多いことに気付く。
買い物や商品検索は楽しいし、知らない言葉を調べるのも楽しい。
iPhoneの維持を少しきちんと考えようと思った次第。
来年のiPhone6はきっと買うだろうと心に極める。

単機能ララバイ

今日は筆が進む。
iPhoneが撃沈したことで、ウィルコムのストレート端末がウキウキ文字をこさえる。

長文を打つのならやはり物理キーだよな。
左手親指がそんなことを言う。
全盛期は左手右手でブラインドタッチが同時にできたが、いまは左手のみ。

で、僕は色々なデバイスを使ってきたが、単機能の製品が好きなようだ。
ガラケーでもテレビやお財布はいらない。
メーラーと小気味良いキータッチの物理キーと変換エンジンがあれば良い。
あとは電話ならではの電話機能があれば何よりだ。

ウィルコムが最適なのはそのあたり。

あと、カメラも一眼に単焦点レンズを着けて持ち歩く。
ズームしなきゃならない?
撮れないなら撮らないという選択もあるし、自分が得意とするジャンルで撮影できれば良い。
だから全域をまんべんなくなんていうズームはいらない。
最悪、カメラがないなら撮らなきゃいい。
あとで絵に描くとかなんとかすればいいしな。

以前気に入って使ってたポメラは単機能で単3(単4?)電池だったが利用シーンがわからなくお蔵入りしているが、長い旅にでもでるなら持っていこうか?

最近のお気に入りはKindleだそれもKindle pw。この電子ペーパー端末は本を読むことの楽しさを僕に取り戻してくれた。
部屋は散らからないし、一台に好きな本を何冊も入れて持ち歩ける。
こんないいものはない。

残念なこととしてはハードボイルド小説や西尾維新など興味深いラノベ作家が参加してないことだ。(北方兼三は水滸伝とか時代小説しかないのはなぜだ?)
Kindleは文字のリフローができるしPCのモニターにらめっこが続き常時疲れ目の僕にもぴったりだ。

あと、自転車もミニベロに乗っているが、折り畳みではない強固で軽いフレームがとてもいい感じ。
自転車などは稼働部に負担が掛かる分折り畳み自転車などはやたらゴテゴテする傾向にある。
また、折り畳み自転車に乗ってる人に話を聞くとほぼ折り畳んでないしな。

変形機構が良いのは理由が有るときだけじゃないか?

思いつくままに書いてみたがまぁ、理に叶わない単機能や、時代錯誤なレトロ趣味ではないのも確か。

単機能の難点としては物が多くなるとこかな?
興味が薄いものはiPhoneレベルに収めて、興味がわくものは使いやすさにこだわろう。
それが今の方向性なのかなと思う次第。

スマホが奪うものモタラスもの

スマホ用のアプリを企画しつくっている。

だから仕事でスマホは必須。
普段から使わないとアイデアなんて浮かばない。
だから普段からスマホは必須。

で、iPhone使ってたら突如壊れてしまい(アクティベーションをしろとせがまれる。もちろん正規のSIMで運用してるのにだ…)
そして、続けざまにスマホの無いコンクリートジャングルに僕は放り出されたわけだ。

まぁ、夏の疲れもあとをひいてるし、絵を描く時間も必要だし壊れるにはグッドタイミング。
スマホが無くなって清々した。
…って部分もあるし、既にスマホが無い生活が化なり厳しく、スマホがあった方がよい部分の両方を考えた。

●スマホがなかった方がいい部分

・時間、特に余暇とか断片化した時間を余暇として過ごせる。
・本来もっと表現方法が有ったキモチを「なんとなく」カタチにできてしまう状態になりそれが世の中に軽くでていく事になんの不思議も感じない。
・表にだせないキモチを溜め込む事でおきるフラストレーションこそなくなるが、原動力が薄くなることは何かを出すこと、表現活動が生業の場合ディスアドバンテージになる。

・便利は怠惰に繋がる的な。ストイックな人間がダメになる(*_*)

・熟成、熟慮、推敲をして世の中に出してしまう前に手を離れてどこかに消える。
・写真を極めてみようと思うとスマホはヤバい。シャッターチャンスをiPhoneが奪う。シャッターチャンスが来たとして、カメラのようなものが手元にありバンバンシャッターらしきものが切れると、写真らしきものがたくさんメモリーされるが、果たして写真としての訴求力は?何がよかったのかさえ後からはわからなくなったりする訳で。
・文章も思いつきも拡散し誰の思考かわからなくなる。
・TwitterやFacebookなど行き過ぎると人付き合いが時折煩わしくなる。
・アラームがメタドラの到来を知らせる。
・パズドラが隙間の時間を食べ尽くす。
・キンドルが読みかけの本をプッシュしてくる。
・キンドルが小銭を吸い上げる
・通信費と機種代が一年に10万円くらいになる。

●便利だったとことして
・スケジュール管理
・地図検索
・ウマイ飯屋のネットでの情報収集
・音楽の購入とプレイ
・Google検索
・行きつけのニュースブログ閲覧
・クリップレベルのカメラ
・ボイスメモが必要なときにとれる
・キンドルの本が買いやすい。
・出先でペーパーホワイトがないときにキンドルの読みかけの本を読むことができる。
・家にかえってベッドに直行したいときライトが便利。
・探しもののときライトが便利。
・意外と計算機が便利。
 

等々

ツールとしてのスマホやiPhoneは素敵だが、もの作りを本気でとりくみたいならiPhoneの画面やiPadminiの画面では到底小さく、それは紛い物的な不幸の連鎖を生むものかと思うところ。

この先色々考えてはいるが、中々有意義な時間では有るなと思った。

都会とそれ以外を測るバロメーター

あなたの家の近くにコンビニはあるだろう。

自分の家が都会にあるかどうかの境目は意外とわかりずらいがちょっとした指標をおいておく。

それはコンビニの前にあるゴミ箱のこと。

コンビニで扱った商品から出るゴミ屑の受け入れ先、コンビニのゴミ箱。

空き缶や空きビンのゴミ箱や返却箱なら気の聞いた商店の軒先にはゴミ箱も有ったはずだけど、1980年代に登場したコンビニがはじめて打ち出したセンセーショナルなサービスは必ず店先に設置されるゴミ箱とコンビニおにぎり、そして雑誌に有ったのだと思う。

で、そのゴミ箱に少し変化が起きている。
それはゴミ箱が置かれる場所だ。
ゴミ箱が店の中にある店は都会の店。
ゴミ箱が店の外にある場合はそれ以外の場所といった感じかと。

アルミ缶や本の収集を生業にする輩が徘徊したり、通り掛かるひとが多すぎてゴミ箱の量が半端ない場合、仕方なくコンビニのサービスの機能保全の目的でゴミ箱を店内入り口付近などに入れてしまう。

サービスを提供する相手は店内に入った客のみといったスタンスだ。

その辺りのコントロールはオーナーの意向もあるが、意外とエリアで徹底されている。

だもんで、手にした紙屑など捨てるのに困った場所があれならそれは都会な気がする。

仕方ない、PBブランドの烏龍茶でも買いつつゴミを手放すのがその界隈のルールなんだろう。

暮らしに仕掛けをつくる

ライフハックなんて言葉があるけど
暮らしの中に仕掛を作って回すと良いですよね。

日常なんてのは煩いものは対応しづらいし、なかなかハックでどうにかなんて成らない部分がある。

かといって日常こそロスが起きる原因をつくりがちだし
日常こそ反復的な取り組みがしやすいもの。

日常の反復を続けるのはチリツモ的な成果にしかならないが
例えば、チリツモで差がつく部分も有ったりする。

いまが良ければ他はどうでも。なんて考えのひとはさすがに今はいないが色々考えて癖をつけていくのは悪いことじゃないかなとも。

たまにそういった取り組みを書き記していこうと思う。