負けたら忘れよう。
負けの中には勝ちの要素は驚くほど少ない。
負けたって取って喰われる訳じゃない。
時間とパワーを有効活用するために目的を持つことはとても重要。
10代は周囲の期待や思惑があるから個人的に目標なんかなくてもなんとかなる。
20代は自分探しとか自己実現とか世間が用意した謎解きという名の目標めいたものがある。
30過ぎてからがヤバい。
他者による目標の提示はない。
フリーバッティング状態。
特に妻子がいなきゃヤリ放題だ。
そして30代以降の共通の問題として、時間の問題がある。
はじめてなにかするときは、先人がいるなら頭を下げて習うとイイ。
先人がいても教えてくれないなら見倣えばイイ。
とにかく真似る。
ただ、真似るのは猿真似とバカにされても徹底的にやること。
アレンジなどず徹底的だ。
段々真似る中になにか得るものが出ても来るし、とにかく真似る対象がある以上ストイックに真似る。
あとはアレンジではなく、自分のものになった際に更に良くなる何かを探求する。
元になる知識や技のベースを発展させられるかどうか。
そうすれば志半ばの軽はずみなアレンジではなく、業としての将来が見えてくるはず。
身に付くまでさとにかく励むしかない。
気がかりだったら、後悔するよりやってみる。
踏み込む。
家訓的なライフハックですね。
くよくよするより随分イイ。
モノがある贅沢を80年以降に味わってきた。 着るもの家電をはじめ、スキーや海外にも行った。 替えがたい体験と幾つかの物質が手元に残った。
そしてその物質を捨てる際にも何か得難い楽しさが有った。 そういうのがモノがある贅沢なんだとおもう。 でもね、いまはちょっと違う。 クルマ?ゴルフクラブ?特にいまは必要無い。
アメリカ人はバッグを持たず行動するのが好きらしい。 バッグを持つのは○○野郎だ!と。 (彼らの意見だ、僕は知らん) …で、バッグを持たないでクルマにぶっ込み行動する。 銃も酒のスキットボトルも、毛布もクルマに。 まぁ、話がそれるのでこの辺で止めるが、とにかくアメリカ人はバッグを持たない。 日本人(都市部限定かな?)はクルマにぶっ込むスタイルは田舎でしか通用しないので、仕方なくバッグを持ってるけど、荷物が少ないことの良さは分かる気がする。
持たない贅沢としてメンタル的な例は、電車に乗るため駅前まで乗ってきた自転車のわずらわしさというか。 都市部限定かもしれないが、家を出ればすぐ目の前にコンビニはあるし、 24時間ずっとあいてるスーパーもある。 都市部の利便性の前にもはやモノがないとやってけないって話はない。 また、カネさえ有ればどこにでも飛んでける自由を確保するには、 クルマでさえも面倒な存在になるなと。 モノを持たない贅沢ってのはあるなと。 それは自由に行動をする事が楽しいことと認識してる人にとって、 刺激的な贅沢かもしれない。 都市にはモノが溢れてる割反面地価が高い。 モノを持つことは不要な場所を広めることに繋がり、意図しないで購入していく贅沢でない購買は時として不合理を生んでいく。 持たない贅沢としては、行動を制限し新しい可能性を減らすことになるなら、積極的にモノを減らすのも潜在的な贅沢なのかも知れない。 ただ、モノを持たない贅沢の弱点といえば、 物理的に物質が残らないから贅沢として認識しずらいことかと。 生まれたての赤ん坊の眩しいまでの可能性みたいに割りと 明確なら良いが危うい存在でもある。 モノがない贅沢を維持するには、断捨離じゃないが、 思い入れの無いものを棄てれば良いだろう。 それにしても、こちらの持たない贅沢ってのは バブルの片鱗を体験した世代には言い難いモノがあるな。 難しい。
ここまで読んでくれれば分かると思いますが、 両極のどちらを支持するかではなく、程よいバランスが重要なんだなとおもう。 ガンダムのラストにてアムロが 「僕には戻るところが有るんだ…」 と言ったように、物理的な 安全地帯+精神的に繋がれる友人などは必要な刺激なのだろう。 やり過ぎると 「趣味の鉄道模型を全部捨てられた旦那」 の話みたく精神崩壊して、人として成立しなくなるともおもう。 また、人との繋がりにおいて、 趣味やら仕事やら中間物質=媒介物=メディアは必要なようだから、 全部捨てるのはやめた方がいいなともおもう。 (捨てるのがモットーなストイックで素敵なひとがいたのですが、 先日認知症になっちゃいまして…) で、暫時的な、暫定結論としては、
旅が好きか読書が好きか。 料理が好きか、写真が好きか。 たとえささやかであっても、 贅沢は生活を楽しくする素敵なエッセンスだとおもうのでね。 僕はモノが多くなる傾向にあるから、 この連休は買い物にもいくが、 家では捨てる喜びを堪能することとしよう。
朝型?夜型?
どちらもアリとはおもう。
自分がやりたい方で使い分けるか、暮らしを変えるといい。
朝向いてること
・効率重視の仕事
・自分が基点になる仕事に向く
・計算や作業の連続
・情報収集
夜向いてること
・考え重視のこと
・請け負い型の頭脳労働
・時間を潤沢に必要とする粘る思考
・構造やフローを理解すること
朝型?
夜型?
実はそういう話は実は愚問。(元も子もないなw)
型とかどうでもよく「何をするか」を考え行動するべき。
型は後からついてくるし、外部から見た類型的なものが型だから
型に流されないようにする。
自分で自分を型にはめない。(あえて自分で型にはめて加速する方法もあるが。)
役職が変わり立場が変われば稼働範囲も稼働時間もかわる。
その許される範囲で効率的な仕事をすればよい。
結果的に朝型かどうかは自分が決めればいい。
個人的には24時間働き通した時期もあるし、
毎朝8時45分に着席始業してた時もあるし、終電前後が基本になってる時期もある。 そんなことは振り返って気づくレベルであり、僕にとっては仕事においては関わった人が成功しているかどうかが重要。
ただ、写真や絵に集中したいから、
また楽しく飲みたいから朝中心にシフトするのもアリかも知れない。
もし決まった型があった方が便利で型を決めて事を進めたいのなら、
自己暗示の一環にに使うのもアリとは思う。
ただそれは自己暗示であり、それが全てではない、
完璧でないことを理解していた方がイイともおもう。
効率ってのは人それぞれな場合があり、
それぞれの特性を生かさなきゃならない場合
それぞれの特性を尊重しなきゃならない。
サラリーマンにおいての損得と朝型夜型。
だが、だ「集団生活がどうこう」とかいうなら個人の稼働効率は無視するとよい。
(個人の効率でなく、集団の効率を重用ししている運用形態と考えよう。)
まっとうなサラリーマンをやるなら、早起きをした方が
集団運用形態にそっている分得だ。
朝型夜型と主張するのではなく、自分は朝型人間だと自己暗示に掛ける方が良い。
個人事業主であれば、クライアントとの作業連携に併せて
効率化すると良いと思う。
朝型?夜型?
お金になる時間帯で生活をすれば良いんじゃないかな?
浴室乾燥機を長く使ってるけど、はやいと気分までいい。
下着とか毎度の事だとホネですよね。
でも洗濯機は変わらないしどうしたことか…。
ここでさとーのライフハック。
↓
…
以前は6.3オンスのTシャツで乾きが悪かったので5.6オンス以下にシフト。
↓
効果バッチリ!
格段に乾きが早くなった!
(しかも乾き漏れがない)
良かったら試してみてください!
靴下とかは特に知りません。