原宿で

原宿で
「けん!」
とか
「けーん!」
と3回ほど呼ばれたんですが もうちょっと読んでみる。

ヤマトとガンダムの違いにみる。

ヤマト2199見てます。

ヤマト自体は子守唄に、2くらいからは記憶に有るのですが、熱いですね〜

で世代的にどストライクなガンダムとの違いを。

特にヤマトに有るのは

・物理スイッチを押す人のロマン
(手を下すひとの得難い充実した感じ)
・大出力は大型艦船や基地から縛り
・宇宙の星を探索するロマン

といったところかと。
あと、富野な理屈がなく、戦後のモヤモヤ感を払拭しようとしてた時代の躍動を感じますね。
今後も見ようと思います。

距離を越えるツバサ。

僕には羽はないけど、若い頃に散々旅したことで得たものがある。

気が向けば飛び出す。
そんなココロ。

距離なんてのは問題じゃない。

思い立ったらその場所にいる。

好きな娘が住む海外、友達が越した地元、大好きな北海道、沖縄。

越える、越える、いますぐ越える。

その気があれば距離は問題じゃない。

それくらいがちょうど良い。

モノがある贅沢モノを持たない贅沢【ライフハック】

モノを持つ贅沢

モノがある贅沢を80年以降に味わってきた。 着るもの家電をはじめ、スキーや海外にも行った。 替えがたい体験と幾つかの物質が手元に残った。

消費は… 価値を物質に変える体験としてとても楽しかった。

そしてその物質を捨てる際にも何か得難い楽しさが有った。 そういうのがモノがある贅沢なんだとおもう。 でもね、いまはちょっと違う。 クルマ?ゴルフクラブ?特にいまは必要無い。

モノを持たない贅沢。

アメリカ人はバッグを持たず行動するのが好きらしい。 バッグを持つのは○○野郎だ!と。 (彼らの意見だ、僕は知らん) …で、バッグを持たないでクルマにぶっ込み行動する。 銃も酒のスキットボトルも、毛布もクルマに。 まぁ、話がそれるのでこの辺で止めるが、とにかくアメリカ人はバッグを持たない。 日本人(都市部限定かな?)はクルマにぶっ込むスタイルは田舎でしか通用しないので、仕方なくバッグを持ってるけど、荷物が少ないことの良さは分かる気がする。

言い換えれば、クルマも必要ないくらい自由な状態だ。

持たない贅沢としてメンタル的な例は、電車に乗るため駅前まで乗ってきた自転車のわずらわしさというか。 都市部限定かもしれないが、家を出ればすぐ目の前にコンビニはあるし、 24時間ずっとあいてるスーパーもある。 都市部の利便性の前にもはやモノがないとやってけないって話はない。 また、カネさえ有ればどこにでも飛んでける自由を確保するには、 クルマでさえも面倒な存在になるなと。 モノを持たない贅沢ってのはあるなと。 それは自由に行動をする事が楽しいことと認識してる人にとって、 刺激的な贅沢かもしれない。 都市にはモノが溢れてる割反面地価が高い。 モノを持つことは不要な場所を広めることに繋がり、意図しないで購入していく贅沢でない購買は時として不合理を生んでいく。 持たない贅沢としては、行動を制限し新しい可能性を減らすことになるなら、積極的にモノを減らすのも潜在的な贅沢なのかも知れない。 ただ、モノを持たない贅沢の弱点といえば、 物理的に物質が残らないから贅沢として認識しずらいことかと。 生まれたての赤ん坊の眩しいまでの可能性みたいに割りと 明確なら良いが危うい存在でもある。 モノがない贅沢を維持するには、断捨離じゃないが、 思い入れの無いものを棄てれば良いだろう。 それにしても、こちらの持たない贅沢ってのは バブルの片鱗を体験した世代には言い難いモノがあるな。 難しい。

…さて、両極の贅沢、 どちらをとりましょうか?

ここまで読んでくれれば分かると思いますが、 両極のどちらを支持するかではなく、程よいバランスが重要なんだなとおもう。 ガンダムのラストにてアムロが 「僕には戻るところが有るんだ…」 と言ったように、物理的な 安全地帯+精神的に繋がれる友人などは必要な刺激なのだろう。 やり過ぎると 「趣味の鉄道模型を全部捨てられた旦那」 の話みたく精神崩壊して、人として成立しなくなるともおもう。 また、人との繋がりにおいて、 趣味やら仕事やら中間物質=媒介物=メディアは必要なようだから、 全部捨てるのはやめた方がいいなともおもう。 (捨てるのがモットーなストイックで素敵なひとがいたのですが、 先日認知症になっちゃいまして…) で、暫時的な、暫定結論としては、

趣味や個人を形成する水準のモノはある程度必要。 モノを必要とする贅沢は限度はあるが肯定する。
モノを持たない贅沢ももちろん肯定する。
好きなことができるよう 「バランスをとっておく」 ってことが暫定の答えかもしれない。

旅が好きか読書が好きか。 料理が好きか、写真が好きか。 たとえささやかであっても、 贅沢は生活を楽しくする素敵なエッセンスだとおもうのでね。 僕はモノが多くなる傾向にあるから、 この連休は買い物にもいくが、 家では捨てる喜びを堪能することとしよう。

変わらないで、なんて望まれちゃぁいない。

この18年くらいスタンダードな部分は変わらないように心掛けてきたと思う。

変わらない関係、変わらない体重、変わらない世界。

…そう思っていた時期が僕にも有りました。

が、そういう無茶を要求するひと(可愛い娘)は得てしていい加減なもんで、そんな浮わついた事を中2病的にのたまったことも、もうすっかり忘れてたりするわけで。

そして変わらぬ佐藤は、四十を前にここからしばらく遅い青春に没頭してみようかと思うわけで。

中年の事始めはたちが悪い。

いいよ、楽しむとしよう。

激誕生日

爆誕!てコピーはあったけど、個人的な誕生日の感想として

激誕!

て感じでした。
これから歌舞伎町でウナギパーティーの予定!

楽しみ☆