睡眠時間

睡眠時間が8時間をきると気分が優れなくなる。

寝てればなんとかなる。
寝てないと人当たりが悪くなったり。

意外と単純なもんだ。
活動量計を買ってはじめて分かったことだ。
因果関係がわかればあとの話は早い。

早く寝れば、日々ほがらか。
非常にわかりやすい。

スピードの測るケースの変化がこの20年の軌跡な気がする。 ワープを軸に考えてみた。

スピードの測り方の変化がこの20年の軌跡な気がする。ワープを軸に考えてみた。
速さと言うものの概念がこの20年でガラリと変化した様に思う。

「この回線は100MB/bpsだ。」

こんな文章は今となっては不思議でもなんでも無い概念だ。
1996年だと認識はできても良く分からない話だったのかも。
確か…
「64、64、128!」
とやってた頃だ。
ISDNが凄い速いと思っていた。
100MB/bpsのイーサネットはまだだったかな。

スピードと言えば150km/hといった感じで速さとは距離に関わるものだと思えていた頃だ。
東京〜大阪間を5時間で移動できる速さ。というのが想像できる世界。
そして、その距離を超える速さに未来があった。
ワープに意味があるとして、距離を超えるスピード技術としてのワープ。
それはとても素晴らしいこと。

そして、昨今の「速さ=めかた」の世界にもまたワープの概念はフィットする。
離れた場所にリンゴひと山を転送するワープ。
動画が見れる速度のパケット量を通すのに充分な速さを持つ回線。

ここに来てやっと実社会においでのスピードの定義が身近になったということかもしれない。
100MB/bpsも150km/hも解るわけだ。
仕事してるひとだと1人月なんて単位もあるけど、仕事ひと山のボリューム的スピード。コレは建設業などで比較的古くからある概念だが、この考えなが一般化したという風に見るのも良いかもしれない。

ワープってのは「めかた」的にも「距離」的にも物理スピードの先端にある様に「思う」ワープってのは人間の認識力の取り合えずの限界点にあり、そのさきが何なのか?をまとめている気もする。

バックトゥーザフューチャーのようなものかな?

そう考えると、スピードの側面にもう一つ「めかた」「距離」以外に「時間」が存在することがわかってくる。
しかし、時間は不可逆だったりするからワープやスピード、タイムスリップに対して人は浪漫を持つことになるのかもしれない。

めかた、距離は可逆であるのにスピードは費やしてしまえば不可逆。
概念世界では自由に増減できるのに現実世界では不可逆。
ここら辺にスピード、速さの認識しづらさがあるのかもしれない。

20年掛けてやっと認識できた気もするが、こんなの小学生の扱うこと概念だよなと少し気分を害する自分もいる。

えきねっと発券でオプションを頼んだ時の注意

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明日スキーに行くんで予約してたチケットを発券しにJRへ。新幹線のチケット発券機で発券するんだけど、親切な発券機の仕様が思わぬ事態を引き起こしたのでシェアw左下の方のみどりのやつをポチッと。
2016年3月現在こんな感じ。えきねっとで購入済みの場合、一番下を選択。で、予約番号から発券。

オプションもある場合、予約番号は2つある。

僕はおの予約番号を先に入れて、スキーの板とかを借りる券を発券。

で、同じ工程でもう1つの新幹線の往復チケットを発券した訳だが…

…?

…!

新幹線の往復チケットが予約番号を何度入れても発券できないでござる。

否、ござる。とか言ってる場合じゃない。

弱って「みどりの窓口」に言って話して、オプションのスキーの板のレンタル券を見た時に…

なんと、予約番号が「新幹線〜オプション」で紐付いているらしく、一気に全部出てきていたことが判明。

二度手間を省く親切心からの発券なのだろうけど、正直キモを冷やした。

発券前に発券項目の確認を出すとか、手間だとしても確認を入れた方がこういったダメなUX体験が起こらないでいいと思う。

まぁ、今回は早めに気づいてよかった良かった。

【ネタバレ無し】伏線回収とか、そう言うの。<ナニワ金融道6 巻>

漫画『ナニワ金融道』を読んでる。
手放しに面白い。
少し前の話になるけど、根元はカネにまつわるエトセトラで今も変わらず。
大学の頃にコレとミナミの帝王が好きで銀行員になった友達が居たが、懐かしく思いながら、昔の友達の人生を動かすほどに面白かった本だし読んでみようと読み始めた。

気楽に読める絵と、話を交差させて各話の中盤から後半にかけて次の話の伏線を張るのは実際の仕事と似ていて素敵な仕掛けっすね。
連載漫画だと通常は話を分けてしまいがちだけど、リアリティとチェーンリーディングを考えると相手がオトナならば現代的手法として、こちらの方が良いような気がする。
(伏線より次の話との交差、予告の方が脳が処理しやすい)

ただ、6巻に差し掛かり、 細かい伏線をぶん投げてるトコがなんとなく気になって気になって仕方がない。

一つは、肉欲にロレックスを返したタイミング。
コレは文中でサラッと「返した」と書いてあるので、キャバレーで返したのだろうと。
(少し強引だけど、返したもんは返したんだろう。多分、編集か読者が毒づいて「返した」と唄わせたのだろう)

そちらはまぁそんなもんなんだが…。
どうにも、もう一つのぶん投げの方がが【胃にもたれる感じ】で気になって気になって。

それはだ、灰原が飲み込んだ鍵の話だ。

アレって手術でもしないと取れないのでは?

無理に取り出そうとすると食道に鍵って引っかかりそうじゃん?

もしくは、修羅場のドサクサに紛れて忍者みたいに飲み込んだ振りをした…つまり飲み込んだのはウソだったのか…。
もしくはその後の飲み会に平気で参加できるほど灰原の胃は丈夫なのか?

夜も眠れないくらいに悩ましい。

多分、この伏線はこの後ずーっと回収されないのだろうけど、この先灰原が何を飲み込むのか、灰原の胃腸の具合が心配になってきて仕方がない。

僕のアタマの中では、灰原の胃の中には取り敢えず鍵ひとつがストックされたままになっている。

グエェ…。

うまいものを食べると

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うまいものを食べると鼻水が出る。
ここ数年の話。

年なのかな?

花粉症か何かだと思ってたんだけど、ちと違うのかもしれない。
美味ければうまい程、止めどなく止めどなく。

うまい程涙が止まらない。
それの仲間である。
そう考えると少しだけキラキラした感じだ。
だが、残念ながら
ただひたすらに
ただひたすらに…鼻水である。

僕が鼻をグシュグシュしてたら、その店は本物である。
僕が鼻グシュグシュな時は、涙グシュグシュに近い感動を得ていると心の目で見てください。

…たまに鼻炎だったりもするのだけど。

ガールズ&パンッツァー劇場版の4DX版をユナイ テッド・シネマとしまえんに平日夜10:15~0:30の 回を観に行った。

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人生初、同じ映画を映画館で3回見ると言う快挙。

僕は若い頃、映画を何本かは見たが、作り手が必死こいて作ったストーリーを見る方はお金を出して楽しがったり悲しがったりしに行くという構造がなんとも受け入れ難くあまり映画館に通わなかったんだけど…

ガルパンはいいぞ!

ちなみ、1度目は新宿バルト9
2度目は立川爆音上映!
今回はとしまえんシネマ4DX上映!!

恐らく初見のひとは4DXは控えた方がいい。
今回の劇場版ガールズアンドパンッツァー結構込み入っているので、特に後半のアサガオだかヒマワリだか、タンポポだか、筋がサッパリ飲み込めないので初見のひとはシネマ4DXはオススメでない。

今回驚いたのは継続さんのスナフキンことミカの声がとってもチャーミングで綺麗だったこと。
「カッコイイ、それは戦車道にとって大切なことかな」
と。
心に響くぜ!

んで、4DXは演出としてアリだ〜!と感心し得たことは今回観に行ったことの大きな成果だと思う。
飛び交う砲弾、戦車の奏でる振動、お風呂の香り☆

乱戦部分はなるほどガツンときた。
集中砲火とはこういうことか!と。
(もっと揺れてもイイんだぜ?と思う人は4人席の端がいい。)

チハタンの突貫、潔い散り際が心に響いた。
恐らくアレこそが在るべき戦車道。
西さんの敬礼
コレが凄くスクリーンに映えた。
観たことはないんだが戦争映画っぽくてグッときた。
モデルになったバロン西が偲ばれる。
(多分、動きがあると頭に残るんだろう。記憶とはそう言うものだ。)

予想とは違ったのがカール自走臼砲の猛威の部分だ。
…もっと得体の知れない地の底から響き渡るゴウゴウと言う存在感のある音と今回のよりもう少し派手な爆風が欲しかった。
個人的には立川の爆音上映の方がカールは良かったように思う。

カール自走臼砲に関してのみの感想であっても「それ程違いがあった」ということは、厳密にこのガールズアンドパンッツァーと言う映画を映画館で上映に見ることに意義があったということでそれだけに、意味もわからず何度も見ている。
とにかく面白いのだ。

4DXはアトラクションのようで、見た後が遊園地のようで、本編の作りが完全に4DX狙ってたんだな!と水島監督の遊び心に敬服させられた。
また、コレはこの春の楽しみになるのだが、聖地巡礼をして見ようと思う。茨城交通のバスは旅先で見ているし、水戸から鹿島への電車も乗ってるけど、大洗に何十年ぶりかに行ってみようと思ったのだ。
聖地巡礼に関しては「たまゆら」の竹原に行ったが、大洗は近いから全然ありだと思う。
イベントが開催されてなくても構わない。あの辺ののどかな雰囲気を味わおうではないか!
(震災復興がガルパンの製作背景には有るんだけど、なんだか元気になれていい映画だよな)

ガールズアンドパンッツァーの劇場版だが、この映画には、3度見に行っても全然納得できる何かが有る。

今回は上にあげた西さんやミカの他にもネトゲチームのガンマンとしての見せ場があったり。
後半は少しバタバタで誰がどう白旗なのかがわからなかったのだけれど、(もちろん予想はつく)やられ姿のカットインが多いのはアニメ的だとオミットしたのかなとも。
(やられたものは、クローズアップしないことで次の戦いに目がいく)

とにかく清々しい程良かった。

戦車道には人生の大切なことが詰まってる。

なるほど。
こうなんども見ると含蓄が深い言葉だったのか。
何がだって?
それは映画館に行けばわかることさ。

iPhoneとiPad、スマホとタブレットの使い分け。

スマホとタブレットは同じような機能も有るし、同じ感じに使うこともできる。(iPadセルラー版なら)

使い分けどうすんの?とか聞かれる事もあるが、Appleとかでさえ、提案ができない状況だけど、iPhoneとiPadの違いがどんなものか大体わかったので書きとめておく。
特にこの事実がわかった事はApple Watchが存在する意義の在り方とおおよそ等しく大きい。

●iPhoneについて
知らせを見てリアクションをあげる。
リアクションはそれ程長いものでない。
コミュニケーションツールとしての性格が濃い
というのが特徴。

●iPhoneの使い方
電話もついてるし、耳元に持ってきてもよい大きさと言うのは至極適当。
今このテキストもiPhoneで書いているが、メモを取る、アイデアフラッシュレベルならiPhoneでいいだろう。

●iPadのについて
画面の大きさを活かしたコンテンツの閲覧に効果を発揮する。
考え事や読書に向く。
大きいため持ち歩くのには適さず、代わりに電池も潤沢。
メデイアプレイヤー、ないしはコンテンツの起案に向く。
また、テキスト作成など、長文を書く際は大きな画面の方が前後関係の難しさなどがある場合適切な対処ができる。
小さな画面は没入こそすれ、前後関係など、関係性の把握には向かないところがある。
iPadはギリギリ状況把握など長文作成に向いているサイズだと考えられる。

●iPadのオススメの使い方
オススメの使い方としては、iPadにはSNS系のアプリを入れず、Safariの活用やKindleを中心に使うとよいようだ。
ブラウジングや読書が通知センターの動きに汚されないので、本の中身やアニメの良し悪しが頭に入ってくる。

禅の境地ではないが、雑音があまりにはいってこない環境が簡単に作れるのでとても気分が良く長時間使える。

また、デスクトップPCやノーパソと違い外に軽く持ち出せ、寝転がりながらも使える。

スマホとも違い目を離して見ることができる画面サイズがあるから、長時間見ていても目が疲れない。

●Apple Watchについて
リマインダーとしての存在。
アクションのトリガーにはなるし、カメラなどのモーションセンサーが増えることで、ヘルスケアを含む生活にゆとりと新しい次元をもたらすのかも。

iPhoneとiPadに限らせてもらったのは、どうもタブレットの浸透や普及に対してアンドロイドではアプリも文化も違和感を感じるから。

●まとめ
デバイスの画面サイズに合わせ
画面小←→画面大
【即時性と知覚←→鑑賞と論的思考】
と考えてはと思う。
画面の大きさに合わせ情報の粒度と対応時間が違うと考えておくとよい。
(4インチiPhoneとiPad Proなどの差が開く取り合わせなら更にその存在意義は明確になるものと思う。逆にiPhone 6S PlusとiPad miniでは差が埋まるため、双方を分ける理由は通知センターの設定違い位しか差はなくなるのかもしれない)

PCにはない概念だけど、PCは登場段階で他に選ぶ選択肢がなかったためスーパーな存在、マルチパーパスに成らざるをえなかったのかもしれない。

併せて、薄く新しいMacBookなどは、少し軸がずれるが、また少し軸がずれる話なのでここでは控えることにする。

iPhoneの他にiPadも、と考えている方は参考にしていただければと思う。

Kindleのひみつ

サービスとしてのKindleを最近また使うようになってきた。
お金をかけてバンバン本を買う。
リフロータイプの本もラノベも漫画もとにかくダウンロード。

で、毎回思うのが、Kindleの野暮ったいインターフェースだ。
修正可能なはずだが、見直しはされず。
UI、UX設計から行けば全然だ。
特に読了後やコミュニティ、レコメンド機能が最低だなと思ったり。

だが、どうやらそのレコメンド機能が最低な部分が良いようだ。

コレはUX、つまりどういう体験を売っていくか?という姿勢、体験の全体像がしっかりしてるから、なのか、偶然なのか、買いかぶりなのか?
中々難しいところだがとにかく現状の危うい、イモ臭い読了までのインターフェース、読了後のフローがギリギリのところでうまく成立している。

何がイモ臭いか?はペーパーホワイトとiPhoneとiPadが共通の仕組みだったり、利用者のレコメンドの仕分けがうまくなかったり、気持ちに沿ったストーリー立てた流れが感じられない部分がKindleの中に多くあるところが「イモ臭い」と思ったところだ。

使う人の意識や導線を再構成するタイミングは幾らでも有ったはず。

レガシーを改善する取り組みは放棄すると危ういしな。

ただ、レガシーを再構成、改善できないでいるだけなのかもしれない。

何がそんなにギリギリで良いか?というと、言い換えればこのイモ臭さが良いかというと…

Kindleは本や漫画を読むためのサービスでありモノ

というとこをキチンと守ってるところだと。
この約束を遂行するため、読んでる本より出来るだけ面白くない、主張しない、それでいて何とかなるUIを装備し、ストレスは有るけど、本を読む方が面白いと言うギリギリのUX設計になっているのかもしれない。
もしくは偶然の産物か?

どこかで競合が大きな改革をしてくるのだろうけど、Kindleで買った本は移動できないし、慣れるし、何よりKindleで買った収益は他に人には発生しないわけで、ということなら、Kindleはこの先もこの危ういイモ臭いインターフェースでそのまま突き進むのかもしれない。
困った感じだが、だがそれがいい、的な危うい均衡は続く。