ウザイ、ダルいタルいが死後になったわけ。

ウザイと言う言葉が以前あった。

それは、現状より良いプランが見いだせず、もしくは言葉であらわせず、考えるのが面倒な人間が、状況を指摘されたさいに使っていたのだと思う。
声高に発することで、暴力的な動物の反射的な遠吠えのように響き、居丈高なわりに実は白旗を振っていたという非常に格好悪い態度だったんだろう。
しかし、まぁ瞬間的には犬の遠吠え的に脅しは効く。

その時点で体裁は繕える便利な言葉だったんだろう。
親や学校の先生など甘える対象に対して(自分は対処しきれない範囲の話に対して)ウザイ、と言い放っていたわけだ。

が、彼ら以降の世代では居丈高な態度をとるぶっきらぼうさ、人間的なパワーさえ出す勢いがなくなったためか、ウザイと言う言葉が死後になっていった。

ウザイが口伝でなごっている地域は、遠吠えを発する元気がまだ残っており、彼らの責任放棄したいが故の発言による恫喝を、彼らを取り巻く社会が許しているのだろう。
噛み砕いて言うと「小便臭いダサい甘え」を受け入れる余裕が社会側に有ったのだろう。

だが、およそ、それら甘えを許した環境は消耗しもはや甘えを許さない状況に来ている。

タルいとかダルいも対義語のアクティブな状態がなくなったため言葉的に聞かなくなった。

みんなダルいし、それでもなんとかしてるわけだ。

ダルいなんて言葉を発するパフォーマンスが既に古いわけだ。

耳障りな言葉は前に有った世代との障害を取り除くための防衛本能からくる防御柵なのかもしれない。
既に驚異の対象がなくなっているなら、引き潮のように時代から、それら耳障りな口汚いフレーズは去り行くのだろう。
その耳障りなフレーズも前世代にかてそうもなく豚足して青春を過ごした彼らなりの存在証明なのかも知れない。

死語ってのもこう考えて見てみると中々赴き深い。

佐藤健二

佐藤健二 の紹介

こんにちは~ 思いついたことをカタチにする仕事をしています。 ここでは、ひょんなことから思いついたこととかをまるっと書いていきます。 仕事を離れた書き込みですので大したことは言いませんw

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